GWの前半分。
就労状況が少し変わって、今まで9連休が多かったが、今回は前半、後半になった。
GWは、なんとなく、ゆったりした時間を過ごせる。
ずうっと気になっていた、あのこと、このことをあせらずにゆったり消化できるのがありがたい。
ずうっと気になっていた部屋とキッチンの模様替えがやっと完了。
無期限にしてもらった音源の作成も、6曲分仕上がり。
最近ご無沙汰だった、上野へも久しぶりに2館はしご。
そして今回は、予定外の収穫があった。
かつての人気連続ドラマの放送があった。
題名は『ゲゲゲの女房』人気漫画家『水木しげる』の半生の物語。
水木茂の漫画に初めて出会ったのは、『墓場の鬼太郎』のタイトルで、「手」の話だった。
その時は、おどろおどろしていて、怖かった。
その後、テレビ漫画に登場。
「ゲゲゲの鬼太郎」と名前が変わり、かつての怖さはほとんどなくなっていた。
また、軍隊生活の話とか、テレビでの対談とかも見る機会があり、苦しく悲惨な軍隊生活を
送ったこと。戦争で片腕を亡くしたこと。
初めは漫画が怖がられて、読者が増えなかったことなどを知った。
『ゲゲゲの女房』の連続ドラマの存在はしっていたが、某局の連続ドラマはほとんど見ない。
水木しげるの妻の話だというのは、すぐ想像できたが、仕事へ行く時間の放送だし、基本的にこの手の連続ドラマは
見ないことにしているので、視聴したことはなかった。
今年のGWで、特集していることを知り、興味をもって視聴。
時には、くすり。
時には、涙がぽろぽろ。
一喜一憂しながら、CM時間がウラめしく。
今回のGWは充実した前半。
さて、後半は、如何に。
、
ねたみ、そねみ。嫉妬というものは、人を醜くする。
「悪魔の花嫁」という漫画に嫉妬にかられた女が、他人を貶めて、ほくそ笑んだものの、醜くなった自分の顔に
気づいた時、悪魔が囁いた。
人の顔って、無表情を装っているときは、何も現れない。
感情によって、微妙に変化していく。
喜怒哀楽というが、顔の表情はそれこそ、何百とあるかも知れない。
合唱では、「心を籠めて」とよく言われる。
気持ちをこめると、声にも変化が。
声の表情が変わる。
顔の表情は、顔だけにとどまらず声も変わる。
ヒトの体の不思議のひとつ。
嫉妬の世界史
山内昌之
新潮新書
世間では、27日からGWとか。
一足早いGWで、久しぶりに、上野に出向いた。
そこそこの人出で、ゆっくり作品を鑑賞することができた。
ダヴィンチの天才ぶりをより感じた。
絵画のそこに、建築などの計算に基づく緻密さの凝縮があることをはっきり感じた。
ぶれのない、カチッとした構図、一見、柔らかな線に潜む惑いのなさ。
天才は、努力をせずとも、身についているという。
多方面にわたる天才ぶりを発揮したダヴィンチはさぞ生涯が短く感じていただろう。
なんとも、羨ましい。
人類が誕生。なんとなくわくわくする。
二足歩行の原人、原始人、現代人との移り変わりのイラストを見ていて、
さらに祖先との間のことが略されている気がした。
急に二足になるのは、不自然だと感じた。
体毛の短い、原人の復元親子のレプリカが愛らしかった。
仏像には、不思議な魅力があって、美術品の如くに、鑑賞するのを楽しみにしている。
関西に住んでいたころは、週1程度に奈良の寺をめぐり、仏像に会いに行ったものだった。
本来、仏像は、美術品ではなく手を合わせて拝むものという認識にはなかった。
以前、所属していた合唱団には、仏像を彫る人がいて、上野で待ち合わせて、グループでお寺に参拝。
仏像について、お寺について、参拝のルールなどを教えてもらった。
仏像とはそもそもなんなのか。
何故、大仏なのか。
仏像の印相とは何か。
など、どれも興味深かった。
仏像でわかる仏教入門
ひろさちや
講談社+α新書
食い倒れの街の顔が消えるかもとのニュースがあった。
大阪の地下街に行ったことがあった。
大阪在住の人に、連れて行ってもらったので、店名は記憶にない。
止まり木に、10人くらいでいっぱいのなるくらいの店だったか。
カウンターに山盛りのキャベツが、並んでいたのが、強い印象になっている。
生でかじったキャベツの甘味が今でも忘れられない。
それまで、キャベツは油いためか、千切り、湯通しに、醤油を垂らすか、マヨネーズをかけるのが
多かった。
タレが山盛りキャベツの横に「2度つけしないで」との添え書きのそばにあって、いくらでも、食すことができた。
キャベツの甘さを、その時初めて知り、それ以来、まずは、生で食すようになった。
そして、それ以来、生で食せる物は、一度生で味わうようになった。
口直しに、その後に醤油をつけたり、はするものの、素材の味を楽しむ喜びに夢中になった。
関東に戻り、内陸に居を構え、生食に会う機会が減って、あの時のおいしい素材を味わう楽しみが
なくなってしまった。
先日、海の近くの宿に泊まる機会にあって、刺身や、焼き魚を口にする機会を得た。
けれども、舌が変わってしまったのか、刺身たちの味が変わったのか、美味しいと思えなかった。
少しだけ、口をつけて、皿の刺身がたくさん残った。
周りの人たちは、「美味しい、美味しい」と食すので、「美味しくない」とは言えなかった。
何度も、お造りを食す機会を共にしてきた、知人は「刺身ダメなんだよね」と言い訳してくれた。
「そうじゃない、本当は、大好きなんだけど、美味しいと感じないから、食べないんだよ」と言いたかったけれど、言葉を飲み込んだ。
「刺身嫌い」とのレッテルを貼られた、刺身大好き人間なんですが、と言いたいけれど誰も理解してくれない。
こちらの舌が、たとえば、養殖物に慣らされたのか、それは、わからない。
幼いころに食べた、刺身のおいしさは、記憶にあるだけになった。
「檀家ゼロ、運営はNPO、葬式・法事はしない」
そにょうな寺が存在していた。
4年ほど前まで、墓を保有していた。
年に1回、元旦に、集まりがあり、寺に出向き檀徒会費を収めた。
4月8日にも、集まりがあった。
夏ごろにも何やら会合があり、「○○修理への寄付」「○○費」「××費」とかで現金が消える。
はじめの頃は、きちんと支払っていたが、2,000円の会費が払えなくなった。
半額の1,000円を持参したが、住職が追いかけてきて「足りません」と。
事情を話して勘弁してもらった。
その後、墓を手放そうと決めた。
墓地の購入、70万
墓に140万
更地への費用50万
無駄な出費をしたと、悔いた。
最近では、自然葬なども増えてきているそうな。
葬式も直葬というのもあり、こちらも体験した。
派手で豪華だと、「いい葬式だった」と評される気がする。
今までに、仏式、神式、自宅で、公民館で、集会場でと様々な式で沢山の知人や親せきを送った。
最近、増えている新しい形。
個人的には、思惑の違いはあっても、傾向としては進んでいくのかもしれない。
既成にとらわれない庶民が増えていけば、既成にとらわれない寺の存在が求められるのかも。
生き残りをかけて、寺の脱皮が増えるのだろうか。
葬式をしない寺
大阪・應典院の挑戦
新潮新書
墓というものは、時代の権力者と、庶民との関係を映しているものかもしれない。
大昔は、一様に、風葬、鳥葬、など、自然にゆだねた。
権力者と庶民の差が大きくなってくると、弔いの形に大きな差が生じた。
集団墓から個別墓へ権力のあるものは、古墳やピラミッドに変わっていったそうな。
今でも、葬儀の規模から、墓の大きさまで、差がある。
庶民でも金持ちは、大きな墓を作る。
一般的には、一坪や半坪ほどの小さな墓に。
団地風の墓所や、ロッカーのようなものまで。
自然葬にも関心が高くなってきているそうな。
墓にも時代が現れる。
古墳とはなにか
松木武彦
角川選書
僧侶は官僚
鎌倉新仏教が宗派の始まり
修学旅行が救い
念仏信仰
禅文化
葬式仏教
国の乱れ
破門
興味深かったのは、宗派による葬儀の違い。
戒名にみられる宗派というのもの。
浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか
仏教宗派の謎
島田裕巳
幻冬舎
都営交通が24時間化が推進されそう。
利用者にとって、24時間いつでも利用というのは魅力。
遅くなったら、高い料金の深夜タクシー、終バスの深夜料金は、庶民にとっては、痛い。
滅多に深夜利用することは、少ない者にとっては、一番に思うのは、電気の節約が逆行になる懸念。
深夜料金をあてにしている、タクシードライバーの収入に影響することへの懸念。
24時間戦うことを、もくろんでいる経営者に翻弄される、労働者の健康への懸念。
深夜や明け方にも労働を要求される労働者が増えるだろうことへの懸念。
そのようなことが頭をよぎる。
一部の人への、サービスは別の人への提供を強いることへの配慮は、どれくらいあるのか。
さっぱり進まない労働時間の短縮。
本来の希望と違うワークシェアリング。
それらがうまく機能してくれるのなら、賛成したい。
あちらを立てればこちらが立たずというのは、慎重に対応してほしいもの。
一方に過大な負担を強いるのは、止めて欲しい。
無理な方式、安易な方式は、頓挫する。
つもった赤字の負担を強いられるのはいつも、民。
中国で「日本のたまごご飯は特に危険な食べ物」という、ニュースがあった。
記事を読んでみると、「なまの物を食さない中国にとっては、なまでご飯にかける食品は
そもそも危険。というものにようだ。
中学生の頃だったか、
「真っ黒なご飯を中国では食します。ハエがたかるくらいなら、安全だから」という話を先生から
聞いて、必ず、熱を通す習慣の国。なま物は食さないという、習慣に驚いたものだった。
日本では生で、食すことが昔は多かった。
豆腐とか、キャベツとか、胡瓜とか、烏賊とか、蛸とか、刺身とか。
中国もだが、国の食文化としては、煮込んだり、揚げたりというのは結構多そう。
日本の卵は殺菌処理されたりしているが、それでもサルモネラ菌だったかに感染することも
あるのだから、確かに危険と言えなくもない。
加熱してあっても、食中毒が潜んでいることがある。
真空包装であっても以前、死亡者が出たことがあった。
危険な食べ物は、どこにいでもあって、どういう形でもあるのかもしれない。
先日、テレビをみていたら、
加熱した食物を、バナナだかの葉っぱのお皿に盛っているのをみた。
「あのお皿、大丈夫?」と一瞬気になった。
文明の国では、完全な、安全食品は存在しないのかもしれない。
恐怖というのは、たいていの人が持っている感覚のひとつなのに、
感じるという面からいうと、奥が深い。
同じもの、同じことを見せたとしても、同じ感覚には、ならない。
とても感じる人。ぞっとするとき。じわじわと広がるもの。
見える恐怖と感じる恐怖。
耳から聞こえる恐怖が加わっることもある。
恐怖というものは、体験からも増幅する。
同じような事柄。同じ現象が、年齢や体験によって、変わってくることも。
人は、なぜ恐怖を感じるのか。
生を受けた人が、基本的な五感を育むのに、体に影響の強いものを先に会得
していくと聞いたことがある。
生死にかかわることを、まず身に着けていくのだそうな。
恐怖は生死にかかわるかもしれないという警告が込められていぬのかもしれない。
でも、気のつかないこともあるのは、説明つかない。
「怖い絵」で人間を読む
中野京子
NHK出版生活人新書
主催:小豆島町
数字に弱いので、いまいち面白さが味わえなかった。
切り口としては、面白かったし、科学の視点での、解説は、目からうろこの感も味わうことができた。
「笑気ガス」については、テレビドラマで、紹介されていたよな場面を見た記憶がある。
てっきり、笑い転げると思っていた。
最近は、そうした類はお目にかからない。
死を招く毒とか、精神を破壊されるガスとか、悲惨なものばかり。
ETの食費が月々517万というのには、思わず顔がほころんだ。
シュワの肺活量とか、体重の話とか、は、発見になった。
そうした分析で見ることは、興味深い。
空想科学映画読本
柳田理科雄 空想科学研究所研究員
扶桑社サブカルPB
「不妊治療助成、年齢制限を検討 厚労省、回数も見直しへ」というニュースがあった。
年齢が一定上になると、妊娠しにくいということもあるので、年齢制限を。
助成なので、回数も見直そうということのようだ。
望まないのに、妊娠して、トイレで、殺してしまう人。
結婚すると、すぐに、赤ちゃんの話題に、悩まされるカップル。
「赤ちゃんの誕生」というのは、華々しく見えるが、誰もが喜ぶわけではない。
世間体とか、一部の人にとっては、「結婚=赤ちゃんの誕生」という図式があって、それが普通と
思う人が近くにいると、プレッシャーとなる。
正直なところ、あまり、望まないのにと、思いつつ、赤ちゃんの誕生に躍起にさせられるカップルも
出る。
「孫の顔が早く見たい」なんて言葉に傷つく人もいるはず。
「不妊治療は、きつい」との声を聞いたこともある。
めでたく、子宝に恵まれて、子育てをしている話も聞く。
恵まれないからと、養子をもらったら、一年もしないうちに、子宝に恵まれ2年の間に二人の子持ちに
なった人も。
望む人には、順当に。望まぬ者にはそれなりに、いけば何の問題も起こらないだろう。
誰にとっても、最善になることが、一番賢明なことだと思う。
思い通りにならないのが、歯がゆい。
できるだけ、救える、環境になってほしいものだと願う。