ゴールデンウィークが目前に迫って、家族旅行をするでなし、ハイキングをするでなし、
そんなでも、なんとなくうきうきする。
そんな、心がなんとなくわくわくという週だというのに、大変な事故が起きた。
バスの運転士が刺されたとか、何とも、「どうなっているの?」と、言いたいような、
理不尽な交通事故が集団登校の小学生に起きたそうな。
意識不明とか、重態とかの報道。
お腹の赤ちゃんが亡くなった。
そして、保護者と小学生も亡くなったそうな。
なんともやりきれない。
加害者は無免許。
それも一晩中運転をしていての居眠りだったそうな。
「自動車運転過失致死傷」の容疑に切りかわったらしい。
容疑が変わっても、死傷者を出した事実は変わらない。
本人がどれだけ反省しても一生背負って行くことになることを、本人に自覚してもらうことが
せめてもの償いだろう。
この事件は、また、当然、同乗者へも及んだ。
少年が無免許と知りながら自宅へ送るよう頼んで運転させた疑いがあるという。
飲酒運転もなかなか減ってはいても、悪質な運転者は、なくならない。
飲酒しても、なお運転をしようという、輩も無くならない。
飲酒の場合、同乗者への罰則も強化されたので、同乗者の割合は減ったようだ。
免許を持っていても、車は凶器になることを、認識しない運転手がなくならないのだから、
免許に、疎い免許を持たない人はさらに危険性を考えないことも、問題が大きいだろう。
頼まれると、嫌と言えないとか、無理に頼まれることにもつながると、立証も難しくなってくるだろう。
一つの事故で、人生が変わる。
命を落とした者。
その家族。その親戚。その周りの知人、友人。その者たちに、深い悲しみと、言いようのない怒りをもたらし、
重傷を負った者。
本人のこれからの人生は、どれだけの苦難が待ち受けるかは、未知。
そして、その家族、知人、友人、取り巻く人たちへも、問題を突き付けることもあろう。
「注意一秒、怪我一生」という標語があった。
今でも、この標語だけは、時折思い出す。
日々の戒めとすることもある。
交通事故は毎日、どこかである。
不可抗力なら、仕方のないこととあきらめるしかないが、非難に値する、問題があったら、関わりのある人
全員に、一生ついて回る問題になる。
それを、いつも、思って欲しい。
自転車でも死亡事故は起きる。
ペダルのない幼児用自転車なんてものが流行っているとも聞いた。
事故が何件も起こったので、「公道では乗らないように」という注意が出たらしい。
車があるからいけないのか。
車を動かす者が悪いのか。
人口が多いからいけないのか。
社会なのだから、一人ひとりが、目を向ける必要があるのではないだろうか。
こういう悲劇は、撲滅したい。