頂いた”西瓜”を冷やしきった。
さて!如何に食すか!
やはり”ぶげんしゃ(分限者)食い!”でしょう・・・
今日の絵日記の絵(写真)は、今!まさに食しようとする西瓜である。
幼き頃の思い出がある。
私の実家から、200mの処に”神社”がある。
7月30日~31日に「夏越し祭り」が催される。
夜店が延々と出店され、近在近郊からの参拝者で、実家の前の道路は混雑していた。
両親の親戚・縁者の来訪もあり、この日は一年中で一番・賑う日であった。
その来訪者の中で”心ある人”からは、お小遣いを頂けた。
そして、親からは、祭り二日間のお小遣いとして、100円を頂けた。
正月のお小遣いと併せ、年に二回の、私にとっての”慶事”であった。
話しを”西瓜”に戻して、大玉の西瓜であっても、8人家族の中では、切り方にもよるが、食せるは二切れ程であった。
食べ足らない思いがあった。
その思いを成就させる事が出来るのは”懐”も温かい・この日(夏祭り)しかなかった。
小玉の西瓜で有れば、頂いたお小遣いで買えた。
三軒隣りの八百屋さんで「おばちゃん!此れ・なんぼ!?」
「ふくちゃんか!80円で、ええわ!」
買って帰って、井戸水で冷やす!
冷やしている間も、気が気でない。
誰かに食べられないか?と、正直・疑心暗鬼であった。
井戸水を”とっかえひっかえ”代えて、クルクル回しながら「早く、冷えよ!」と、見守った。
そして、思いの丈と、半分に切って、スプーンで食べる。
「ぶげんしゃ食いや!」と、名付けた。
廻ってくる年によっては「大名食い」と称した。
赤味は、スプーンで削ぎ取って食べ、果汁は、ストローで吸い取れば、余す処なしで食べきれた。
幼き頃を思い出し、頂いた西瓜を食した日記である。
さて!如何に食すか!
やはり”ぶげんしゃ(分限者)食い!”でしょう・・・
今日の絵日記の絵(写真)は、今!まさに食しようとする西瓜である。
幼き頃の思い出がある。
私の実家から、200mの処に”神社”がある。
7月30日~31日に「夏越し祭り」が催される。
夜店が延々と出店され、近在近郊からの参拝者で、実家の前の道路は混雑していた。
両親の親戚・縁者の来訪もあり、この日は一年中で一番・賑う日であった。
その来訪者の中で”心ある人”からは、お小遣いを頂けた。
そして、親からは、祭り二日間のお小遣いとして、100円を頂けた。
正月のお小遣いと併せ、年に二回の、私にとっての”慶事”であった。
話しを”西瓜”に戻して、大玉の西瓜であっても、8人家族の中では、切り方にもよるが、食せるは二切れ程であった。
食べ足らない思いがあった。
その思いを成就させる事が出来るのは”懐”も温かい・この日(夏祭り)しかなかった。
小玉の西瓜で有れば、頂いたお小遣いで買えた。
三軒隣りの八百屋さんで「おばちゃん!此れ・なんぼ!?」
「ふくちゃんか!80円で、ええわ!」
買って帰って、井戸水で冷やす!
冷やしている間も、気が気でない。
誰かに食べられないか?と、正直・疑心暗鬼であった。
井戸水を”とっかえひっかえ”代えて、クルクル回しながら「早く、冷えよ!」と、見守った。
そして、思いの丈と、半分に切って、スプーンで食べる。
「ぶげんしゃ食いや!」と、名付けた。
廻ってくる年によっては「大名食い」と称した。
赤味は、スプーンで削ぎ取って食べ、果汁は、ストローで吸い取れば、余す処なしで食べきれた。
幼き頃を思い出し、頂いた西瓜を食した日記である。