自動車メーカー社員(当時25)が自殺したのは、長時間労働が続いていたのに会社側が適切にサポートしなかったのが原因だとして、両親が慰謝料など約1億1千万円の支払いを求めた訴訟の判決があったそうな。
裁判長は会社側の過失を認め、約6400万円の支払いを命じたそうな。
だいぶ、以前のこと、鎌田慧の『自動車絶望工場 ある季節工の日記』という本を読んだことがある。
季節工の身分で、総額は高くなるシステムに組み込まれた工員が、巨大自動車工場の
歯車となって、働く様のルポルタージュだったと記憶している。
その時に、季節工の悲哀と、巨大企業のおごりを感じたものだった。
社会人となって、派遣労働をしていた時に、派遣労働者は、「コピー用紙」と思ったものだ。
必要な時にはちやほやされ、用がすめば、捨てられる。
派遣労働者よりは、優遇されているはずの社員(正社員か契約社員は不明だが)においても、労働の搾取は、変わらない。
リストラで、一番に切られるのは、派遣やパートだが、高齢者や、若年も切られるし、人手が
少なくなって仕事の量は、増えるとの声を聞いたものだった。
結局、しわよせは末端から上層部へ上がっていく構造は変わらない。
正社員でも、ぬくぬくしてはいられない。
派遣やパートが切られるのを横目にしながら、首のつながりにほっとする間もなく、長時間労働やら、ハラスメントにおびえる毎日にかわるだけ。
弱者にあたたかい社会、血の通うシステムの会社は、ほんの一握りでしかない。
それも一部の人たちだけが温情を受け取れる仕組みでしかない。
長時間労働が、少しずつ、減ってきたものの、不景気などで、足踏みになった。
ワークシェリングも、机上の空論。歪曲されてしか、広まらない。
無神論者だけれど、神も仏もないものか。なんて、ついこぼしたくなる。