新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない中、開催か中止で注目されていた第102回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園大会)について、高校野球連盟はきょう午後に運営会議と理事会を開き中止を決めた(20日付・共同通信Web版)。春の選抜大会とあわせ、春夏連続での中止だ。
報道によると、高野連は無観客での開催なども視野に検討を進めてきたが、休校が明けてから部活動を再開する時期が見通せない地域もあり、中止を決めた(同)。夏の甲子園出場は私学や国公立問わず、高校球児にとっての夢だろう。今回の中止決定は止むえない判断と察するが、高校球児にとってかなりの希望の損失ではないだろうか。
夏の甲子園は単なるアマチュアスポーツ大会とはずいぶんと趣が異なる。地域の巻き込みが半端ではない。7月中旬から代表校を決める地方大会、そして8月上旬から甲子園大会が開催されるが、地域全体のボルテージが高くなる。夏の日中に街を歩くと、カキーンというテレビの甲子園中継の音声があちこちから聞こえてくる。「風物音」でもある。
金沢に住むと、甲子園の話が共有できる。1979年の第61回大会の3回戦で石川代表の星稜高校が延長18回の死闘を箕島(和歌山)と演じ、敗れた。箕島はこの年の春の選抜大会で優勝していて、まさに春夏連覇がかかっていた。その箕島を最も苦しめたのが星稜だった。もう一つ、星稜が負けて名を上げた試合が1992年の第74回大会の2回戦の明徳義塾(高知)戦。星稜の4番・松井秀喜選手に対し、5打席連続での敬遠が物議をかもした。ABC朝日放送の実況アナが「勝負はしません」と声を張り上げた。松井選手は春夏含め4回甲子園出場で、高校時代の公式試合でホームラン60本を放っていた「怪物」だった。連続5敬遠が松井を一躍全国区に押し上げた。
連続5敬遠のとき、自分は金沢の民放局で報道デスクを担当していた。何度か高校野球をテーマで特集を組み、松井選手の父親に取材した。息子にこう言い聞かせて育てたそうだ。「努力できることが才能だ」と。才能があればこそ努力ができるのだ、と。プロ入りしてから、ホームランの数より、連続出場記録にこだわった。この父親の言い聞かせが甲子園、そして球界のレジェンドを生んだのだろうか。
(※写真は、2005年12月に東京・JR浜松町駅で撮影した企業広告のスナップ写真)
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