日本人が、このような感覚や感情のズレがあることに極めて鈍感なのは、近隣諸国に限らず、世界に知られているところです。
どんな人間にも民族にも特性はあるものです。日本人にも優れた部分は沢山有ります。
しかし、長所があるからと言って短所が補えるものではありません!
日本にとって、日本人が使っている日本語の複雑怪奇な部分も長所であり短所でもあります。
ひらがな、カタカナ、漢字と表現力豊かな言語を使い分けています。
似たような表現の言葉が、場合によって2通り3通りに使い分けられています。
例えば、"いいですよ!"と答えたとします。この"いいですよ!"の言葉には、了解したと言う意味もありますが、要らないですと言う意味もあります。
これを言うのに、"結構です!"と言う言い方をする場合もあります。
要るのか要らないのか?どちらにも使うのです。その時の前後の言動を絡めて判断する訳です。
最近、問題になっている躾と虐待の表現や言動でも、どちらと決め兼ねる日本語も多いのです。
この曖昧さを上手く使い分けて日本社会には、グレーな解釈が増えています。このグレーは、いくらでも拡大出来ますから利用する側次第で、酷い扱いに成ります。
その範囲についても極端に使い分けられています。所詮、グレーですから容易に善悪を決めることも出来ない状態が続くのです。
この出鱈目な判断や解釈が、如何にも正しいかの如く扱われているのです!
この状態を、柔軟な考えと捉えることも出来ますが意味不明で理解不能な対応とも言える訳です!
この得体の知れない存在が日本であるとも言えます!世界からは、この得体の知れない国の良い処を見習おうとする面があります。
効用も悪用も使う側の資質が問題です。日本の政財界では悪用が目立ちますね!
オモテナシや忖度も、この曖昧さの象徴です。度を越せば、犯罪に成ることさえ日本人は忘れてしまっています!