みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

食料調達能力の問題

2012年12月31日 22時31分25秒 | お仕事・学び
この連載の目次

(前回から続く)

典型的な現代人として都市生活者について考えてみます。

都会では食料を生産できません。食料は、お店で買う (貨幣と交換する) ことで手に入れます。衣服も誰かが作ったものを買いますし、住居もお金で買うか賃借します。

都市生活ではお金が欠かせません。犬や猫が自活の能力を疑わないのと同程度に都市生活者が自活の能力を疑わずにいるためには、お金の不安がなければよいわけです。具体的には、十分な資産を持っているか十分な収入が得られれば、自分の力で生きていけるという自信を持つことができます。十分な資産がなく、十分な収入を得られる見込みもない場合は、都市での生活がおびやかされます。いつまでたっても十分な収入を得られる見込みが立たなければ、将来に対して悲観的になります。

農村の場合は、穀物や野菜、果物を自力で生産できます。山に入れば獣を捕らえることもできます。漁村でも同様に、近所の土地で穀物や野菜などを生産しながら魚を捕らえたり貝を拾ったりすることができます。今の日本では農村であっても衣服はお金で買いますし、住居 (と田畑、漁業権、漁船など) にもお金が必要なので、自分が消費する以上に作物や獲物を用意して換金する必要がありますが、日々直面する食料は自力で入手できます。農村や漁村では、作物が実ると信じ、獣や魚を捕れると信じていれば、自分の力で生きていけるという自信を持つことができます。収入の道が途絶えても、都市生活の場合より食料を確保しやすく、生活に行き詰まりにくいと考えられます。それでも、不作や不漁のときには生活がおびやかされます。不作や不漁が続けば、将来に対して悲観的になります。
自分の力で生きていけるという確固たる自信は、農耕と狩猟採集を組み合わせてもまだ得られないようです。

犬や猫は将来を悲観しません。自分の力で生きていけるという絶対の自信を持っています。犬や猫に限らず、野生生物はみんなどこかで食料を見つけ、どこかに住みかを見つけ、生きていきます。生きる力は人間の比ではありません。人間の自活能力はずいぶん低いようです。

社会の中で分業が進み、食料を調達する個々人の能力が低下したことに疑いはありません。しかし、食料調達能力だけの問題ではなさそうです。

(次回に続く)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。