<2021.04.17>
老人会の早朝ゴミ拾いの日の折にふと顔をあげると、遠方に映える雲仙の山々がくっきりと見渡せました。
いつもと変わらぬ、山の姿ではありましたが・・・・。
山と言えば、日本には『富士山』に代表されるような、美しい姿の山々がたくさんそびえています。
私達日本人にとって、特に山の麓で暮らす人々にとって、日々目にする山の姿をどのような気持ちで眺めているだろうか・・・・と、ふと思うことがあります。
山の姿を観てその雄大さに若い心をかきたてられ、この山のような大きな気持ちを持った人間になろうとか、その山のふところに抱えられて安堵した気持ちになったとか・・・・、その人その人の人生観の中に何がしかの影響を及ぼしたりと、山の姿は千差万別ですが、人々の心に何らかの感慨を与えている気がしてなりません。
私が18歳まで過ごした故郷、大分の山は、八面山(ハチメンザン)と名前が付いた標高600m余りの山でした。
頂上が平べったい山ですが、片方の端面が絶壁で切り立ったような形をしており、どこから見ても同じ様な形に見えるために、八面山と名前が付いたと子供の頃に教えられました。
穀倉地帯の平野から見えるこの山の姿は、あまり高くはないのですが、美しくどっしりとした感じで、故郷を離れて60年余り経った今でも思い浮かべることが出来ます。
第二の故郷から見える雲仙の山の姿を仰ぎながら、生まれ故郷の山につながった、山への想いを綴って見ました。
<故郷の山・・・・八面山(10数年前JR車窓より)>
<冬ごもりを終え新芽少しずつ・・・・街路樹>
<ハナミズキの花・・・・公園に咲く>