最近ホントよく聞くこの言葉。
何ですか?食肉?と間違えそうな…いやいやまじめな話で。。。
いつも行く美容院のお姉さんと話していて
その人のお母さんが畑をやっていて、毎日新鮮な野菜を
食べている、というのを聞いてうらやましく思った。
何が贅沢って、自分で作った無農薬野菜を食べるなんて
ほんと恵まれてる
そこまでできなくても、日々の食事を大切にするのは
当たり前のことのように思えるが、
近頃は当たり前が当たり前でない世の中なのだ、きっと。
今は田舎の団地に住んでいるので、消費生活も都会とは
比べ物にならない。
便利の良いところに住んでいた頃は、やはり、環境が
消費を促すようなところがあったと思う。
もう、家の中のこと何もかも、金銭でまかなえないことは
ないかのごとくの環境であった。
そういう中では、よほど意識的に自ら汗して食事など作らねば
家庭という形態そのものが単なる「同居」になりかねない
危うさがある。
(いまやそんなことさえ気にしないほどの事態かも?)
「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるが
人の暮らしの中で「ともに食べる」ということは
非常に大切なことの一つであるに違いない。
「おいしいね!」が飛び交う食卓
上の子が小さい頃はよくそんなことを考えていた。
いまは、子どもたちが独立した後、「おふくろの味」として
私のどの料理を思い出してくれるんだろう?と
ふと思ったりする。。。
何ですか?食肉?と間違えそうな…いやいやまじめな話で。。。
いつも行く美容院のお姉さんと話していて
その人のお母さんが畑をやっていて、毎日新鮮な野菜を
食べている、というのを聞いてうらやましく思った。
何が贅沢って、自分で作った無農薬野菜を食べるなんて
ほんと恵まれてる
そこまでできなくても、日々の食事を大切にするのは
当たり前のことのように思えるが、
近頃は当たり前が当たり前でない世の中なのだ、きっと。
今は田舎の団地に住んでいるので、消費生活も都会とは
比べ物にならない。
便利の良いところに住んでいた頃は、やはり、環境が
消費を促すようなところがあったと思う。
もう、家の中のこと何もかも、金銭でまかなえないことは
ないかのごとくの環境であった。
そういう中では、よほど意識的に自ら汗して食事など作らねば
家庭という形態そのものが単なる「同居」になりかねない
危うさがある。
(いまやそんなことさえ気にしないほどの事態かも?)
「同じ釜の飯を食った仲」という言葉があるが
人の暮らしの中で「ともに食べる」ということは
非常に大切なことの一つであるに違いない。
「おいしいね!」が飛び交う食卓
上の子が小さい頃はよくそんなことを考えていた。
いまは、子どもたちが独立した後、「おふくろの味」として
私のどの料理を思い出してくれるんだろう?と
ふと思ったりする。。。