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アメリカ同時多発テロはなぜ起きたのか。“史上最悪”のテロ事件を写真で振り返る【9.11か…

2022-09-11 18:17:31 | ニュース
アメリカ同時多発テロはなぜ起きたのか。“史上最悪”のテロ事件を写真で振り返る【9.11から21年】
2022/09/11 06:00


(ハフポスト日本版)
民間機4機が国際テロ組織にハイジャックされ、日本人24人を含む2977人が犠牲になった、アメリカ同時多発テロ(9.11事件)から11日で21年を迎える。
航空機が世界貿易センタービルに激突する瞬間や、ビルが白煙を巻き上げながら崩れ落ちていく映像がリアルタイムで放送され、その惨劇は世界を震撼させた。

多数の民間人の命を奪う「対テロ戦争」の発端にもなった“史上最悪”のテロ事件は、なぜ起こったのか。事件現場はその後、どう変わったのか。写真と資料で振り返る。

2977人が犠牲に
2001年9月11日午前8時46分、乗客乗員計92人を乗せたボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が、ニューヨークの世界貿易センタービル北棟に衝突した。

ハイジャックされた航空機が衝突し、炎上する世界貿易センタービル(ニューヨーク、2001年9月11日)
その17分後、乗客乗員計65人を乗せたユナイテッド航空175便が、世界貿易センタービルの南棟に突入。午前9時37分には、バージニア州の国防総省(通称ペンタゴン)に、アメリカン航空77便が激突した。

午前10時3分、ペンシルベニア州・シャンクスビルの平野に最後の1機のユナイテッド航空93便が墜落した。

2機が衝突した世界貿易センタービルは、11日午前10時〜10時半ごろにかけて相次いで崩れ落ちた。 

崩れ落ちる世界貿易センタービル(2001年9月11日)航空機が衝突したペンタゴン(2001年9月11日)ユナイテッド航空93便の墜落現場。44人の乗客乗員は全員死亡した(ペンシルベニア州、2001年9月12日)世界貿易センタービルの崩落現場で救助活動をする消防士ら
一連のテロ事件の犠牲者数は2977人に上った。その中には、建物内で生存者の救助活動にあたっていた警察官や消防隊員も含まれている。
現場で有害物質を吸い込んだり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したりと事件による健康被害に今も苦しむ人は多い。
ハイジャックした19人の実行犯たちは、国際テロ組織「アルカイダ」のメンバー。航空機4機に4〜5人ずつ乗り込み、全員死亡した。
ペンシルベニア州の平原に墜落したユナイテッド航空93便は、乗客と乗員たちがハイジャック犯に抵抗したため、標的であるワシントンD.C.のホワイトハウス(アメリカ合衆国議会議事堂とする説もある)に到達しなかった。
行方不明者の情報を求める貼り紙ワシントン・スクエア・パークでキャンドルを灯し、テロの犠牲者を追悼する人々(ニューヨーク、2001年9月14日)アメリカ同時多発テロを報じる全国紙の2001年9月12日の朝刊のコピー。「まさに戦場」「世界震かん」などの見出しが並ぶ
国際テロ組織「アルカイダ」とは
9.11事件を引き起こしたアルカイダは、1989年に誕生した国際テロ集団。どんな組織なのか?
ソ連軍は1979年、アフガニスタンに侵攻する。ソ連軍の駆逐を目的とした「ジハード」(聖戦)に参加するため、アラブ諸国の若いムスリム(イスラム教徒)を中心とする義勇兵たちが、アフガニスタンや隣国パキスタンに向かった。
1989年にソ連軍がアフガンから撤退すると、対ソ連で戦った抵抗勢力の間で内乱が発生した。こうした中、一部のアラブ人義勇兵たちによって次のジハードを戦うための組織アルカイダが結成された。
9.11事件当時、国際テロ組織「アルカイダ」の最高指導者だったオサマ・ビン・ラディン
アルカイダの幹部らにとって、戦場を失った義勇兵たちの処遇は喫緊の課題だった。1990年の湾岸危機で、米軍がメッカとメディナというイスラム教の2大聖地があるサウジアラビアに駐留したことは「異教徒の軍隊がイスラムの聖地を占領している」とみなされ、攻撃の対象とされた。
アルカイダの論理はエスカレートし、サウジアラビア駐留軍だけでなく、全てのアメリカ人を「標的」とするようになった。
アルカイダの最高指導者のオサマ・ビン・ラディンは、2011年5月2日、パキスタンでアメリカ軍特殊部隊に殺害された。

【この記事は、保坂修司氏(日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長、日本中東学会会長)の監修のもと作成しました】

以下略ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 


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