時が過ぎ去っている証なのでしょう。
日記(「時間の経過(2015.11.25)」)にした時に比べ、今日(12月21日)に至っては、大きく進展してる。
”血豆部分”を洗浄してみた。
すると洗い落とせた。
やがて、痕跡もない状態に修復(回復)することでしょう。
時間的経過が成せる技であろう。
そして、今日・一つの出来事として、行動した。
以前から、眼鏡の不具合を感じていた。
それは、半田鏝等での作業では、眼鏡を外し・拡大鏡が必要とする有様である。
年齢的に、近視に老眼が加わると、眼鏡を附けても・外しても見え難い状態となるのである。
「もう、此れで良いか!」いや「此れからも”細かい(眼を使う)”事を続けたい」と、自問自答と言うか、葛藤が続いていた。
揺れ動く、気持ちを反映してか、スポーツジムに行った序に、眼鏡の形や価格はどの様なものか「見るだけ見てみよう!」と、眼鏡店に足が向いていた。
もう、40数年来、利用している眼鏡店(系列店)である。
「見るだけ!」と、自分自身に言い聞かせながら、多くあるフレームをみて、男性用と思える展示場所に到達した。
女性店員が近づいてきた。
「やはり来たか!」
女性店員は、大きな姿見の鏡を準備する。
「やばいぞ!」
「見せて下さい」
「どうぞ!」と云ったものの、離れようとしない。
表示価格について聞いた.
「レンズ込みです」
「遠近でも良いの?」
「(遠近でも、〇〇円以上は)表示価格で出来ます」
段々と、見えにくい今の眼鏡を、何とかしたい・今までと違った景色が観て見たい、との思いが強まってきた。
結果的に「此れが、最後の眼鏡(更改)に成るのだろう!」と注文した。
今・使用している眼鏡は、20年程前に改めたもの。
加齢と伴に、近視部分は緩和されるらしい。
”老眼”となる反動らしい。
フレームは気に入っている!と言うか、現役時代に、気に入って入手したものである。
現在のフレームにして、レンズの交換は、四度目であろうか?
過去の更改の周期から、数年後には”眼鏡は必要か?”を問わなければ成らない年齢に達する事になる。
即ち、次回の更改周期時に、眼鏡を必要とする”何かをしているか・・・?”と言うことである。
我が人生における”記念すべき眼鏡”になるのであろうか?と思うと寂しくなる。
しかし”更新する意欲”を継続する気合は、此れからも持ち続けたい。
例え、90に成ろうが・100になろうが・・・
(爪の伸びる様から)寸断無く続く”肉体的加齢”という現実には、逆らいたい。
半田鏝を持つのも、木工作業するのも楽しい。
今までの様に、継続させたいとの、思いである。
経験した事のない”此れからの世界”の有り様を想像しつつも、元気な生活を維持する努力は継続して行きたいと、強く思った”買モノ”であった。
”阿呆は年取らん!”をコンセプトに、これからも生々としていきたい。
新たな”眼鏡”から見える景色は、如何なものでしょう?
受け渡しの一週間後が、楽しみである。