ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

ちいさな命

2016年03月13日 | 日記
 メダカが孵化した話(日記)である。
 今・現在、我家には11匹のメダカが居る。
 そして、三匹のメダカが、3~4度程、産卵(卵を離)した。
 今まで、孵化する事を心待ちにしていたが、白濁し孵化しなかった。
 しかし、今日・水槽を確認すると、4匹の小さな”命”を確認することができた。 
 「良かった!!」が、正直な感想である。
  
 今日の絵日記の絵(写真)の説明。
 写真左:水槽の様子。 容器は、実家から貰って来た「火鉢」である。
 写真右:3匹の小さな、孵化して間もないメダカで、6匹に見えるが容器に映る”影”が3つである。 大きく育ってほしいと願っている。 
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2011・3・11の事

2016年03月12日 | 日記
 東日本大震災から、昨日は五年目の日であった。
 被災から五年を経過しても、今もって帰宅も・住宅の再建も出来ていない・出来ない人達が大勢いる事に、心が痛む思いである。
 私は、昨年・被災地を訪れる機会を得た。(日記「被災された東北方面に行くにあたって(2015.6.16)」他)
 災害(津波被害)から”身=命”を守るため、山を削り”生活の場所”を盛土による造成している様子も実際に、この目で見てきた。
 盛土は、切土に比べ”弱い”との知識がある。
 土質改良も必要なのでしょう。
 住居などの建設は、今もってなされていない。
 現地を見て・触れる(接する)事は”百聞は一見に如かず”と云う事でしょうか・・・?
 報道されている現実が、理解できるのである。
 放射能汚染で、帰宅し・住むことが許されない街並みも見てきた。
 天災・人災が複雑に絡み合った「東日本大震災」である。
 一日も早い、穏やかな日常に復帰できる事を、祈らずにはいられない。
 色んな思いが交差する昨日の3月11日であった。
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一皮剝ける

2016年03月11日 | 日記
 一昨日(9日)オーディオの師であるI氏とS氏の訪問を受けた。
 私のオーディオ装置の再調整と、S氏のオーディオ・ソースを聞かせて頂くのである。
 S氏のオーディオ・ソースとは、Macのパソコン(音源=音楽をメモリーした)と、DD装置+DAコンバーター等のメイン・アンプの入力部分である。
 再調整後に、I氏が持参された音楽ソース(CD)を聞かせてもらった。
 ”一皮剝けた”感がした。
 思いは直ぐ我が身に向いた。
 「(私のオーディオ装置も)やるぅ!」と、そして、手造り(組立キット)アンプも立派に、その役目を果たしている事にも嬉しくなった。
 本来、低域アンプは、馬力が必要であるのだが、バックロード型で効率も良いのか、乏しさは感じらない。
 そして、S氏の装置を。我が家のデバイディング・ネットワークの入力に接続し、聞かせて頂いた。
 微妙な表現ではあるが”薄皮を一枚・剥いだ”感じでしょうか。
 よりクリアな音質であった。
 諦めかけていたMacへの思いが再燃した。
 I氏・S氏の勧めもある。
 日時が過ぎた今日(11日)も、音楽を聴きながらの日記を書いている。
 慣れる事が得意と云われる”人間”で、幸運です。
 今ある”音”が素敵と思えるのである。
 クラシック音楽を聴く機会が多くなっている。
 静寂な部分での、ハム音(雑音)も無く、大音量の部分にも応答している。
 心地よい。
 しかし、世の中・凄い人が居るものである。
 「3Wayでは、限度!」と云わしめる”聴力(音域を聞き分ける)”の持ち主が・・・
 
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何で、そこまでするのかなぁ!

2016年03月10日 | 日記
 ジャンルと云うか、分類は判らない。
 お笑い番組なのか? バラエティ番組なのか?
 所謂”お笑い芸人”が、お笑いを誘う演技(コントやギャグ)をする。
 しかし、面白くも・可笑しくも無い場面で”笑い声”がすることに、違和感を覚えるのである。
 それも、爆笑と云える程度の、笑い声である事が特徴である。
 視聴者参加番組(バラエティ番組)では、ないのでしょう。
 参加者の姿がない(映らない)
 声だけ・・である。
 番組参加者が居て、ディレクターなる番組の指揮者の、サイン(カンペ)で「はい!此処で笑って!」なら、番組の程度は別にして”物語(番組)”を構成する演出して、理解もします。
 爆笑する声だけの番組・此れって! 番組担当者が「この番組は面白くないので”(笑いの)擬音”に誘われて、笑ってやって!」と、TVを観ている視聴者に、懇願している事なのでしょうか?
 いくら、仕組まれても・指示されても、面白くないものは、面白くも・可笑しくもない。
 何で、そこまでしなければ成らないだろうか?と思ってしまうのは、私だけであろうか・・・?
 ”笑い”の琴線に触れるか触れないかは、人・夫々である。
 ”笑い”まで、演出しないでほしい。
 擬音(笑い声)を入れてまで、構成しようする手法に、寂しい思いがするのである。
 舞台演芸でない、視聴者の反応が判らないというハンデはあるだろうが、本気で笑わすコント(会話)であって欲しい。
 擬音に頼らず・・・
 かく云う私は、面白・可笑しければ、
  時として”笑み”を浮かべ(ている?)
  時として、声を出して”笑い”
  時として、涙と伴に”笑う”事が出来ます。
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季節も替わりつつ・・!

2016年03月09日 | 日記
 昨日(まで)は、春の暖かさを感じ、今日は・一転、寒さを感じる日となった。
 朝食を済ませ、暖房用の灯油を買って、開店・間もないドラッグ・ストアに行った。
 展示販売する商品の入れ替えの作業をしていた。
 早くも、夏の定番”蚊取線香”を大量に陳列していたのである。
 今日、身体に感じる寒さから「えぇ!早(くも)・蚊取線香?」と思ったものであった。
 しかし”蚊”の飛び交う季節へと、着実に向かっているのでしょう。
 正に「三寒四温」の季節(時期)なのでしょうか・・・?
 この時期は、気候の変化に、体調が付いていけなくて、体調不良を訴える、嫌な時期とも云える。
 昨日に比べ、寒さを感じる今日にあって、視覚的に違和感を感じたことであった。
  蛇足:「三寒四温」とは、寒い日が3日ほど続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなると云う様に、7日周期で寒暖が繰り返される気象状況を
    云う様である。
     そして、中国北東部や朝鮮半島で、みられる現象との事。
     日本では、三寒四温が、はっきりと現れる事はなく、一冬に一度あるかないかという程度らしい。
     そして、日本で「三寒四温」の表現は、適切でないと云う論議(人)もあるとのこと。
     「三寒四温」は”冬の季語”との事ですが、春先に使われるの一般的である様です。
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たった・2Km 雪ってなんだ! (加筆)

2016年03月08日 | 日記
 難しい日記を書こうとしている。
 昨夜、1977年に東宝映画で公開された「八甲田山」と云う映画(DVD)を観る機会を得た。
 新田次郎氏の「八甲田山 死の彷徨」が原作である。
 ロシアとの戦争を前にして、雪中行軍を”実験”した実話に基づく物語(映画)である。
 雪という悪魔の世界の中で、30分にも満たない距離(徒歩)を、走破出来ない(悪戦苦闘する)なか、発せられた言葉が、今日の表題である。
 私は、社会人(勤め人)となって、余暇を活用し、登山(山登り)に夢中になった時期があった。
 同僚に、後輩ではあったが、学生の時”山岳部”で活躍していたN氏が居た。
 この人からは、山の楽しさや、恐ろしさを教えてもらったと思っている。
 彼を通じて「加藤 文太郎」と云う”登山家”を知った。
 そして、加藤 文太郎と云う登山家をモデルにした、新田 次郎の小説「孤高の人」に出会った。
   蛇足:私も、読書にハマった時期もありました。
 「孤高の人」との表題のとおり、加藤 文太郎という人は、単独で山登りをする人の様であった。
 この物語(小説)の多くは忘れた・・・が、人に乞われて同行した山で遭難死したと、記憶している。
  補記:加藤 文太郎氏の手記「単独行」と、小説(孤高の人)での遭難死に至る経緯が、異なる様ではある。
 また、映画「八甲田山」で描かれているのは、二つの”隊”の対比である。
 上級士官が、雪中行軍の士官に同行する210名の大編成隊と、37名の小編成隊を対比する形で描かれている。
 そして”山”をよく知る地元の人を「案内人」に仕立てた隊と、軍隊という”プライド(?)”からか、雪中行軍士官が頼んでいた道案内人を上級士官が、追い返すという、二つの”隊=組織”の性格としても、この映画は描かれていた(実話ではあるが・・・)
 結果、37名の隊は、全員・無事帰還を果たし、大編成隊は、205名(内・救助後6名死亡)が、死亡している。
 山・特に雪山での知識に基づく判断が、生死を分ける結果となる・・・・
 富士山・測候所にも、勤務経験のある新田 次郎氏の世界観である。
 私は、この映画(八甲田山)が公開される5年(程)前の、1972年(?)の正月、生死を彷徨う経験をした。
 大晦日から正月・元旦までの「宿直・宿明勤務」であった。
 家族は、息子の休園を持って、実家に帰省していた。
 勤務が明けて、帰省する途中に、夏山などで親しんだ”山(山小屋)がある。
 正月(1日の夜)を、山小屋で過ごすもの”一興”と考え、軽装で向かった。
 山道(車道)を離れ、登山道を歩き始めたのが、14時頃であっただろうか・・・?
 何度か来た道(登山道)であった。
 杉林を抜けると、雪が降っていた。
 暫くは、見覚えのある山道を進んだ。
 しかし、白一色の世界と成って、見覚えのある山道は一変した。
 怖くなった。
 引き返す決断をした。
 降り積もる雪で、私の歩んだ航跡(靴跡)も、山道もかき消されている。
 迷った!と思った。
 この時の、私の判断は、今も鮮明に覚えている。
 「川(沢)に沿って下れば人家がある!」であった。
 川の流れる微かな音を頼りに川面まで下った。
 周囲は漆黒の世界である。
 「落ち着け!」と言い聞かせ、川の水を汲んで、お茶を沸かした。
 お茶を啜りながら「(私は)死ぬんだ!」と思った。
 寒さと恐怖が襲ってくる。
  注:ラジウス(コンロ)等は、山小屋で夜食を造るために、携行していた。
 暖かなコップの温もりが、凍えた手には心地よかった記憶が、映画を観ながら蘇ってきた。
 川筋を、水の流れに導かれ、下って行った。
 やがて、幸運にも、林道の橋梁に辿り着いた。
 沢から這い上がり、林道を歩いた。
 電柱と出会った。
 ”人”が居る気配である。
 電柱に刻まれた(表示)番号を見た。
 そして、次なる電柱番号が若返っている事を確認した。
 「助かった!」と意識した。
 沢に降りる事への、賛否あるとは思う。
 しかし、私は、今も生きている。
 ①川は、海につながっている。
 ②海に至る間に人家は(必ず)ある。
 当てもなく彷徨うよりも、方向性(川の流れ)のある”沢(川)”を選んだ、理由であった。
 地図も・磁石も持たない”慣れた・知った”道との自負での落とし穴であった。
 これ以降、単独での登山と、雪山はやめた。
 雪山の恐ろしさを、思い出された、映画「八甲田山」であった。
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我が家の年度末・・

2016年03月07日 | 日記
 今日「確定申告書」の提出を終えた。
 例年、Webでの提出であったが、カード読取器(バージョン?)とパソコンの整合性が悪いのか「確認できません」と云う様な表示がされる。
 今までなら、不具合を解決していた。
 しかし、今年は、止めた! 
 パソコン・ソフトのバージョンアップをしたものの、元に戻した事もあり、問題としなければ”点”が多岐に及んでいると判断したのである。
 従って、今年は、税務署に出向き、確定申告作成画面(e-Tax)から作成した書類を提出した。
 毎年・廻って来る、我が家の「年度末処理」は完了した。
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行方が判らない

2016年03月05日 | 日記
 衛星放送で「北の国から 2002 遺言」の放送があった。
 「北の国から」は、1981年から、TV(地上波)放送された番組である。
 1981年から始まった・24話の連続放送と、1983年から2002年の間で、放送された8話のスペッシャル・ドラマで構成された、壮大なTVドラマであった。
 物語を構成する出演者が、代わらなかったことも感動的な”物語”であった。
 小学生の時代背景から、成人し・結婚等(21年間)に至る、物語である。
 放送終了後、レンタル・ビデオ・ショップで全巻をレンタルし、此れまでにも、何度と無く、気長に観たものであった。
 ”ハマっていた”のである・・・今でも!・・・かな?
 「北の国から 2002 遺言」で、満潮になると消滅する”温泉”は、衝撃的な一場面であった。
 想いが高じて、2005年に、初めての北海道ツーリングで、入浴を果たした。
 前置きが永く成った。
 今回・観た映像は、鮮明で、新鮮さを覚えるものであった。
 そして”満潮で消える温泉”=せせき温泉(羅臼町)を、観るに至って「ふくちゃんの絵日記」にしたいと思った。
 絵日記するため、パソコンに記録した、入浴中の写真を探した。
 見当たらないのである。
 混ざってしまったものか、消失してしまった事なのか、不明である。
 無くなっていたらどうしょう・・・
 ”せせき温泉”は、今も存在する。
 しかし、当時の記録(写真)は、時代的にも、再演されない・思い出深い物語である。
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工具の維持

2016年03月04日 | 日記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、不覚にも、錆びさせてしまった工具(電工工具)である。
 炊飯ジャー等の置台を制作した際、電源コードの引き回しを無くするため、コンセントを設置した。
 配線工程上、圧着工具(写真)が必要であったことから、電工工具箱から取り出した。
 唖然とした!
 発錆しているではないか・・・
 一年以上も使用していない。
 この状態(発錆した)を観て、親父を思い出した。
 父は、一日の仕事が終わると、機械オイルとウエスで拭いて、所定の位置に仕舞っていた姿を記憶している。
 「仕事に工具は大切!」と云う事を自然に教えていたのでしょう。
 ペンチ類は日常的に使用していることから”発錆”はない。
 不稼働な、他の工具も点検し、、錆止めをしなければと思った。
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余暇を楽しむ!  (4日追記・修正)

2016年03月03日 | 日記
 何の事はない、何時”余暇”である。 
 何もしない、余りある時間を有効的に・・・
 今日は・トースターと炊飯ジャーの置台を造った。
 此処に至るまでに、トースターの置台となるモノを、DIYショップ等で、探していた。
 私の脳裏にある”仕様”に、サイズ・価格が、適合するかどうかであった。
 5,000~10,000円で、有るにはあった。
 しかし、高さや、サイズが(私の)思いに達せず、購入をやめた。
 造るしかない。
 時間はある。
 材料代3,000円ではあるが、出来上がったモノは、数万円に相当するでしょうか?
 と!思っている。
 
 しかし、目線的に、トースターを使う場合は、低く感じるし、炊飯ジャーを使う場合は、高く感じるのである。
 複数の器具を使う場合の、マン・マシーン・インターフェースの設定は難しいと思った。
  
 細工の一端を”自慢”させて!
 コンセントを設定した事と、”ダボ”細工でネジ釘を隠す細工をしました。
 我が家に、必要な”家具”として馴染んで、使い続けられることを、願っている。
 反省・天板の材料代に、1,300円程を消費した。
 ラワン材やベニヤ板で良かったのではないかと、思うのである。
 ”品”は良くても、載せた機材で隠れて、目立たないので・・・
 それと、経費節減にもなるし・・・・・

 4日・追記
  「材料代3,000円ではあるが、出来上がったモノは、数万円に相当するでしょうか?」と、表現したことについて
  コンセント付となれば、一般相場的に1万円超えになっていることから、この様に表現した。
  細工そのものは、やはり素人細工である。
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驚き桃の木山椒の木!

2016年03月02日 | 日記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、50年にも及び、愛用し続けている「JBL LE-8T」である。
 しかし、本来の形状・形態ではない。
 フレームに、コーン紙(電気信号を音に変換する)を保持する「エッジ」というモノが欠落しているのである。
 このユニットは”オーディオ”指向を志して、二代目のスピーカー(システム)であった。
 LE-8Tは、ジム・ランシング社(JBL)製の8インチ、シングル・コーンのスピーカー・ユニットである。
 この装置を使い始めて、10年程・経過した頃でしょうか、ご多分に漏れず”欲”が出てきた。
 一人前に、シンバルの高音が不足!・・・身体を揺るがす低音のベースの弓引き音が物足りない!
 行き着く先は、マルチ・ユニットのスピーカー・システムへの”憧れ”となっていった。
 しかし、過去にも日記にした様に、今もって悪戦苦闘している。
 (音響的な)悩み多き時には「LE-8T」に、回帰する”愛着”があるのである。
 今もって、所有している所以である。
 最近、このシステム(LE-8Tとアンプ)の調子がイマイチであった。
 再生される音に”ひずみ”が生じるのである。
 てっきり、アンプに原因があると判断していた。
 しかし、納得出来なかったことから、スピーカーのフロント・グリルを外してみた。
 異様な小光景があった。
 有るべき”エッジ”が全面・無いのである。
 思えば、このユニット、過去に三度、修理している。
 入力オーバーで、コイルは焼損し、コーン紙(ボイスコイル)を交換したこと。
 そして、エッジが劣化し、コーン紙の保持が出来なくなり、コイルが、磁石部に接触し”歪”が生じていたため、エッジの交換(修理)が二回である。
 アンプに原因があると思い込み、スピーカー・ユニットに原因があるとは夢にも思わなかった。
 エッジの不具合で”歪”が生じていた聴感を忘れていた事も、判断を誤った要因でしょうか・・・?
 この様な、エッジそのものが、溶けて無くなったが如き様を、観たのは、初めてである。
 フロント・グリルを開いて、予想もしなかったことから、表題とした。 
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昔を思い出して・・・

2016年03月01日 | 日記
 録画していた映像を観た。
 時代背景は、昭和30年代であろうか・・・?
 この中で、製図板・T定規が小道具として配置されていた。
 その光景を観て、懐かしく、それらの製図具を、使っていた頃を思い出していた。
 T定規と三角定規を組み合わせての作業であった。
 建築部門の「ドラフター」をみて、その機能性に驚いた。
 これ一つで、T定規・三角定規の機能を有していて、思い通りの角度(T定規と組み合わせた、三角定規の30.45.60度以外)の作図が可能であった。
 ドラフターの必要性を訴えて(企画書を作成し)その導入を図った。
 精度的にも向上したし、効率的であった。
 時代の変遷と伴に、製図具も細心のシャープペンシルの出現で、鉛筆の削り方がどうの!といった悩みも無くなった。
 作図したものを”青焼き”して使用していたことから、烏口を使う事も無かった。
 この様に、道具・器具の進展も経験した。
 そして、最終的にはCAD(パソコンで製図)システム(ソフト)の導入を提案し、導入した。
 三角定規もT定規も使わない。
 ”マウス”という手に収まる小さな器具を操作するのみとなっていた。
  忘れていた過去の業務を、思い出させた映像であった。

 蛇足:青焼き
    フィルム式カメラでの、フィルム原版から印画紙に焼き付けものと同じ原理である。
    トレーシング・ペーパーに作図した原図を、ジアゾ式複写機(青焼き複写機)で”印画紙”に焼け付け、現像するものであった。
    出来上がったモノは、現像液(気体=蒸気を容器に封じ込めた)の成分で、アンモニアの匂いがした。
    青色に変色した中に、作図した線や文字が白っぽく残るもので”ネガ”として出来上がる。
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