ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

終戦の日

2017年08月15日 | 日記
 「(貴局の)ラジオ放送を聞きました」と、葉書(受信報告書)を送ると、放送局から返信が来る。
 ベリカード(Verification Card)である。
 今も、収集に努力している人達は居る。
 中学生の頃だった。
 夕刻から、外国放送が入感(受信できる)する様に成る。
 昼間は聞こえないことから「夕刻から放送されている」と思っていた。
 電離層の影響であることは、数年後の学習で知ることになるが、その頃は無知であった。
 ラジオ放送を受信し「受信報告書」を送ると、放送局から「受信証(ベリカード)」が送られてくる。
 国内だけでなく、外国放送も同様に送られてくる。
 オリジナルな絵葉書な様で、郵送されてくることが楽しみであった。
 終戦(1945年)以降、東西冷戦下で、朝鮮戦争が起きる。
 そして、朝鮮戦争(休戦=1953年7月)は終わるが、混沌とした時代であった。
 郵便物として、配達された外国の「受信証(ベリカード)」を、母は言う「大丈夫かぁ!?」と・・
 その心は「憲兵が来るでぇ!」であった。
 母は、戦後でなく、今もって(当時)「戦中」であった様であった。
 私は、二十数枚の”ベリカード”壁に貼り、収集の努力の程を楽しんでいた。
 しかし、母から「辞めて!」とは、言われなかったが、ベリカードの収集は辞めた。
 思えば、母は出征した父に代わり、竹槍(青竹を鋭利に切り、火に炙る)訓練?鍛錬や、バケツリレーの訓練を受け家族を守った。
 「〇〇駆逐!」から「〇〇思想排斥」の、戦前・戦中・戦後教育に、混乱したと思う。
 母は、その様な時代にあって「私を守ろうとした言動であった」と、理解している。
 戦前派76歳・戦中派72歳が、最年少となった戦後72年を迎えた、今日であった。
 そして、映画「WarGames」の様に「想いも知れないことから・・・!」ではなく「あってはイケないこと!」と願う8月15日である。
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今日・この日

2017年08月14日 | 日記
 今日は2017年8月14日
 7時頃に、目覚めた。
 就寝してから目覚めまで、一度も目覚める事は無かった。
 何だろう!? 一度や二度、目覚める事もあり、目覚める事もなく、朝を迎えられるのは・・・?
 就寝前には、コップ・一杯の水を飲むこと等、毎夜同じ様に!と、心掛けている。
 それでも、何かが違うのでしょう・・
 八時頃、朝食を頂き、今日の活動が始まった・・・?
 とは言え、既に22時過ぎである。
 そして、睡魔が襲ってきている。
 実際、今日・遣った事と云えるのは、スポーツ・ジムに行ったこと。
 そして、ジムの帰りに、夕食の食材を買い求めに行ったこと、だけでは・・・?
 でも、私の思いとは関係なく、今日14日は、終わろうとしている。
 睡魔に従って、就寝します。
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見舞いに・・!

2017年08月13日 | 日記
 義兄が転院するするという連絡があった。
 義兄の三男Sが勤務する総合病院で、精密検査を受ける為であった。
 見舞い(面会)に行くにあたって「バイクで行く!」との思いであったが、どうも腰の様子が変である。
 結果的に、自動車で向った。
 自宅から、病院までは約70Km・一時間半の行程である。
 13時過ぎに到着すると、転院処理も終わり、病室には付き添いの姉と、次男Hが居た。
 義兄は「バイクで来た(か)?」と聞く!
 「いいえ・自動車で・・」等と、会話を交わした。
 「最大、三週間入院し、検査する」と、回診が終わって病室に来た・医師S(三男)からの説明があった。
 考えてみれば、姉夫婦は、80歳を超えている。
 義兄は、職業上から、腰に問題があり、加齢と伴に歩くことが困難な状況に到っていた。
 子供(医師のS)としては、現行の加療方法が、納得できなかったのでしょう!
 医師仲間の「成形科」等の診断を受け、治療方針を立てる様である。
 姉たちと別れ、帰宅した。
 完治(ゴルフが出来る)まで・・とは言わないが、生活が出来るまで回復することを祈りたい。
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”建築”を楽しむ・・!

2017年08月12日 | 日記
   
 今日の絵日記の絵(写真)は、作業終了時の三枚である。 写真・左より、写真:1~写真:3とする
 写真:1は、北西面の内装を施した(完成途中に)出来高。
 写真:2は、同じく、南東面の内装の施し状況である。
 写真:3は、南東面の外装の施工状況 (着色は、防腐剤)
 ”山行き”の定番となった、6時半に目覚し時計に起こされる。
 8時20分、自宅を出発する。
 順調に走行する。
 いや!順調すぎる。
 目的地(集合場所の駐車場)に到る最後のコンビニに、時間調整で立寄る。
 ワンコイン・コーヒーを購入する。
 国道から地域道(山道)に入って、谷間に湧き水の場所がある。
 日陰でもあり、水の存在から”涼しさ”を感じる。
 そこに車を停め、先程・買ったコーヒーを頂く。
 空になったコーヒーカップ(紙製)で、湧き水を味わっていると、坂上方向から3台の車が、ランダムに下ってきた。 
 そして、思った。
 要らぬ勘繰り!ではあるが、この道路の先の住人(戸数)の数から考えて、この台数は多い!と・・・・
 最後の一台の運転手が「お早う!」と云って、過ぎ去ろうとしている。
 自動車を留めさせて頂いている地主さんであった。
 すかさず「お早う御座います!」そして、車幅をとった駐車に対して、発した「スミマセン!」は、理解され(聞こえ)なかったでしょう・・?
 駐車場に到着し、足元を整えていると、オーナーさん御夫婦が到着した。
 資材類を運搬車に載せ替え、現場に向かう。
 運搬車の運転は、私が担った。
 そして、現場に到着し、運搬車を左・90度に転換させようとした。
 操作を誤って、横転(*)させてしまった。
 何とも言いようの無い、不手際を起こしてしまった。 申し訳けない・・・
 資材を載せたまま、引き起こし、資材の搬入を完了した。
 17時を知らせる”下界”の「ミュージックサイレン?」で、帰宅の準備を整える。
 今日も、蜩の鳴き声に見送られ、帰宅の途に就いた。
 身体を動かすと汗は掻く。
 しかし、木々を吹き抜ける標高500mの風は、爽やかで心地よかった。
 昨日・一昨昨日! 何かあった!?

 (*)尾根の人道(分水嶺)斜度約30度の下り坂
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昨夜は、如何したんだろう!?どうなっていたんだろう!?

2017年08月11日 | 日記
 昨夜の”月例会”は、ご多聞に漏れず・大いに語り・笑い、燃焼しきった感のある例会で有った。
 そして、30分を要して(電車で)帰宅した。
 やがて、無力感が襲って来た。
 唯々、虚しさが蔽い被さり、寂しさの淵に追いやり、無力感に苛まされた。
 琴線に触れたモノは何であったのか? 改めて考えてみた。
 しかし、此れだ!という結論に到っていない。
 歳を重ねた私と、私と関わった人達の、私と同じ様に年齢を重ねた現実がある。
 年齢を重ねること、時間の経過は、如何しようもない事であって、謙虚に受け入れる事しか出来ない。
 この時間の過ぎ去る隙間に、思い出となる事が生まれる! 良い事も・悪い事も・・
 そして、事ある毎に語り合って、往時を偲ぶ。
 昨夜の、例会のように・・・
 この様に分析しても”琴線に触れる”事は見いだせないでいる。
 加齢と伴に気弱になっているのは、確かである。
 ”終活”について考える年代となっている。
 何が!琴線に触れたのではなく、仲間と供に華やかに語り合った時間と、帰宅してのギャップから「虚しい!」気持ちになったのでしょう・・か?
 明日は”山行き”のお誘いを頂いている。
 好い空気を吸って、いい汗をかいて、気持ちのリセットを計ってきます。
 時間の差配は出来ないが、時間の経過とともに「何をする」かは可能である。
 
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重き荷物を背負ったと思った”月例会”

2017年08月10日 | 日記
 何だろう・・・どうしたんだろう・・?
 頭の中には、あれも書きたい! 此れも書かなければ・・・!と、キーボードに対峙する。
 今日は、年間12回・開催される”月例会”の日であった。
 幹事さんから、仲間の近況や、後輩のK氏が亡くなった報告があった。
 K氏は、三歳・後輩であった。
 加えて、私の、会社生活の礎となった、Y氏の直言!「酒が欲しいと思わくなった!!」
 Y氏は「酒の一滴は血の一滴!」が主義・主張であった。
 と、云うことで、酒宴では「酒を残す事を許さん!」と、豪快な人であった。
 Y氏は、私より5才年長である。
 寂しい! 
 現実なのでしょうねぇ! 年齢的に・・・!

 帰宅し、電灯を点けると、網戸にアブラゼミが二度三度、ぶつかってくる。
 そして、その光景を観て、思い出したことがある。
 50年位前であろうか?
 山中に或る施設を、宿泊を伴う保全作業があった。
 屋外に延長コードで、照明を点灯する。
 夕食を済ませた頃(頃合いをみて)照明を消す。
 懐中電灯を手に、セミ・カブトムシ・クワガタ・糸切りムシ・カナブン等々の姿が、手に取って観えた。
 此れも”余暇”を過ごす手法で有る事を学んだ事を、今日・アブラゼミの鳴き声と伴に思いだしていた。。

 月例会から帰り、日記を書かなけれなと思うが、何故か”空虚”な気持ちから、作文が出来ない。
 月例会での会話が、衝撃的(今ある加齢とのギャップ)な事もあったことから、冷却期間が必要なようである・・・
 明日以降にでも、日記にできれば・・・と、思います。

 表題の「(重き)荷物」とは「今ある現実」として、表現したかった・・!
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え!此れ何・・・

2017年08月09日 | 日記
 「何か変!」と、思える光景に出逢って、日記にした。
 買い物に行くにあたって、多くの釣り人が集まる、釣り場の様子を観に、遠回りした。
 堰堤上を、ミニバイクで走行していると、途中にある工場の壁面に、色鮮やかな物体を入れた買い物袋が目に留まった。
 よくよく見ると、遠投用の沢山な”ウキ”であった。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、二枚である。
 写真・左は、通りすがりに注意を払ってみえる”釣用のウキ”が入った買い物袋である。
 写真・右は、その”袋”の詳細である。
 私の率直な疑問として、何故!この場所に、大量のウキが無造作に買い物袋に、入れてあるのだろう・・・?と、云うことである。
 そして、私が導き出した”答え”は、投げ釣りをしていて、根かがりや・仕掛けの不手際で、仕掛けを見放さざるを得なくなる場面がある。
 遠投用の仕掛けは”移動ウキ”が多い。
 仕掛けを投棄する場合、道糸より細い”ハリス部”を、切る事に成る。
 ハリスに、ウキや針、重り等を付けて”仕掛け”とする。
 根かがりとなって、脱出出来ない場合、意を決して”糸”を切るしかない。
 チヌやグレ等の「ふかせ釣り」と異なり、投げ釣りのハリスは太めである。
 釣り竿にはタワミがあって、糸を切る事は至難の業である。
 根かがりとなった地点と、穂先・リールが一直線となる様にして、力づくで切断する。
 針だけを失くすこともあれば、仕掛け自体を失うこともある。
 この様にして、失くしたウキは、やがて砂浜に漂着する。
 そして、浜辺を散歩したり、清掃するする人の目にとまり、集められたものであると推測したのである。
 写真・右で、語り掛けているのは「失くした持ち主さんは、持ち帰って!」と言っているのか「ご自由にお持ち帰り下さい!」と、言っているかは、判らない。
 持ち主不明な多数のウキを観て、ウキを失くす釣り人の多さと、収集した人の努力の経年を象徴している事を感じた事であった。
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早いもので、三ヶ月が・・・

2017年08月09日 | 日記
 今日は、我家に居た”犬くん”の月命日である。
 早いもので、三ヶ月が経過した。
 小雨が時折降る天候の合間をぬって墓参りを済ませた。
 そして、今日は折しも、長崎原爆記念日である。
 原爆投下の、11時2分に合わせ、黙祷を捧げた。
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今日の山で・・・!

2017年08月08日 | 日記
 今日は、お誘い頂いた”山行き”の日である。
 6時半に、目覚しに起こされた。
 毎朝の所作を済ませ、朝食を頂く。
 8時20分に成って、自宅を出発する。
 セルフ・スタンドで、自動車の燃料補給し、フルサービス・スタンドで、携帯燃料タンク(10L)に給油する。
 前回の作業で、発動発電機の燃料を補給したため、空になっていた。
 集合場所で、待っていると、オーナーさんとバイクが一台到着した。
 バイクのNさんが「北海道・行って来たよ!」と、衝撃的な話しが飛び出した。
 何はともあれ、資材を運搬車に載せ替え、現地に向かう。
 3mの長尺モノを搬入する。
 運転は、オーナーさんが担当した。(私には自信が無かった事から・・)
 現地に到着し、作業を始めたが、発動発電機が起動しない。
 オーナーさんが「ふくちゃん、かからん(起動しない)よ!」と、声が掛かった。
 燃料はある。
 プラグは、どうだろう?と、思ったが、プラグ・レンチが無い。
 幾ら”リコイル”式の起動ロープを牽くが、起動しない。
 そして「あれ!変・・・」と思ったのが、排気管が潰れている(機構的に)ではないか・・!
 釘で、排気管をツ゚っついてみた。
 小さな虫が出て来た。
 巣作りをして、排気管を塞いでいた。
 虫さんには悪いが、撤去させてもらった。
 起動した。
 オーナーさん曰く「電気が無かったら何も出来なかった。(起動して)良かった!」
 床材を張り終え、引き続き、外装材・内装材を施工した。
 搬入した長尺の材は、内装材用で、カンナを掛け(電気カンナ)しなければならない。
 板幅から、二度・三度とカンナ掛けが必要で進捗は捗らない。
    
 今日の絵日記の絵(写真)は、四枚である。
 写真・左より、写真1~写真4とする。
 写真1は、張り終えた床の様子である。
 写真2は、張り終えた部分の、内装材の様子である。
 写真3は、外装材の施工状況である。 防食塗料を塗っている。
 写真4は、玄関部の出来高である。アクセント・意匠上から、横張りとしている。
 昼食時、Nさんから、北海道ツーリングの話しを聞いた。
 長距離フェリーを使わず、青森まで走行したこと。
 ライダース・ハウスを使ったこと。(「熊・出現!」との情報で、キャンプ道具は使う事は無かったとの事であった)
 総走行距離は、5000Kmを上回ったこと。
 等々、興味深い情報を聞き”行きたい!”気持ちは、大きな炎に成長した。
 なお、本来のツリーハウス造りは、台風後の風が吹く中・曇り空の下で、汗を掻きながらも、爽やかな気持ちで行えた。
 17時前になって、撤収し、帰宅した。
 (ツリーハウスは)出来ている!と、実感している。
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台風5号

2017年08月07日 | 日記
 台風5号は、九州・南岸(都井岬沖)から、四国・足摺岬、室戸岬の沖へ・・・!
 ゆっくりとした速度で、北上した。
 今朝、4時頃だったろうか?雨音で目覚めた。
 現状把握に、チョット時間を要した。
 寝ぼけていた様であった。
 風も強くなっている。
 戸締りを、再確認して回った。
 北側にある小窓が、開いていた。
 雨と思われる水滴で、窓枠が濡れていた。
 戸締りをして、再度・布団の中へ・・
 再び目覚めると(電気時計の表示は)8時過ぎであった。
 起き出して、リビングの時計(電池式)を見ると、9時を過ぎている。
 頭が回転した! 
 配電盤の、12回路ある1つのNFBを「断」とし、受電柱の「主NFB」を再投入する。
 思いもしない降雨で、漏電ブレーカーが動作した様であった。
 電気事故(漏電)から守られていた。
 その後・台風は、和歌山県・北部に上陸した事、二人の子供が住む町に「避難勧告」が発動されている事を、TV番組(放送)で知った。
 気掛かりと成った”子供達”の様子を聞くべく、メールの作文を始めが、二軒とも土砂災害に見舞れる立地では無いと判断し、止めた。
 夕刻となって、スポーツジムへ・・・!
 帰宅し、台風の余波と思える”風”が、家中を吹く抜けている。。 
 熱波ではない。
 涼しい! いや、身体を冷やす”風”である。
 秋かな・・?と、思わせても、おかしくはない風である。
 山行きのお誘いが16時頃にあった。
 と!云うことで、明日は”お山に”行きます。
 不足する材を搬入すると、いう情報がある。
 オーナーさんは、端材の使いみちから「2m物より、3mの長尺を入手したい」との思いを前回の山行きで、語っていた。
 困難な搬入作業に成ると思われるが、雨上がりの山からの風景が楽しみである。
 早めに就寝します。
 寝室の電気式目覚し時計を、修正する事を忘れずに・・・!
 
  注:NFBとは「No Fuse Breaker」である。
    屋内電気配線用の「配線用遮断器」を言う。
    昔の”ヒューズ線”の取替を、機械式にしたモノであり(世界的には)「Molded Case Circuit Breaker」と称する。
    ただ、NFBは、日本の、Mi社の商品名ではある。
    しかし、日本国内では「Mccb」とは言わず「NFB」が一般的である。 
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今日は、2017年8月6日・・

2017年08月06日 | 日記
 朝、8時に目覚めた。
 衣服を整え、8時15分を静かに待った。
 そして、防災行政無線のサイレンに併せ、被爆地・広島(方向)に頭を垂れ、黙祷を捧げた。
 この日の、此れまでの日記を読み返してみた。
 2013年から書き始めた日記ではあるが、今日・8月6日の日記は、5年・連続記述となっていた。
 1945年8月6日午前8時15分、有史来・初めて市民生活者の頭上で原子爆弾は、炸裂した。
 その日から、今日は72年目になる。
 被爆国である・日本が「過ちは、繰り返しませぬから・・・・」と不戦を誓っても、傍若無人に”核開発・誘導ミサイル”の開発を進める隣国もある。
 政治(外交)は、国益を優先する!
 とは言え、隣国がそうだから、我が国も・・・と、性急に論じるのは如何なものか・・?
 「核の傘・・!」に配慮してか、唯一の被爆体験国が、核放棄の国連決議に署名しないことが「国益」なのか判らない。
 盛夏にあって、8月6日・9日そして、15日は廻ってくる。
 そして、平和とは!・・国益とは?・・友好親善とは?・・等々を(盛夏の時期にあって)熱く考える、巡り廻ってくる日で、あると思うのです。
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ふくちゃんが名付けた「ぶげんしゃ食い!」

2017年08月05日 | 日記
 頂いた”西瓜”を冷やしきった。
 さて!如何に食すか!
 やはり”ぶげんしゃ(分限者)食い!”でしょう・・・
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、今!まさに食しようとする西瓜である。
 幼き頃の思い出がある。
 私の実家から、200mの処に”神社”がある。
 7月30日~31日に「夏越し祭り」が催される。
 夜店が延々と出店され、近在近郊からの参拝者で、実家の前の道路は混雑していた。
 両親の親戚・縁者の来訪もあり、この日は一年中で一番・賑う日であった。
 その来訪者の中で”心ある人”からは、お小遣いを頂けた。
 そして、親からは、祭り二日間のお小遣いとして、100円を頂けた。
 正月のお小遣いと併せ、年に二回の、私にとっての”慶事”であった。
 話しを”西瓜”に戻して、大玉の西瓜であっても、8人家族の中では、切り方にもよるが、食せるは二切れ程であった。
 食べ足らない思いがあった。
 その思いを成就させる事が出来るのは”懐”も温かい・この日(夏祭り)しかなかった。
 小玉の西瓜で有れば、頂いたお小遣いで買えた。
 三軒隣りの八百屋さんで「おばちゃん!此れ・なんぼ!?」
 「ふくちゃんか!80円で、ええわ!」
 買って帰って、井戸水で冷やす!
 冷やしている間も、気が気でない。
 誰かに食べられないか?と、正直・疑心暗鬼であった。
 井戸水を”とっかえひっかえ”代えて、クルクル回しながら「早く、冷えよ!」と、見守った。
 そして、思いの丈と、半分に切って、スプーンで食べる。
 「ぶげんしゃ食いや!」と、名付けた。
 廻ってくる年によっては「大名食い」と称した。
 赤味は、スプーンで削ぎ取って食べ、果汁は、ストローで吸い取れば、余す処なしで食べきれた。
 幼き頃を思い出し、頂いた西瓜を食した日記である。
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今日は8月4日・・・

2017年08月04日 | 日記
 「ふくちゃんの絵日記」の表題で「今日は〇〇・・」とする時は、印象深い出来事があった場合か「さて!何を書こうか?」と、迷っている何方かである。
 今日は、正直・後者である。
 犬くんに献花したバラが”頭”を垂れる状態になっていた。
 ドライフラワーにして、保存してやろうと思った。
 不要な葉を落とし、樹形を整え、乾燥に入っている。
 夏のこの時期は、生花の衰えも早い。
 毎日、水を替え、霧吹きで”葉水”をやる手間をかけても3~4日である。
 ジムの帰り道で買って帰る事にした。
 今日の一日の大かたを「ふくちゃんの絵日記」の修正にかけた。
 そして、今日・略、終えた。
 略とは、絵(写真)が”化けた”モノがあり、写真データから、当時の状況にマッチするモノを選らばなければ成らない。
 選ぶにしても、膨大なデータ(写真)からである。
 加えて、絵日記に使った後、廃棄したと思われるモノもある。
 再現できるものは別として、アボカドの種子の状態等は再現は不可である。
 従って、文章で説明することとなる。
 ただ、文書では説明が困難なモノもあることから”悩み多き”修正作業である。
 ”お引越し”が無ければ、この様な苦労はしなかったものを!と腹立たしく思う。
 今日の作業で、日記の三話が、未改修までに至った。
 やがて、16時頃となって、スポーツ・ジムに行く。
 平坦な道・緩めの坂道、そして(エアロバイクで言う)仕事量(W)120の坂道等、実走する道路を見立て、一時間の自転車での架空走行を終えた。
 終えて「少し”きつかった!”かな・・」と、観想すると「云わんこっちゃない!軽めにして・・と云ったでしょ!」
 「ジギルとハイド」ではないが、自分との葛藤となる。
 流した汗を洗い、帰宅するバイクで受ける風が爽やかであった。
 総じて、平安な8月4日の一日でした。
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偲ばれて・・

2017年08月03日 | 日記
 夕刻となって、久し振りに”散歩路”を歩んでみようと思った。
 早いもので、90日を迎えようとしている。
 散歩路は、犬を散歩させている人と擦れ違う。
 来るのではなかった!と、思う反面、堪えて・慣れることも必要とも思う。
 散歩の路で見掛けた風景で、遊泳する人は居なかった。
 砂防堤や浜辺から「投げ釣り」をする釣り人を見掛けた。
 50数年前、此の地に着任した時、休日の過ごし方として、この海岸に訪れ”釣り”をしたことがあった。
 ため池を水源とする河川があって、当時は生活水の排水路でもあった。
 その為か、海藻が育ち、釣り(投げ釣り)に成らなかったことを思い出す。
 海藻が育つ場所を越えて、仕掛けを投げ込んでも、当たりがあり、採り込もうとしても海藻に邪魔をされる。
 結果的に”釣り”に成らなかったのである。
 下水道も整備され、以前の様な状態(海藻の繁殖)では無いのだろうか・・?と、思ったものの、釣り人から確認する事はしなかった。
 此処で、釣りを楽しむ事は無いと、思うから・・!
 しかし、何度か日記にしたが、松林(防風林)が伐採され、海辺に立ち入る経路が制限されたことから、浜辺で過ごす人が激減している現実はある。
 夜遅く、花火と伴に、歓声が、昔懐かしく思うのは身勝手だろうか・・?
 犬くんとは、百箇日を節目に”弔意”の形態を替えたいと思っている。
 それまでは、朝な夕なに、偲びたい(線香を捧げる)・・・・
 
 
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思いたくない事・感じたくない事・・

2017年08月02日 | 日記
 今朝・目覚めて、足に疲労感が有る事に気付いた。
 朝の”お勤め”で、正座から立ち上がる時にも「あらよっと!」と勢いをつける有様であった。
 30日と1日の、山行きの影響だろうか・・・?
 そして、今日は”水曜日”・・スポーツ・ジムに行く日である。
 ジムに行く時間が近づくにつれ、我が肉体は”今日は休もうよぉ!”と、言う気配である。
 病院に医薬品を提供する会社に就職し、現在は、代表者に成った中学の同級生・K君がいる。
 今年の正月に、同窓生の新年会に参加した時、K君と再会した。
 お互いに高齢となり、体力の話しとなった。
 K君は、所謂「文武両道」な人物で、彼の発した言葉が印象的であった。
 「筋肉は、使う事を辞めたら退化する」と云うことであった。
 そして「(疲労感が残っても)鍛錬を欠かさないこと!」「筋肉は甘えるよ・・・・!」と、続いて語った。
 甘えてはいけない!甘やかしてはいけない・・・!
 気持ちを鼓舞し、ジムに行く。
 行く道中では「一時間のエアロバイク!」であった。
 更衣室で着替え、ジムに向かう。
 「ねぇ!軽めにしよう!」「いや!エアロバイク!」と、葛藤はあった。
 で!結局、ランニングマシンでの徒歩30分となった。
 そうです!負けました。誰でもない・私に私が負けたのです。
 ランニングマシンでは
 10分間 斜度10%・5Km/時
 10分間 斜度0%・6Km/時
 5分間、斜度12%・4Km/時
 クールダウンで、斜度0%・4Km/時を10分間を消化した。
 無意識のうちに、何時とは違う強めのメニューであった。
 負けた事に対する葛藤だったのでしょう・・・?
 所定の、腕・足の筋トレを消化し、入浴・サウナで汗を流し、身体のリフレッシュを完了した。
 ”継続は力なり!”
 続ける事が、体力維持につながる。
 今日は休もう!とする”甘え”との戦いは続く・・・!
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