日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

100 まで数える

2024-05-17 22:11:04 | Weblog

<2024.05.18> 

今100歳まで生きよう・・・・などが、高齢者の目標になっています。

 

『100』と言う数・・・・、区切りがいいし何と言っても分かり易いですよね。

 

私も現在85歳,欲張って100歳まで生き延びればを狙って(目標)るところです。

 

それは別として私にとって100と言う数を使う時(場面)を紹介しましょう・・・・。

 

まず第一に風呂に入った時の温もった後に湯船から上がるタイミングの折に、1・2と数え始めて~

100となったら、上がることが多いしほぼ習慣になっています。

(湯冷めをしない丁度良い温もりとなる事が多いですが・・・・子供の時にもやったことを思い出します)

 

二番目には、朝納豆を箸で混ぜる回数ですね。

 

右回しで100回・左回しで100回となったら・・・・、程よいトロミ加減になり、食べ始めることにしています。

 

あとは、最近 足の『太もも』の筋力付けのために始めたのですが、椅子に座って両足を宙に浮かせての足踏み体操?、この時に左右交互を1回として100回足踏みすることを始めました。

(飽きないためにテレビを観ながらが多いですね)

 

これは最初は50回位やっていたのですが、段々欲が出て来て今は何とか100回やって

一休み・・・・これを2~3回くらい繰り返しているところです。

(体調によっては100回はきつい時があります・・・・その時は50回の倍数かな・・・・)

 

100!、区切りの良い数・・・・色んな場面で100点を狙ったり、100%を狙う・・・・もうこんな若気はありませんが・・・・。

 

この100と言う区切りの良い数字の使い道は他にもいろいろありそうですね。

 

私が身近に使っていることを紹介して見ました。

 

<5月の空・雲>

 

<五月晴れの中・・・・ポッカリと月が・・・・>

 

<麦秋の向こうには田植え後の苗の列>


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『ありがたい』・『前向き』は活力の源

2024-05-10 22:21:44 | Weblog

<2024.05.11>

最近色んな場面で「ありがたい」と思うと活力が出るなあ・・・・と、思うようになりました。

 

歳を重ねて来て俗にいう『悟り』の境地の数が多くなったせいかも知れません。

 

まず、朝遅い起床ではありますが、顔を洗うために洗面台に向かって自分の顔を見た時に、

「ありがたいなあー今日もこうして洗面台に立ててるわー」・・・・と。

 

そうですねー、数年前には思いもつかなかった感じなんですけど・・・・。

 

この「ありがたい」と言う言葉を一日の中で出くわす場面で、呟いて見るとたくさんある事に気づきました。

 

例えば、無理な力仕事や面倒くさい場面などの時、「おう!、身体がまだ十分動けるわー・・・・ありがたいなあ」と言ったような類ですね。

 

このような発想になると、以前は出ていたような「もうだめかなあー」と言う考え(俗に言う後ろ向き)は減ってきますし、出てきにくくなった感じがしますね。

 

このような事をヒントにして、困った時や行き詰った時に「ありがたいなあ・・・・」と言う切り口で見つめてみると、色んな場面に直面しても何か活力が湧いてきて、『前に進む』ことが出来る気がして来ますね。

 

『前に進む』このことが、若い時から聞いて来た言葉『前向き』に繋がるんだなあーと、遅まきながら気づいたわけです。

 

私たちは1日1日、生きている中で色んな場面に出くわしますが、現状を『ありがたい』と言う感覚でとらえると、何か『前向きに考える(行動する)』ヒントが一杯ある気がしてなりません。

 

仏教用語的な『ありがたい』と思うことで、何となく『前向きになり』、それが『活力の源』に繋がり、その勢いで『行動が伴い』、ひいては『解決の糸口』の幅が広がる・・・・、『結果オーライ』に結び付き易いのではと思うわけです。

 

『ありがたい』と『前向き』は『活力の源』として、強く結びついているなあと想えて来たので綴って見ました。

 

<「アメリカ デェゴ」・・・・裸の冬を越して青葉を付けて来た>

 

<「バンジー」・・・・ひげお爺ちゃんの顔・顔>

 

<「アマリリス」満開・・・・庭に咲く>


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仕事は早く取り掛かる (会社生活でためになったこと)

2024-05-03 22:39:40 | Weblog

<2024.05.04>

日々、ことの大小は別にして何がしかの行い(仕事)をしていますが、私はこのことについては、早目・早目の取り掛かりを心掛けています。

 

その効果は、今でも大なんで次に認めてみようと思います。

 

この『早目・早目』は、長かった会社生活で学んだ事の一つで、経験がまだ浅かった若いころには感じなかったことの様です。

 

仕事を振り返って見て、予め予定(計画)されていた事は、割とスムースに良い成果を持って完成していました。

 

ところが、突発的に発生する事(仕事)などの時には、とにかく期限に間に合わせることが第一で、成果の良否を考えたり、時間をかけて試行錯誤するような余裕はありませんでしたね。

 

ポイントは、この突発的に発生する事への対応の仕方にヒントがあることに気づきました。

 

何かというと、突発的な中には、本当に突発的に発生するものと、処理する手順の間違いや愚かさ(気づきのなさ等)で、着手が遅くなり(結果的に突発的になり)『火事場のばか力』を借りて処理するハメとならざるを得ない、この二つがあるのでは・・・・と。

 

しかも、本当に突発的な事は、実はわずかで『放りっぱなし』にしておいて、結果的に『突発的』(に見える)なったことが、多いという事に気づいたわけです。

 

そこで、如何に早く自分が担当する(命令される)仕事の情報を掴むかにかなり注力しました。

 

実務的には、自分が中心にやる仕事、他の部署や同僚にお願いする仕事など複雑に絡みながら、情報交換を繰り返し、担当としてアウトウット(成果)を出していくわけですが・・・・。

 

とにかく情報を早くつかむ事が大事と心掛けながら、中でも他の部署(お客様)や同僚にお願いする仕事の情報を早く整理して最優先でお願いすることでした。

(早め早めのお願いで、こちらの要望もかなり取り入れて貰える雰囲気が自然とできた感じであった)

 

後は自分が行う仕事で、これはコントロールは自由にでき、さばけなければ残業もあるわけです。

 

この様に担当する仕事の情報を早くつかみ、優先順位を付ける事で、一言で言えば『かなりさばけ方が違う』しかも『良い成果が出る』という事を実感いたしましたね。

 

この考え方、定年後の社会活動(チーム)の中でも大いに役に立っていると感じてますので綴りました。

 

<近々雲仙登山にチャレンジ・・・・近くの低い山でトレーニング>

 

<頂上の展望所に着いた・・・・手前の杖は雲仙でも使う予定>

 

<展望所からの眺め・・・・山と言うより丘か!>


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Blog投稿15年を振り返って(3)・・・・写真の掲載

2024-04-26 22:38:29 | Weblog

<2024.04.27>

 

私のBlog発信に欠かせないのが写真の投稿です。

                                                                                   

そもそも、写真を載せようと思ったのは、他の人のBlogに合わせた面もありますが、私は特に、拙い文章を補う意味で載せることを主体に考えましたし、今でもそのように思っています。

 

一言で言えば、『写真』は、堅苦しい文章を補う気分的に『ホット』する場面になる、『オアシス』的な場所でないかと思っているわけです。

 

従って、何とか1回に数枚の写真は入れ込もうと、1週間の間こちら(写真)にも色々想いを及ぼしては、『ウロチョロ』しながら、撮っているところです。

 

実はこの写真でも、自分に色々刺激を受けています。

 

一つは、写真は主に散歩の道すがら撮ることが多いのですが、「何か絵になる風景はないかと・・・・」、歩きながらでも周囲に眼と気持ちを配って、珍しい光景があれば『スマホ』で、パチリと・・・・。

 

もう一つは、写真の撮り方ですね、Blogに載せることを意識しながら、特に『強調』するところや『バランス』など、いわゆる『カメラアングル』も、少し意識しながら・・・・ですね。

 

この写真ですが、散歩中の撮影が多く『四季折々』の花鳥風月?が散りばめられており、あとからBlogを振り返って見るにつけ、どちらかと言えば『文章』よりも『写真』のほうが、想い出が鮮明に浮かびますね。

 

<あとがき>

 

Blog投稿15年を振り返って、3回に亘り投稿いたしました。

 

Blog会社のデーターを見ますと、この15年間に見ていただいた方は延べ19万になっているようです。(著名な方々のヒット数の足元にも及びませんが)

 

これからも、身体と頭が健康に過ごせる間は、続けたいと思っています。

 

拙いBlogですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

Blogをお世話いただいている会社に感謝申し上げます。

 

<この春も咲ほこった花壇の花・・・・「キンセンカ」>

 

<この春も けなげな 花壇の花・・・・「ナデシコ」>

 

<この春も 色とりどり 花壇の花・・・・「きんぎょそう」>

 

<この春も 可愛い 花壇の花・・・・「ビオラ」>


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Blog投稿15年間を振り返って(2)・・・・テーマ探し

2024-04-19 22:28:17 | Weblog

<2024.04.20>

 

やはり15年間続いた中で一番の苦労は『テーマ探し』でしたね。

 

もちろん発行当初から、「投稿するテーマが続くやろうか?」が、一番の不安でしたし15年間の中では、テーマが見つからず、写真のみを投稿した時も2~3回ありましたね。

 

こうした中、日々の生活を過ごしていく過程でふと「あっ、これはBlogのテーマにどうか?」と思い浮かべる事柄が、頭をよぎることが時おりあります。

 

1週間の間ですから、何気なくても一つや二つは・・・・、『すーと』通り過ぎる感じですが・・・・。

 

実はこの時に『ストップ』をかけて、何か紙に『メモ』(テーマだけでも)しておくことで、あとで、このメモをヒントにパソコンに向かって、打ち込みを始めるわけです。

 

この『メモ』をしないと、後で思い浮かべようとしてもなかなか、想いだせず・・・・、結局そのテーマは没になってしまいます。

 

最近は、スマホの『メモ帳』を使って、手軽に気付いた時に即メモしておき、Blog発行に際しては、メモ帳に一筆した『テーマ』集を参考に・・・・、「そろそろBlogか、今度はこのテーマにしようか・・・・」と、考えを認めていくわけです。

 

私は文章はあまりうまい方ではない・・・・と、思っています。(残念ですが)

 

それでも書き続けられたのは、初めから文章を欲張らずに・・・・、一番書きたいことを頭に浮かべながら・・・・、「まあ5~6行程度でも良いので書いて見ようか・・・・」で、スタートするわけですが、書いていくうちに勢いが付くのか?、欲が出るのか?『次から次に』文が頭に浮かんで来ることが多いですね。

 

もちろん原稿ですから、途中で「今日はここまでかー(ギブアップ)」とその日は、そのまま保存して、又時間を置いて続きを書くこともありますが・・・・。

 

『テーマ探し』そして『少しづつ』・・・・私にとって長続きのヒントでした。

 

あと、もう一つ『写真の挿入』についてを、次回投稿します。

 

<「ヒトツバタゴ」鮮やか!・・・・近くの緑地帯にて>

 

<水の中の「カメ」と「魚」・・・・近くの川にて>

 

<こちら「カメ」の日向ボッコ か・・・・近くの川にて>


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Blog投稿15年間を振り返って(1)

2024-04-12 22:39:27 | Weblog

<2024.04.13>

歳を重ねた方が『自分史』を書く人がいるようです。

 

私は自分史まではいきませんが、週一のこの『Blog』が、振り返って見ると自分史(但し老後の・・・・)みたいな感じがします。

 

さて、このBlog投稿(発信)も16年目を迎えましたので、少し振り返って見たいと

思います。

 

このBlogを始めたのは、今から15年前の2008年の4月がスタートでありました。

(当時の右往左往しながらのBlog投稿状況の記載を今でも振り返る事があります)

 

この15年間の投稿内容を時々検索して読むことがありますが、「こんなこともあったんか・感じたんかー」「あんなことも・・・・」と言う具合に、その時々の私の思いとペン?の走りを垣間見ながら・・・・、老後の過ごし方の想い出を懐かしんだりしているところです。

 

投稿回数などはカウントしてないので定かではありませんが、週一としても700テーマを投稿したことになります。(良く続いたー・・・・自我自賛)

 

振り返って・・・・、実はBlogのスタート1年くらい前に、『ホームページ』発信にチャレンジしていたんですよ。

(当時既にIT講座の講師をしていたので、インターネットにも興味があったわけです)

 

WORD文の様式で良かったので、2~3回ほど発信しましたが、当時のホームページの発信(更新)のやり方が、私にとっては難しく途中で断念したわけです。

 

そうした中、発信・更新が簡単で、文章さえしっかり書けば投稿出来るという、現在のBlogに出会い、「少しでも続けばいいか・・・・、頭の体操にでも・・・・」と言うことで、スタートしたわけでした。

 

それでも、当初は写真の挿入方法なども??で、試行錯誤を繰り返しながら、ようやく現在の基本原形が出来あがったようなわけです。

 

<次回は、一番苦労している『テーマ探し』について綴って見たいと思います>

 

<裸の木にも「新芽」が>

 

<春の夕焼>

 

<「あっ、飛んだ!」・・・・電柱から「カラス」が・・・・>


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竹の子

2024-04-05 22:39:32 | Weblog

<2024.04.06>

先日知人より『孟宗竹』の竹の子をいただきました。

 

大きいな根っこの孟宗竹でしたが、とても柔らかくて美味しくいただいたしだいです。

 

今竹の子は、旬の味として春のこの季節には欠かせませんね。

 

私は子供のころ、山裾で育ったものですから、この春から初夏にかけては、山の幸であるこの竹の子とは縁が深かったですね。

 

子供の時のこの頃は、近くの孟宗竹の竹やぶに入っては、地面から少~し顔を出している、(5~20cm位か)竹の子を『つるはし』(子供のころは『岩堀』と呼んでいた)で、傷つけないように根っこから少し離れた回りを掘り起こして、最後は素手で揺さぶりながら『ひっこ抜いた』ことでした。

 

竹の子は特に成長が早く、地面から20cm位の高さのものが2~3日経つと、瞬くまに50~60cm位にはなっていましたね。

(こうなると根元が硬いという事で、諦めてそのまま『ほおって』おきました)

 

竹の子と言えば、この『孟宗竹』の後は『真竹』(またけ)と言う種類の竹の子も食べてましたね・・・・。

 

これは、根っこではなくてかなり地上に成長した後も、柔らかい部分が多くて、春の孟宗竹

と同じように、甘辛く煮てはおかずにしていました。

 

この関係で言えば、もう一つ『破竹』(はちく)と言うのも、賞味していました。

 

これは、真竹よりもモット柔らかくて、お味噌汁に入れて食べていました。

 

『竹の子』日本独特の食べ方なんでしょうが、春から初夏にかけての旬の味として、私たちの舌を美味しく潤してくれてる・・・・これがあの硬い大きな竹そして竹藪に成長するわけですが・・・・不思議な感じがあらためてしたしだいです。

 

いただいた『孟宗竹』を味わいながら、竹の子に想いを馳せましたので・・・・綴って見ました。

 

<緑に覆いかぶさるような「桜」・・・・迫力満点>

 

<「うこん桜」の花びら・・・・控えめな感じ>

<「花盛り」・・・・春 爛漫>

 


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鼻唄

2024-03-29 22:10:58 | Weblog

<2024.03.30> 

つい「ふふーん♫・・・・」と口ずさむ『鼻唄』・・・・調子いいですね。

 

『鼻唄』は『口笛の唱』と共に、子供の時から口ずさん?でいました。

 

今は、口笛の方は肺活量の関係か、「ピイーピイー」から「スウースウー」に変わって、

何の唱か周りの人には??の感じとなって来てはいますが・・・。

 

本題の『鼻唄』について・・・・。

 

最近『ふと』、「あら?、鼻唄を口ずさんでるわー(ふふ~ん♫・・・・と)」と思うことがあります。

 

私にとってのこの鼻唄を口ずさんでる時は、何か調子が良い時・・・・、何にも心配事が感じられない(忘れている)時や体調が良い時に、つい口から出ておりその音を聞いて、「ああ今口ずさんでるのは、****の唱なんだ・・・」などと気づき、更に続けたり・・・・、唄っている意識が低いのでいつの間にか止まって、別の事に意識が行ったり・行動したりなどです。

 

そう言えば、子供のころ『おふくろ』が、よく炊事をしながらこの『鼻唄』を口ずさんでいた後ろ姿が記憶にありますが、やはりおふくろにとって何か調子の良い時と言うか、『機嫌』の良い時だったような気がします。

 

やはり『鼻唄』が出るという事は、その人にとって、体調も良く精神的にも充実している『至福の時間帯』なんだろうと思いますね。

 

たしかに泣きながら歌を歌う、光景はあまり見かけませんし、あったとしても何か重苦しい感じがしますもんね。

 

私の鼻唄の中味は、やはり好きな『ど演歌』が多く、『童謡』も時々、さすがに『クラッシク』は殆どありませんねー。

(「ジャジャジャ・ジャーン、ジャジャジャ・ジャーン・・・・」では、鼻唄にはなりません)

 

『鼻唄』が、『ついつい』を口から出ている(と気づいた)時は、「心も身体も穏やかな『幸せ』な時間を過ごしている時なんだ」とあらためて意識したしだいです。

 

これからも鼻唄が出るような日々が送れたら・・・・、いいと思います。

 

<サクラ並木「満開」・・・・運動公園にて>

 

<「サクラ」・・・・「メタセコイア」を背に咲く>

 

<こちら「チューリップ」も花開く・・・・近くの花壇>


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3月の年度末忙しい

2024-03-22 22:21:06 | Weblog

<2024.03.23> 

地域の『自治会』や『老人会』の役員をしている関係で、この年度末は例年ですが、やはり忙しいですね。

 

中でも自治会は会計を担当しており、締め切り後の『会計監査』、総会に向けての『決算書』の作成と日頃に比べて、緊張と多忙な日を過ごしています。

 

先日は、会計業務で1年間記帳し続けて来た『出納帳』から、各費目ごとの『仕訳帳』への展開をまず行いました。

 

この展開は、出納帳の記帳をパソコンでおこなっている関係で、EXCELの『フィルター』機能を使って約300項目の件数を割と簡単に仕訳帳に展開出来ました。

 

問題は、この仕訳帳の各項目(行数)対応の1枚・1枚の『領収証』・他とのチェックでした。

 

何かというと、領収証の数値が見えにくい事(数字)が年・年増えてきていることなんです。

 

歳と共に眼が悪くなってきているのが、一つあるわけですが、『レシート』形式の領収証には、金額欄が多数(領収金額・お預かり金額・そしてお釣りと)あり、この関係のチェックには、神経を使いますね。

 

それでも、1枚・1枚チェックの印(私は朱書きの小さい●印・・・・アトは監査の方がしっかりチェックマークを付す)を、そして仕訳帳(コピー)には、しっかり『』印を付しては、記帳漏れや・間違いがないかの確認をおこなったところです。

 

この作業を能率よく行うために工夫?(私なりに)していることがあります。

 

それは、日々の出納記帳をおこなう中で、各項目対応に数字で『ID番号』を付して、領収書にも同じ『ID番号』を付しておくことで、番号を追っかけることで「どの領収シート?」と探しまわる手間を省いていることです。

(これは、監査の方々からも分かり易いというお言葉をいただいています)

 

このようなチェック作業をおこなって、「間違いないー」と確信をしたあと決算書に展開していきます。

 

このあとは、これらの決算書・帳票類や領収証の『監査』を受けて、今年度の総会での決算報告に臨むわけであります。

 

もう、8年間このような作業を、毎年おこなって来ていますが、やはり会計としては3月が一番緊張する月でもありますね。

 

自治会活動の中での、年度締めの会計業務の状況・感想を綴って見ました。

 

*因みに私は経理専門家ではありません。

 

<「サクラ満開」・・・・運動公園にて>

 

<「紫モクレン」も・・・・運動公園にて>

 

<「菜の花」も!・・・・運動公園にて>


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高齢者の新聞投稿を読む

2024-03-15 22:44:37 | Weblog

<2024.03.16> 

私は新聞の中で購読者からの投稿『声』欄は、毎日読んでいます。

 

この『声』への投稿者で、最近高齢者が多くなっていますね。

 

そうですね、70歳代~90歳代が多いですね。

 

若い世代から壮年の世代の投稿もありますが、日々の生活(仕事等)が忙しく、『声』欄などにはあまり目がいかないのかも知れません。

 

*中には継続的に『高校生の投稿』もあるようです・・・・学校が推奨か?

 

私は高齢・閑なので、新聞は毎日1時間ばかりほとんどの紙面に目を通しているわけですが、『声』欄は熱心に読んでいます。

 

特に、私と同年代以上の方々の投稿には、力?を入れて読んでいるところです。

 

同年齢のこの方々が、世の中の出来事をどんな『切り口』で見ているのか、自分と比べてどうなのか?・・・・少し競争心を持ちながらですね。

 

『自分の歩んで来た生き様』や『今の政治への想い』や『ボランティア活動』・・・・、多岐に亘っているようです。

 

拙い文章しか書けない私(何回か新聞に投稿するも✖)にとって、読みながら感じることは、文章の切り口に端を発して『まとめ方』や『文脈』・・・・、「うーん なるほど さすがだなあ・・、分かり易いわあー」であります。

 

中でも、年齢を見て『90歳以上』・・・・、「すごーい!、よくまあー 90以上でこんな文をねー、だてに長生きはしてないなあ・・・・」です。(脱帽ですねー)

 

先日の新聞投稿では、『日記の勧め』(30年以上続けている75歳の方)がありましたが、「文章(日記)を書き続けることは、認知症を遅らせるには格好の手段だと思います・・・・」と締めてましたね。

 

私もこの方の考え方には大賛成です、「そうだ!そうだ!その通り・・・・」、大きく相槌を打って読み終えたことでした。

 

新聞投稿『声』欄を愛読していることについての想いを綴って見ました。

 

<「キンセンカ」と「水仙」のコラボ・・・・近くの花壇にて」

 

<こちらは「水仙」の奥に「チューリップ」・・・・開花が待ち遠しい>

 

<散歩の人も多くなって来た・・・・きれいに清掃された緑地帯>


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