アナログ放送がついに終了した。
テレビ放送開始からの話題を某民放で特集をやっていた。
高視聴率の番組とか、初めての衛星中継とか、懐かしい映像に、しばし、回顧
の時を過ごした。
今朝は、久しぶりに亡き母に関係する夢を見た。
着物姿の知人がなぜか、帯なしで、佇んていた。
「帯あるから」と母の箪笥へ誘った。
何棹もある箪笥に、着物や帯がきちんと納められている。
「ここにも、あるし、こちらにもあるし」と引き出しをあけて、見せた。
そこで目が覚めた。
母が亡くなったのは、1996年7月28日の日曜日だった。
熱い日で、女性情報誌の編集会議をしていた。
「母が長くなさそう」との話になった。
「こんな所にいていいの?」と言われて、「もう少し大丈夫でしょ」とその時、答えた。
会議が終えて家路に着いた。
途中で寄り道をしようかと、ふと思ったが、どこへも寄らずに家に着いた。
家のなかでは家族が何やら、わさわさ。
「亡くなったそうだ」と言われて、そのまま病院へ向かった。
「手を胸の上に組んで、目をつぶった母の顔を見たとたん、涙があふれた。
人が泣くのには色々あるが、こみ上げてくるような感情から泣く体験は、初めてだった。
しばらく、泣くと、すっと感情の高ぶりが収まり、平静な自分に戻ったのがわかった。
末期の様子やら、を聞いた後、検査をするとのこと。
母は、悪性の結核にかかっていて、ご家族への感染があるかもしれないので、検査を受けて
くださいということだった。
家族全員、検査を受けた。
全員、感染はなかったとの判定だった。
予防のためにと薬を渡され、3日だったか1週間だったか飲むようにと言われた。
最近、母の逝去年を、失念していることに気付いた。
以前のパソコンのファイルやら、引き出しの中の雑多な書類やらをひっくり返して、年月日を探した。
半年くらい気になって、探したが、みつからなかった。
先週、エクセルの関数の手掛かりをと古い手帳を見ていて、何とその年月日をみつけた。
平成8年7月28日とあった。
あの頃、7月の終わりころと旧盆の2回夏休みだった。
7月の終わりは1週間ほど、8月は4、5日の夏季休業があった。
母は、夏休みの丁度後半に逝った。
30日に通夜。31日に告別式を、望んだ。8月1日からは、仕事が始まるので。
その前に終わらせたかった。
「親孝行という言葉があるが、子孝行な母だ」とその時、思った。
出社すると、死亡してからの喪主以外は3日間の忌引きなので、実質、忌引き期間は消化
されたことになっていた。
夏季休暇で、賄えたわけで、休暇を取らずに済んだことに安堵するとともに、平日の何もない時なら、有休でも使わなければ1週間も休めないということになるわけで、不合理を感じた。
夏季休暇中でなければ、30日までで忌引きが終わり、31日は有休か欠勤となるところだった。
実家が遠いとか、親類縁者が遠い場合、通夜と告別式に出席できるので、精一杯。ということになるわけで、日本の休暇は冷たいものだと、感じたことがあった。
そんな、思い出をよびさまされた週末だった。