hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

自民党の合憲論と酒鬼薔薇君の出版動機論!

2015-06-12 03:12:20 | 日記
どちらも言葉の玩具である。 何かを正当化しようとしたり、自分自身を納得させようとする時、人間が陥る選択です。

その行為や行動が、無理無く認められることも稀にあります。
酒鬼薔薇君の手記出版が世間からも土師君の家族からも受け入れて貰えるとすれば、その行為から産み出されるもの以上に、それに見合った人間としての義務と責任を果たした上でなければなりません。
どういう事かと言えば、例えば、自分が酒鬼薔薇である事を世に晒し、堂々と手記出版の必要性や必然性を説明してからでなければなりません。

普通の一人の人間としての行為として世間から認められるには、人間としての義務や責任も果たせる存在となる事が必要です。
自民党も、安保法制が国民にとって必要であり、憲法にも合致してると言うのなら、過去の特殊な裁判や、独り善がりな解釈ではなく、誰からも後ろ指を指されないような説明が必要です。

自分だけの思いで都合良く、理屈を並べてみても単に独り善がりに過ぎません。 それに見合った客観的な正当性を必要とするのです。

独り善がりな理由の場合を世間では屁理屈と言います。 政府や自民党は正に、それです。
酒鬼薔薇君も同じです。 君の場合は、自分だけの思いでは通りません。
それに見合った行動が伴えば、認められる場合があるかも知れません。

土師君の家族からも認めて貰えるかむ知れないのです。
酒鬼薔薇君も自民党も、相手から認められる要件を満たす必要があるのです。
自己本位に、一方的に権利を主張できるた立場にはないことを、しっかり認識しなければなりません。