hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

藤圭子、宇多田ヒカルの人間追求!

2013-08-26 09:11:10 | 日記
 芸能という異様な世界で、人間として在るべき姿を求めて生きるのは極めて難しいことです。 この二人の親子は、人間について知らなさ過ぎたのではないだろうか?

 日本人の持つ普通はとか、常識という概念に捉われると、それぞれが、こうでなければならないとか、在るべき姿を求め始めるのですが、人間と言う生き物は、そんな一括りに決め付けられる存在ではないのです。

 母、藤圭子が求めた理想と現実。娘、宇多田ヒカルが求めた理想と現実。全てにズレが生じていたのでしょう! 人間として、こう在りたい! と言うのと、こう在るべきだと言うのは別なのです。

 まだ若い宇多田ヒカルの方は、これからも悩み続けるに違いありません。 人間ですから、互いにズレがあるのは当然なのです。 相手に、自分の全てを認めさせ、相手の全てを自分が受け入れようとしても無理なのです。

 親子でさえ、無理なのに夫婦は尚の事です。 その面では柔軟に考える必要があります。 ところが、芸能や美術、文芸の世界で生きる人達には、妥協を許さない習性が身についてしまっているケースが多いのです。

 自分が築いた人間の枠組みに、家族まで填め込んでしまおうとすれば、相手にとっては受け入れられない事も多いのです。 その想いは、理想とかではなく、空想、幻想の範囲なのです。 現実は少なくとも、もっと泥臭いものです。

 幼い子供や若い世代には、理解出来ない部分も沢山あります。 理想と現実のズレがあることへの自覚が無いと、戸惑いと混乱が生じて来ます。

 自分という人間に拘り過ぎると苦悩が始まります。その上に、ジャブジャブと注ぎ込まれるお金があり、薬や誘惑も多い芸能の社会で生き抜くのですから、彷徨って当たり前です。

 とても荒波を超えられる体力も無いのに、荒海に飛び込んだようなものです。 結局、浪にのまれて、彼方に消えてしまった放浪者のような親娘のように見えます。

 娘の宇多田ヒカルさんが、幸せに生きていく為には、母、藤圭子との人間としてのズレを見極め、それでも幸せに精一杯生きた母を称えて送り出す気持ちが大切です。

 それが出来ないと、母と同じ煩悩の中を彷徨うことになります。 人間として何が幸せかは様々だと悟ることでしょうか? どうぞ、お幸せに!!

日教組と政治の変遷!

2013-08-26 00:08:46 | 日記
 政治と言う国民にとって最も重要な機構が大きく変わりつつあります。 自民の政治の時代が一旦、途切れて再び自民に戻った状況でありながら一層、混迷を深めている政治の世界!

 最終的に何が、どう変わってきたかと言えば、勤労者の為の組合の崩壊が齎した結果と言えます。 民間の労働組合は資本家に骨抜きにされ、国労、動労は民営化の名の下に分散され、いよいよ日教組まで指針と方向を見失い、民主や社民から引き離されて混迷の時代に入りました。

 労働者の為の労働組合が、特権階級と裏で結び付いて悪巧みに加担する時代になったのです。 隅々までに行き渡った組合潰しの策略に完全に嵌られてしまった日本社会の最期の姿と言えるかも知れません。

 政治や経済の学者という輩は所詮、強欲者の手先でしかありません。 高尚な思想と信念を掲げ、理想を実現する為に必死に努力すると言うような理念を、日本の学者は持ち合わせていないのです。

 目先の金と欲しか持ち合わせない人間の集合体では、国の発展はありません。 国を率いるトップに居座る連中の質の問題です。 絶えず、欲に塗れた本音を、言葉巧みに正当化させて姑息に国民の浄財をクスネル事しか考えていないのです。

 アベノミクスはその最たるものです。 国民の為の政治なんて、何処にもありません。

 世界中に蒔き散らされる、強欲者の策略! 特に日本にとって民主主義はヨーロッパからの借り物でしかなかったのでしょう! 

 本当の民主主義って何なのかを、もう一度考え直す時が来ています。