ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

過ぎる日

2015年12月03日 | 日記
 時間の経過は時代の積み重ねであり、時代的経過を振り返れば、奥行きがある。
 歩んできた歴史である。
 彼を知り・共に仕事をし・酒を酌み交わし、年月の経過と伴に、年に一度の御機嫌伺い(年賀)が通年となっていた。
 この様な通年であった過ぎる日(2015年11月)に、新年の挨拶状が出せない事情(日記「訃報連絡(2015.11.13)」)から、彼の訃報を知ったのである。
 そして、過ぎる日、遅きに資したが、弔問をさせて頂いた。
 地理・不案内(記憶が乏しくなっていた)ではあったが、微かな記憶をたどって訪問を試みた。
 ”彼”が導いてくれたと思える結果であった。
 廃業し、看板などの確かなモノは無かった。
 しかし「彼の自宅であることは、間違いは無い!」と確信した。
 記憶を頼って、ご実家(ご両親が家業を営んでいた)の裏側にある、彼の自宅の玄関に起った。
 インターホーンのボタンを押せども、返事が無い。
 持参した御供え物を、置いて帰ろうとした。
 その様な時に、一台の自動車が、車庫入れをしている。
 奥さんであった。
 此れもまた、彼の差配であろうか・・?
 ご位牌の前への案内を受け、拍手(かしわで)の真似事をして、彼の位牌に礼拝した。
 気丈に振舞われ、私の知る・彼の奥さんであった。
 病を発症し、死に至る十年ほどを語って頂いた。
 時として笑みを浮かべ、時として悲しの表情で”彼の死”を語っていただいた。
 病名が付いたのが一年前(程)であったという。
 所謂・難病であった事を明かしていただいた。
 その”死”が、余りにも早かったこと、そして、突然であったこと。
 今もって「何処に居るの?トイレ?」と、声をかけながら、探す日常であると言う。
 如何に、思いもしない事であったかを、察するに余りある。
 早々に退出する心準備で望んだ弔問であったが、有に一時間を越えて、話題は尽きなかった。
 「良い、お写真(遺影)ですね!」
 「そうです。(数年前=発症後)同窓会での写真です。主人の笑みある(最近の)写真は、此れだけです」
 闘病生活を支えた過去と、今ある気丈夫に振舞う笑顔が、悲しかった。
 そして(今は亡き)彼には「(闘病生活は)辛かったでしょう。安らかであれ・・・」と願うものである。
 
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