絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

あれこれしている間に

2006年07月02日 23時12分28秒 | Weblog
あれやこれやばたばたしている間に、もう7月に入ってしまった。
沙羅の花は散って、いまはアガパンサスが咲こうとしている。
実をいうと、アガパンサスはもっと速く増えてくると思っていた。
しかし、結構うちの庭では成長が遅く、去年などは花も咲かなかった。

この花が咲くと、いよいよ「夢見るような夏」が始まる、
そんな気持ちになる。
(実際はただ暑さが本格化するだけなんだが…)
真夏のけだるさと蝉の声、木陰に休む蜥蜴のくるくると動く尻尾
そんなことを連想させる。。。
連想は連想を呼び、「夏休み」の幼い記憶がよみがえってきて
ひとしきり、郷愁に浸るのだった…。

家族とは

2006年07月02日 17時30分49秒 | 子ども
木曜日夜に長男が帰省した。
就職する会社に呼ばれて東京まで出てきたので
祖父の見舞いがてらの帰省だった。

お兄ちゃんが帰ってくるというので
家の中がなにかちょっと華やいだ感じになる。
不思議だ。これといって特別なことはないのだけれど・・・。
年老いた親だけが住む家に子どもや孫たちが訪れると、
にわかに家の中が活気付く、それと同じなのかもしれない。

遠く離れた大学に入った頃は、
長男ひとり帰っていくのがかわいそうに思えて
(というか、自分自身が寂しくて)
弟と一緒に涙がこぼれたりしたが・・・

最近になって、親があれこれ指図せずとも
自分で考え行動していくだろうと、
子どもと自分を切り離して考えることがやっと出来るようになった。

人の一生の中で、親子が親子らしくべったりと一緒にいる期間は
実は短いのではないかと思う。
思い出とともに、親子していられた時代を振り返られることを
幸せに思う。



「いじめ」はどこから

2006年07月02日 00時37分37秒 | Weblog
しらんぷり

ポプラ社

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学級文庫にこの本を入れようかどうしようかと
悩むところでしたが、結局入れませんでした。
この本は、題名のとおり、いじめられている友達のことを
しらんぷりして助けられなかった子どもの気持ちを
描いています。

この本を読んで、「そうだ、いじめはいけないことだ」とか
「しらんぷりするのは特にいけないことだ」とか
一般論を言うのはたやすいことです。
子どもたちも勿論「いけないこと」だと思い
そのように言うでしょう。
でも、いざ、その場面に出くわしたとき
どれくらいの子どもがそれを実行できるのでしょうか。

子どもの世界は、大人が考えているほど「清く正しく」は
ない、子どもなりの尺度で考え、目いっぱい生きている
といってもいい過ぎではないと思います。
ある意味、大人よりも露骨な力関係の中で
さまざまなことが行なわれていくのです。

そうした「きれいごと」ではない子ども社会の実態を
保育するものたちは、肝に銘ずるべきだと思います。
「いじめ」の予兆は必ずあり、しかも頻繁に繰り返されますが
周囲の大人がこれに気づかないことは致命的であります。

一方「いじめ」をする側の子どもの気持ちを考えて見ますと
それはもう例外なく「愛情の渇望」であり
「自分の欲しているもの=親の関心など」を持っている者への
攻撃や弱者への痛めつけという形となって現れてきます。
その子どもは言い方は変ですが、したくてやっているのではなく
やむにやまれぬ気持ちで、相手を痛めつけてしまうわけです。
それは、その子の罪というよりそのこの置かれた環境のなせる業と
言ってもいいのかもしれません。
ですから、その子どもの環境が変われば
(例えば家庭内の状況が変わる)
排他的な行為は自然消滅していくのです。

いずれにしても、泥縄式の話し合いではなく
日頃からお互いを認めていくような学級づくりが
なにより大切ではないかと思う私でした。