自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登半島地震 両陛下が避難所を訪れ被災者見舞いへ

2024年03月20日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょうの朝刊各紙は「両陛下 22日に奥能登へ」の見出しで天皇・皇后両陛下が能登半島地震の被災者を見舞うため、あさって22日に輪島市と珠洲市を日帰りで訪問される、と報じている=写真=。両陛下は去年10月15日に国民文化祭(いしかわ百万石文化祭2023)の開会式で金沢市などを訪れている。能登入りは即位後初めて。

  報道によると、両陛下は22日午前、羽田発の特別機で能登空港に到着する。輪島市で被害の大きかった地区を見て回り、避難所に足を運んで人々を見舞う。その後、珠洲市に移って津波被害の状況を視察し、被災者とも懇談する。輪島市と珠洲市の間の移動は、自衛隊のヘリコプターを使う。夜に帰京する。天候などによっては訪問が延期となる可能性がある。

  具体的な被災地訪問のルートは述べられてはいないが、上記の記事から察するに、輪島市では240棟が焼損し、焼失面積が4万9000平方㍍に広がった朝市通りや、震度6強の揺れで倒壊した塗師屋(ぬしや、漆器製造販売)の大手「五島屋」の7階建てビルの現場などを視察されるのではないだろうか。それに関連して、両陛下からは国の重要無形文化財に指定されている輪島塗の現状と再興についてお尋ねもあるだろう。珠洲市では揺れと津波に見舞われた宝立町の地域や見附島などを視察されるのではないだろうか。

  両陛下が被災地を訪問されるのは、2019年12月に台風19号などで被害が出た宮城県、福島県を訪れて以来で2回目となる。両陛下の被災地訪問で印象に残るのは、いまの上皇ご夫妻が平成の時代に全国の被災地を訪れ、丁寧に被災者を見舞われた姿を思い出す。避難所を訪れ、膝をついて対話する様子は被災者に寄り添うお気持ちが伝わり、国民の共感を呼んだ。テレビメディアを通じて、国民にはこの姿が天皇皇后の被災地訪問のイメージとして定着している。今回の訪問については、両陛下が発生直後から被災者を案じ、現地を見舞いに訪れたいとの考えを示しておられたようだ。

⇒20日(水)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆能登半島地震 マイナス金利解除、そして過疎化に拍車

2024年03月19日 | ⇒ドキュメント回廊

  日銀がマイナス金利の解除を決めた。これが被災地にどのような影響を及ぼすのか。地震の激しい揺れや土砂災害、液状化、火災、津波などで住宅に大きな被害が出ている。石川県のまとめ(3月15日現在)で、全壊が8500棟、半壊が1万5200棟、一部破損が4万9700棟あまりとなる。全半壊の解体・撤去は自治体が公費で行うが、新築して再建する際に住宅ローンはどうなるのか。

      武見厚労大臣は2月27日の記者会見で、能登半島地震で被災した世帯が住宅ローンを組んで自宅を再建する場合、石川県事業として最大300万円の金利助成を実施すると発表した。また、北國銀行(金沢市)はきょう19日付のニュースリリースで、「住宅ローンを今月22日以降に新規でお借入される際に、特約固定2年、3年を選択されるお客さまのお借入時および初回金利更新時の割引幅を拡大します」と発表している。さらに、能登半島地震の住宅再建のため、一部の優遇金利をさらに引き下げる考えも示している。確かに、金融機関にとっては、復旧・復興にこれから着手する地域での貸出金利の引き上げはそう簡単な話ではないだろう。

  元旦ということもあって自宅でくつろいでいるときの地震だった。被災地をめぐると、住宅だけでなくガレージも車ごと押しつぶされたような状態になっているケースが目につく。住宅再建のほかに車も新規に購入するなど、対応に迫られるだろう。そして、被災した中小企業や個人事業主にとっては住宅のほかに店舗や工場の再建もあり、負担はさらに重くなることは想像に難くない。(※写真は、七尾市の老舗商店街「一本杉通り」で倒壊した和ろうそくの店舗=2月3日撮影)

  被災地のさらなる難題は過疎化の進行かも知れない。もともと能登は人口減少が急ピッチで進んでいた。65歳以上の高齢化率が50%以上の自治体もある。震災を機に、金沢など都市で暮らす息子や娘たちとの同居、あるいはアパートやマンション住まいが加速するだろう。共同通信Web版(3月3日付)によると、今回の地震で甚大な被害を受けた輪島市や珠洲市など奥能登2市2町の今年1月の転出者数が計397人となり、前年1月の93人の4.27倍に上ることが、石川県がまとめた2月1日時点の人口推計で判明した。4市町の1月の転出者数は被害が大きかった輪島市が180人で、前年1月の29人の6.2倍、そして珠洲市は112人で同20人の5.6倍に上っている。

  これは一時的な現象ではない。2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)で家屋被害が大きかった輪島市と穴水町では、10年間で人口減少が輪島市で17%、穴水町で19%も進んだ(2017年・石川県の人口統計)。今回の地震は2007年に比べて広範囲で桁違いに被害が大きい。今後、強烈に過疎化が進むのではないか。

⇒19日(火)夜・金沢の天気   あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★能登半島地震 メディアが伝える北陸新幹線と被災報道

2024年03月18日 | ⇒ドキュメント回廊

  北陸新幹線が金沢駅から福井県の敦賀駅まで延伸した。地元新聞各紙(17日付)は「新北陸 発進」「春を運ぶ沿線へ復興へ」と一面のフル見出しで取り上げている=写真・上=。地元メディアとすれば北陸新幹線の敦賀開業は久々の明るい話題として大きく伝えたかったのかもしれない。なにしろ元旦からこれまで能登半島地震で災害報道が圧倒的だった。暗いニュースが多い中で明るい話題を。これは読者や視聴者の心理を考えれば自然なことかもしれない。

  きのうの夕方、所用でJR金沢駅に行って来た。日曜日ということもあり。新幹線乗り場などはかなり混雑していた=写真・中=。「これは敦賀延伸の効果かもしれない」と人々の流れを思うと同時に、「能登半島地震は徐々に記憶の片隅に追いやられるかもしない」とも考えた。まったく根拠のない発想なのだが、不安を感じた。

  まもなく17年になる。2007年3月25日、能登半島で震度6強の地震が起きた。時間は午前9時40分過ぎだった。「能登沖を震源するする地震」とNHKニュースは伝え、崩れ落ちた家屋の映像を流していた。輪島市と穴水町を中心に住宅2千4百棟が全半壊した=写真・下=。いま、この2007年の地震のことを思い起こす人は少ないのではないだろうか。

  260年余り前、経済学者アダム・スミスは『道徳感情論』の講義で災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、心の風化は確実にやってくると述べた。そう考えれば、心の風化や記憶の風化は人々の自然な心の営みなのかもしれない。ただ、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きる。被災地の復興は一般に思われているほどには簡単に進まない。この被災地の人々と読者・視聴者の意識のギャップを埋めるために、新聞・テレビメディアには災害発生から定期的に被災地の現状と問題点、そして人々の心情を伝えてほしいと願う。

  「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)の教訓もある。メディアの定期的な災害報道でこの教訓も生かされる。

⇒18日(月)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆能登半島地震 地震と津波をセットで考える心構え

2024年03月17日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震は地震、火災、そして津波の複合災害の現場でもある。珠洲市の海岸沿いには津波が押し寄せた。メディア各社の報道は、マグニチュード7.6の地震発生後まもなくして3㍍ほどの高さの波が来たと住民の話を伝えている。きのう(16日)津波に見舞われた被災地をめぐった。

  海岸沿いにある珠洲市飯田町のショッピングセンター「シーサイド」=写真・上=。店舗は閉じられたままだった。食品スーパーや書店など10店舗が入る2階建てのショッピングセンターで、元旦は福袋を買い求める客などが訪れていた。強烈な揺れがあり、従業員たちが「津波が来ます」と叫び、客を誘導して高台にある小学校に避難した。揺れから10分ほどして、70㌢ほどの津波が1階の店舗に流れ込んできた。従業員がいち早く自発的に動いたことから人的被害は出なかった。シーサイドでは年2回、避難訓練を実施していた。

  観光名所である見附島を一望する同市宝立町も津波の被害が大きかった。ホテル「珠洲温泉のとじ荘」は建物の被害のほか、水道などのライフラインが復旧しておらず休業が続いている。ホテル近くの海岸には津波で漁船が陸に打ち上げられていた。そして、見附島も変わり果てた。その勇壮なカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2023年5月5日の震度6強、そして今回と度重なる揺れで「難破船」のような朽ちた姿になった。

  ホテル近くの住宅地では波をかぶり倒壊した2階建ての家屋があった。そして、道路では突き上げているマンホールがいくつもあり、中には1㍍余りの高さのものもあった=写真・中=。アスファルトの道路だが、砂が覆っていた。おそらく津波で運ばれてきた砂、そして液状化現象で地下から噴き出した砂が混在しているようにも思えた。マンホールは道路下の下水管とつながっている。液状化で水分を多く含んだ地盤が激しい揺れで流動化したことでマンホールが突き上がったのかもしれない。下水管の損傷も相当なものだろうと憶測した。

  珠洲市の海岸沿いの道路を車で走ると、「想定津波高」という電柱看板が目に付く。中には「想定津波高 20.0m以上」もある=写真・下=。同市では2018年1月に「津波ハザードマップ」を改訂した際にリスクがある地域への周知の意味を込めて電柱看板で表記した。石川県庁がまとめた『石川県災異誌』(1993年版)によると、1833年12月7日に新潟沖を震源とする大きな津波があり、珠洲などで流出家屋が345戸あり、死者は約100人に上ったとされる。1964年の新潟地震や1983年の日本海中部地震、1993年の北海道南西沖地震などでも珠洲などに津波が押し寄せている。

  半島の尖端という立地では地震と津波をセットで考える日ごろの心構えが必要なのだろう。シーサイド従業員の率先した避難誘導や「想定津波高」の電柱看板からそんなことを学んだ。

⇒17日(日)夜・金沢の天気     くもり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★能登半島地震 「震災復興モデル」熊本からのメッセージ

2024年03月15日 | ⇒ドキュメント回廊

        2016年4月14日と16日に震度7の揺れに2度見舞われた熊本地震。災害関連死を含む270人余りが死亡し、19万棟以上の建物が全半壊するなどの被害が出た。震災から半年後の10月8日に熊本市など被災地を訪ねた。かろうじて「一本足の石垣」で支えられた熊本城の「飯田丸五階櫓(やぐら)」を見に行った。ところが、石垣が崩れるなどの恐れから城の大部分は立ち入り禁止区域になっていて、見学することはできなかった。櫓の重さは35㌧で、震災後しばらくはその半分の重量を一本足の石垣が支えていた=写真・上、熊本市役所公式サイトより=。飯田丸五階櫓は石垣部分の積み直しが終わったものの、熊本城の復旧工事は2037年度まで続く。

  この熊本地震に当時から対応した熊本市の大西一史市長がその教訓を伝えようときのう(14日)珠洲市の泉谷満寿裕市長を表敬訪問した(14日付・NHKニュース)。大西市長は「熊本地震から8年となり復興は進んでいる。状況は全く同じではないが、必ず復興はできる」と激励した。また、「子どもたちの生活が戻ると、大人の生活も戻りやすくなり復興が進んでいく。断水が夏場まで続くと衛生環境も悪化すると思うので、それまでに子どもたちの生活を取り戻すことが重要だ」などとアドバイスした。訪問のあと、大西市長は「珠洲市は相当苦しい状況だと感じる。今後も中長期的な支援が必要になってくるので、全国市長会に協力を呼びかけながら支援を続けたい」と述べた(同)。 

  大西市長が「必ず復興はできる」と励ましたように、熊本は復興に向けて突進した。被災地ではいち早く復興計画案を打ち出し、例えば益城町では市街地の北側に新たに「住宅エリア」を、熊本空港南側には新たな「産業集積拠点」などを設けるとビジョンを提示した。そして、同じ被災地の菊陽町は、世界の最先端半導体生産の圧倒的シェアを占める台湾積体電路製造(TSMC)の熊本工場を誘致に成功し、先月24日に稼働が始まった。(※写真・下は、左から泉谷珠洲市長を激励に訪れた大西熊本市長=14日付・NHKニュース)

  言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進め、復興ビジョンを着実に実現化していく。「一本足の石垣」のギリギリから生き残りをかけ、TSMC工場の誘致へと展開する被災地・熊本は「震災復興のモデル」ではないだろうか。

⇒15日(金)夜・金沢の天気    はれ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆能登半島地震 自民裏金を被災地に寄付するのか

2024年03月14日 | ⇒ドキュメント回廊

  寄付は善意で賄われるものだが、政治の駆け引きに使うなと言いたくなるニュースだ。共同通信Web版(13日付)によると、自民党は派閥の政治資金パーティー裏金事件をめぐり、議員ら85人が受け取った還流資金の相当額を寄付する方向で検討に入った。能登半島地震の被災地支援に充てる案が浮上している。政治資金収支報告書に記載せず裏金化したのは2018年からの5年間で総額約5億7949万円に上る。

  いわゆるキックバック(還流資金)は税務上は「雑所得」であって、個人所得として納税しないのはまさに脱税行為だろう。税金の使い道を決める国会議員が税逃れをしてきたことにこの裏金事件の根深さがある。

  きょう午前10時からの参院政治倫理審査会がNHKで生中継されていた。政治資金収支報告書への不記載が1542万円とされる世耕前参院幹事長が弁明に立ち述べていた。「問題となっている還付金は、事務所に現金で渡され、現金のまま管理・運用され、収支報告書の簿外での管理であったため、私自身のチェックに引っ掛かることがなかった。還付金を受け取っていたことを、長らく把握できなかったことは管理・監督が不十分であったとのそしりは免れない」

  こうした自覚があるのなら、自民党として裏金事件にしっかりけじめをつけるべきではないか。まず、関係した議員に脱税した分を納税させ、その議員に対して処分を下す。それを行ってからの寄付ならばそれほど問題視はされないかもしれない。それをせずに、政治の駆け引きのように被災地支援という名目での寄付をすることで済まそうとすれば、問題の本質を「善意」で覆い隠す、まさに「偽善」のそしりは免れないだろう。

  そして、能登の人たちはどう感じるだろうか。「自民党の裏金で行われた震災復興」というイメージがつくことを嫌がるのではないか。能登の放言で「だらくさい」がある。割に合わない、理不尽な、という意味で使う。「だらくさい金もらってどうする」と能登の人たちは戸惑うに違いない。(※写真・上は国会議事堂、写真・下は自民党の政治資金パーティー裏金事件を伝える14日付の紙面)

⇒14日(木)夜・金沢の天気    はれ時々くもり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★能登半島地震 危機に瀕する観光、一次産業、伝統工芸

2024年03月13日 | ⇒ドキュメント回廊

  元旦の地震が能登の経済に与える影響は計り知れない。その大きな一つは観光産業だろう。七尾市の和倉温泉は年間宿泊客数が90 万人とされるが、震災で22の旅館(収容人数6600人)すべてが休業に追い込まれている。元湯は復活したものの、断水が続いていて旅館営業の再開には困難な状況が続いている。

  和倉温泉観光協会の推計によると、1月と2月で7万7000人の予約が入っていたが、震災ですべてキャンセルとなり、これだけで20億円の売上損失となった。さらに、旅館や温泉施設などの建物・施設損害などで1000億円以上の被害が出ている。(※写真・上は、液状化現象で盛り上がった和倉温泉街の歩道)

  農林漁業などの第一次産業にも影響が大きい。農水省によると、石川県内の69漁港のうち60港が損壊や地盤隆起の被害を受けた。転覆や沈没、座礁などの被害を受けた漁船は230隻以上。荷さばきなどを行う水産業共同利用施設や漁業用施設は50カ所以上で損壊が確認された。ことしの冬はブリが豊漁で、地震後の1月10日に七尾市で、11日には能登町でブリの定置網漁が再開された。しかし、地震で製氷機が破損し、競り場も壊れ、水道などのインフラ整備が追い付かず、流通が一部滞った。

  200隻の漁船が湾内の海底の隆起で船が出せない状態だった輪島漁港では湾内の底ざらえをする浚渫(しゅんせつ)作業が行われているが、まだ漁の再開のめどはたっていない。本来なら、ノドグロやアマダイ、メバルのシーズンだ。同じ輪島市門前町の鹿磯漁港では海底が最大4㍍隆起して港そのものが使えなくなっている=写真・中=。このほか隆起があった3市町(輪島市、珠洲市、志賀町)の22漁港の漁協組合員は2640人、年間漁獲高は69億円(2022年実績)になる。そして、農業も水田の耕作時期を迎えるが、ひび割れが入った田んぼが目に付く。

  伝統産業の輪島塗も苦境に陥っている。輪島市は大規模な火災に見舞われ、国土交通省の発表(1月15日付)によると、焼失面積約5万800平方㍍、焼失家屋約300棟におよぶ。輪島塗は漆器の代名詞にもなっている。職人技によってその作業工程が積み上げられていく。木地、下地、研ぎ、上塗り、蒔絵といった分業体制で一つの漆器がつくられる。ただ、同じテーブルで作業をするわけではなく、それそれが工房を持っている場合が多い。火災と震災でそのかなりの工房が被災した。さらに、1000人ともいわれる職人の多くが避難所などに身を寄せている。(※写真・下は、輪島朝市通りに軒を並べていた漆器販売店など商店が火災で焼失した)

  輪島塗の作製は再開できるのだろうか。作業をする場と職人技に欠かせない道具(蒔絵の筆など)の確保が難しい。バルブ経済絶頂のころは年間生産額180億円(1991年)もあったが、このところ28億円に落ち込んでいる(令和3年版輪島市統計書)。かつて、「ジャパン(japan)は漆器、チャイナ(china)は陶磁器」と習った。日本を代表する伝統工芸、その輪島塗がいま危機に瀕している。

⇒13日(水)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆能登半島地震 風力発電止まる、再稼働めど立たず

2024年03月12日 | ⇒ドキュメント回廊

  日本海に突き出た能登半島では風が絶え間なく流れる。秋から冬にかけて強く冷たい季節風が続き、春から夏にかけては沖から生暖かい風が吹く。この生暖かい風のことを能登では「あいの風」や「あえの風」と言ったりする。車で走行していて、能登の絶え間ない風を意識するのは風力発電かもしれない。能登には長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)の風力発電が73基もあり、見慣れた風景でもある。ところが、元旦の地震以降、風車がストップしている。(※写真・上は能登半島の尖端、珠洲市に立地する風力発電=同市提供)

  地元メディア各社の報道によると、震度7の大きな揺れによって、回線が切れて電気が共有できなくなったほか、安全装置が作動して自動停止するなどして能登にある風力発電73基すべてが停止した。中には、ブイレイドそのものが折れるなど損傷したものが2基ある(今月10日付・北陸中日新聞)。

  震災から70日余り経ち、運転再開できたのは志賀町にある日本海発電(本社・富山市)が所有する9基のみだ(同)。ではなぜ再稼働が進まないのだろうか。以下は憶測だ。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。(※写真・下は、半島中ほど志賀町にある日本海発電の風車。1月19日の撮影時では停止していたが、2月に再稼働した)

  能登半島では今後さらに風力発電の増設が計画されていて、13事業・181基について環境アセスメントの手続きが進んでいる。風力発電は再生可能エネルギーのシンボルでもあり、珠洲市で現地見学をさせてもらったことがある。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件にある、と説明を受けた。

  今回能登での風力発電の立地に地震というネックがあることが露呈した。果たしてこのまま181基の立地計画が進むのか注目したい。

⇒12日(火)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★能登半島地震 能登の特色「九六の家」は解体にも時間

2024年03月11日 | ⇒ドキュメント回廊

  さきほど午後4時53分に能登でマグニチュード3.4、震度1の揺れがあった。きょうで3度目となる(気象庁公式サイト「地震情報」)。揺れが収まらない中ではあるものの、被災した家々では修繕の動きが始まっている。きのう立ち寄った穴水町で屋根の修繕が行われていた=写真・上=。また、別の場所では半壊となった家屋の解体作業が行われていた。

  今回の地震では石川県全体で全半壊・一部損壊が7万9700棟にも及んでいる(3月8日現在・石川県危機管理監室まとめ)。このうち全半壊した家屋については所有者の申請に基づいて、自治体が費用を負担して解体ならびに撤去をする。いわゆる「公費解体」で、県では2万2000棟が対象になると推計している。これを来年の秋、2025年10月までに処理するとの流れだ。ただ、ことは予定通り運ぶだろうか。

  2万2000棟の解体で出る災害廃棄物は244万㌧にも及ぶ。問題は解体する数の多さに見合う業者を確保できるのだろうか。解体業者でつくる石川県構造物解体協会(金沢市)は富山、福井、新潟各県の業者にも協力を求め、2500人規模の態勢で作業にあたることを目指しているという(3月1日付・日経新聞)。244万㌧の災害廃棄物は石川県で出るごみの7年分に相当するとされる。量的にそう簡単ではない。

  ことが予定通りとならないのではと懸念するもう一つの理由は能登の家の特色にある、家の大きさだ。とくに、奥能登の家は「九六の家」と呼ばれる、間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家が多い=写真・下、能登町で1月5日撮影=。さらに、その中から屋内に残る家財などを手作業で分類することになり、家人が立ち会いするとなると時間がかかることになるだろう。思い出の品や仏壇、そして先祖代々伝わる逸品、いわゆる「家宝」が残されている場合はそう簡単ではない。通常の解体作業よりさらに時間がかかるのではないだろうか。

⇒11日(月)夕・金沢の天気   くもり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆能登半島地震 あれから13年、復興が見通せない気仙沼

2024年03月10日 | ⇒ドキュメント回廊

  被災地の復旧は順調に進むのだろうか。地元メディア各社の報道によると、一部区間で運休が続いている「のと鉄道」は来月6日に全線再開となる。また、ほぼ全域で断水が続いている珠洲市ではきょうから市内中心部の一部110戸で上下水道が復旧する見通し。ただ、断水は4650戸で及んでいて、復旧率は2%余りにとどまる。

  あす「3・11」東日本大地震から13年となる。宮城県気仙沼市の被災地に足を運んだのは、2ヵ月後の5月11日だった。当時、街には海の饐(す)えたような匂いが立ち込めていた。岸壁付近では津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船(330㌧)があり、津波のすさまじさを実感した=写真・上=。そして、2015年2月10日、再び気仙沼を訪れた。巻き網漁船はすでに解体されていたが、最初に見た街並みの記憶とそう違わなかった。4年経っても街ではガレキの処理が行われていて、復旧・復興はそう簡単なものではないことをこの時に初めて気づいた。

  きょうの読売新聞は、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の沿岸と東電福島第一原発周辺の42市町村の首長に対して行ったアンケート結果を掲載している。それによると、国の復興計画では2025年度までに復興工事が完了することになっているが、12人の首長が防潮堤や道路整備などハード面の工事について「完了しない」と回答し、うち8人が「完了時期が見通せない」と回答している。この8人の中には気仙沼市も入っていて、記事を読んで「やはり遅れているのか」と少々ショックだった。気仙沼市の場合は防潮堤の整備事業が遅れている。遅れの理由について、コロナ禍による人手不足と資材高騰などの影響があると、宮城県の担当者の説明を記事で紹介している。  

  元日の能登半島地震後に初めて輪島市の被災地を見たのは2月5日だった。1ヵ月以上経ってはいたものの、焼けこげた臭いがした。トラロープの結界を超えて、朝市通りに入ると焦土と化した光景が目に入って来た。店舗や住宅など200棟が焼けて、焦土と化していた。中心部の河井町の通りには輪島塗の製造販売会社の7階建てのビルが転倒し、横たわっていた=写真・下=。

  この横倒しになったビルは、陸に打ち上げられた気仙沼の漁船のように能登半島地震の「シンボル」の一つになるのかもしれない。と同時に、気仙沼と同じように、復旧・復興には相当な年月を要することになるのではと考え込んだ。というのも人出不足と資材高騰は今後さらに深刻になっていくように思えるからだ。

⇒10日(日)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする