魚のアトリエ”うおとりえ”

新鮮な魚を美味しく食べたい!!
 「魚っ食いの365日

魚の臭み

2010年10月20日 | 魚食生活
 魚は臭くない
 私が市場から買ってきた魚をさばいて、臭いと思ったことはない。ところが魚は臭いものと信じ込んでいる人が多いのは残念なことだ。
大抵の料理本にそう書いてある。臭みをとるためにために、ああしろこうしろと。まな板は、魚用と野菜用と区別しろと。下ろすときには、まな板が汚れるから新聞紙を下に敷いて、ハラワタはそれに包んで捨てろと。

 新鮮な魚は臭くないのに、取り扱いや自分の始末の悪いことを棚に上げて。まるで悪者扱いされている。つまり冤罪である。
まな板は使った後、よく洗えば済むこと。手が臭ければよく洗えば済むこと。新聞紙を下に敷いて魚が上手く下ろせるわけがない。臭い魚魚が刺身で食べられるはずがない。

 臭い魚が平気で流通していることこそが問題なのであって、魚に罪はない。消費者にあるいは料理の専門家にそう思われているのに、一向にそれを改善是正しようと思わない流通関係者は何を考えているのだろうか。テレビで見かける築地市場の人が、新鮮な魚の見分け方を解説している姿、あれほど不思議なものはない。

 新鮮な魚だけを流通させるようにすることが本来なのに。販売している魚屋さんの不始末ならば、改善を指導するか、新鮮でない魚を売らないように指導するのが本来なのに。「魚の臭みはこうして取り除きましょう」と言われて悔しくないのだろうか。消費者に魚は臭いものと思われていて魚の消費が伸びるはずはない。親切めかして消費者教育でもしているがごとき解説を聞くたびに腹立たしくてならない。

 確かに、新鮮な魚であっても匂いがないとは言えない。それはそれぞれの魚が持っている、むしろ香りであって、腐敗にいたる過程の臭気とは区別されるべきもの。果物だって、野菜だって固有の香りがあるから、そこに値打ちがあるのに。仮に無臭の魚があったらその魚は本当に美味しいだろうか。

 築地の移転問題が取りざたされているが、新鮮な魚の流通がどうあるべきかを考えないと、移転か再開発かいずれにせよ、魚そのものが見放されたら元も子もない。家庭で魚を調理して一番困ることは、内臓などの廃棄物の問題。これこそが一番の嫌われもの。どうしたら、ゴミ回収日まで臭くならないか、その方法を研究してもらえないだろうか。

 消費者に新鮮で美味しい魚を提供することを心がけるならば、その心は漁業者の方々に通じて、最適な獲り方をするようになるようになるのではなかろうか。確かに魚は鮮度保持が難しい。しかし、生産者から流通、消費者に到るまでこの”鮮度感”を大切にしなければ鮮魚の将来はない。わが国は長い海岸線を持つ国なのだから、新鮮で美味しい魚を食べない手はない。

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