子どもへのお小遣いを「手当て制」にしたモデルを日経が堂々と記事にした
のを読んで、それに違和感を持つ自分の感覚の根拠は何かと問うてみる。
作業とお金、労働と賃金、その図式が家庭のど真ん中にあるのは何故?
それが「信念」や「家訓」でもないのに自然と行なわれていくのは何故
なのか、自分は不思議に思うが、それは自分が外に向かって働いていないから
自分の労働が一銭も賃金化されていないから、ではなかろうか。。。
いま、主婦の50パーセント以上の人が、何らかの形で働いて
外貨?を導入しているという。
ちまたの意識も「働かざるもの、食うべからず(ちとふるい!?)」という
ものであり、ジェンダーフリーも【経済的自立】なくして成り立たぬ、
と言われている。
つまり、何らかの形で「労働」を金にしろ、ということである。
家にいて、子育てだの掃除だの料理だの、そんなものをしても
一銭にもならないので価値はない、ということなんだろう。
子育ても掃除も料理も、男女が分担し(あるいは金を払って外注し)
家庭生活に関わってくるさまざまなことは
当事者自らがすべてをやる必要はないのである、というような
ことなんだろうか。
企業も、ほんとのとこはわからないが、女性重視でないと
「れっきとした会社」とみなされないので、必死で形式を整えようと
している。これは、どういうことなんだろうか?
国ももちろん「男女合同参画事業」なるものを、各自治体に
盛んに推奨して、実現するよう力を入れているようだ…
また、一方で「家庭の教育力の低下」が叫ばれて
教育の見直しが言われているけれども。。。
家庭教育も、学校教育も、たとえその重要性を言われたとしても、
実質はみなどちらを向いているかといえば
「お金稼ぎ」のほうを向いているのだから、
改善されることはなかなか難しいのではないか?
「教育」という仕事の価値、ステイタスが非常に低くなってしまい
お金に直結しない、徒労も多いこの仕事に、みな、重要な意義を
見いださなくなってしまったともいえる。
家庭とは何か?と問うとき、それはある種「人間の再生産」ともいえるだろうが
(あらゆる家庭内のことが外注されて生活が成り立って)
もはや、そんなことは必要ないのであれば、
世の中のありとあらゆる人が働きに出て
【専業主婦】という言葉も、やがて死語になっていくだろう。
のを読んで、それに違和感を持つ自分の感覚の根拠は何かと問うてみる。
作業とお金、労働と賃金、その図式が家庭のど真ん中にあるのは何故?
それが「信念」や「家訓」でもないのに自然と行なわれていくのは何故
なのか、自分は不思議に思うが、それは自分が外に向かって働いていないから
自分の労働が一銭も賃金化されていないから、ではなかろうか。。。
いま、主婦の50パーセント以上の人が、何らかの形で働いて
外貨?を導入しているという。
ちまたの意識も「働かざるもの、食うべからず(ちとふるい!?)」という
ものであり、ジェンダーフリーも【経済的自立】なくして成り立たぬ、
と言われている。
つまり、何らかの形で「労働」を金にしろ、ということである。
家にいて、子育てだの掃除だの料理だの、そんなものをしても
一銭にもならないので価値はない、ということなんだろう。
子育ても掃除も料理も、男女が分担し(あるいは金を払って外注し)
家庭生活に関わってくるさまざまなことは
当事者自らがすべてをやる必要はないのである、というような
ことなんだろうか。
企業も、ほんとのとこはわからないが、女性重視でないと
「れっきとした会社」とみなされないので、必死で形式を整えようと
している。これは、どういうことなんだろうか?
国ももちろん「男女合同参画事業」なるものを、各自治体に
盛んに推奨して、実現するよう力を入れているようだ…
また、一方で「家庭の教育力の低下」が叫ばれて
教育の見直しが言われているけれども。。。
家庭教育も、学校教育も、たとえその重要性を言われたとしても、
実質はみなどちらを向いているかといえば
「お金稼ぎ」のほうを向いているのだから、
改善されることはなかなか難しいのではないか?
「教育」という仕事の価値、ステイタスが非常に低くなってしまい
お金に直結しない、徒労も多いこの仕事に、みな、重要な意義を
見いださなくなってしまったともいえる。
家庭とは何か?と問うとき、それはある種「人間の再生産」ともいえるだろうが
(あらゆる家庭内のことが外注されて生活が成り立って)
もはや、そんなことは必要ないのであれば、
世の中のありとあらゆる人が働きに出て
【専業主婦】という言葉も、やがて死語になっていくだろう。