ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

晩祷

2011-11-30 10:47:59 | 日記

エヴェレストの麓だと言われていた、ラフマニノフの「晩祷」

最後の演奏会にむけて、指揮の先生から、檄があった。

「自分が作曲した気持ちで」と。

エヴェレストの頂上どころか、登ろうとする気配のない団員への苦言と受け止めた。

エヴェレストを望むんでなく、自分で砂山を造れということと解釈した。

どのような砂山をイメージするか。

どの程度の砂山にするか。

初めての試練。

今まで、指揮者からのイメージを受け止めて、それをできるだけ、表現することしか

してこなかった。

 

オーケストラの人が、指揮者からの、要望は要望として、自分たちの演奏を確立したうえで

指揮者からの指示を受けているということは、最近知った。

いくつもの、合唱の練習をしてきて、様々な指導者と出会い、

指導の仕方の違いはあったものの、楽譜に書いてあることを忠実にということまでしか

考えてなかった。

 

「晩祷」に出会って幾年月。

初めて、対峙、する。

 


ブログ

2011-11-29 15:00:57 | 日記

ネット検索していたら、どうも同じ合唱団に所属していると思しきブログに出会った。

旅行に出た時に同郷の人に出会ったかのような親しみを感じた。

過去の記事を読んで、同じ合唱団であることは、間違いない。

 

お気に入りに追加した。

これからも時折、訪問しようと思う。

何人かの人のブログがお気にいりになっているが、更新が、まれなのが多い。

皆忙しさの合間に更新しているようなのが、読者としては、ちょっぴり残念。

 

最近、さぼりがちなので、もう少し更新回数をふやそうかな。

最近、流行りのtwitterとかfacebookとかは、どうも、1歩も2歩も引いてしまう。

若者の携帯電話メールみたいで、しっくりこない。

 

 


誤登録

2011-11-28 13:21:42 | 日記

12年前、採取された容疑者の手の平の「掌紋」と呼ばれる情報が誤った形で登録され、容疑者の特定が遅れていたとか

科捜研とか、科学捜査は、今は、どんどん進み、データも蓄積されて、容疑者の特定に、活躍している。

指紋だとか、DNA鑑定などというのも、大人ならず小さい子どもでも知っている。

鑑識とかラボの活躍をテレビドラマでも毎日のように、放映されているし、結構視聴している。

犯罪捜査のプロたちの活躍。

科学の発達と、容疑者の特定の緊張感は、みているものにとって、関心が高いことと言える。

膨大なデータも、登録するのは、「人的」手作業。誤ったデータが登録されることもありうる。

データの改ざんも、悪魔のささやきや誤った正義観で、行うことができるのも機械だけにすべて、任せることができない、負の部分になる。

完璧というのは、アリ得ない。

機械だって、100%ではないし、人的な部分が多ければさらに完全さからは遠のく。

2重3重の、システムと言っても、完璧なものにはならない。

制度をできるだけ挙げて、データもどんどん増やしていってもらうしかない。

12年たって、逮捕・起訴されたので、間にあったことがせめてもの幸い。

毎日、起こる犯罪。

毎日、被害者と加害者の出る、社会。

いたちごっこなんだ。

でも、一人でも、無念を晴らせるかもしれない。

一回でも予防になるかもしれないということを、噛みしめて、行って欲しい。


ルーヴル美術館

2011-11-26 08:48:23 | 日記

ルーヴル美術館て、すごい。

国立西洋美術館とか、国立博物館とかの日本の建物へは幾つも、何度も

行ったことがあるが、ルーヴルの建物は、別格のよう。

行ったことのある人の話は聞いたことがあるが、飛行機で飛んでいかなければ

ならないから、当分実物にお目にかかれないだろう。

旅にいけない人が、地図や、電車の時刻表や、ガイドをみるように、この文庫本は、

とっても、有難い。

ルーヴルの凄さを、垣間見たと当時に、この文庫本を提供してくれた、出版社と

著者に感謝。

 

ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか

これだけは見逃せないルーヴルの傑作たち

井出洋一郎

中経の文庫


不手際

2011-11-25 15:24:00 | 日記

給水地点に水がない! 静岡のマラソン、参加者脱水症状

イベントを開催するとき、参加者がどのくらいになるか、

どういうものを、どの程度用意しなければならないかは、結構重要。

演奏会開催についても、会場の大きさや、入場の人数などの情報は、ほんの

一部にすぎない。

駅からどの程度あるか、集合時間は何時にするかによって、付帯事項が変わってくるし、準備するものや数量も変わる。

演奏曲を、きちんと決めて、指揮者も立てて、伴奏者も手配して、団員の参加人数を確認するだけでは、演奏会は成り立たない。

見通しと予算組も大事な事柄になる。

初めての会場、初めての試みになると、より、精通していないことの、苦労も増える。

よく、イベント会場にいくと、「(行き届かない所がありましたら)ご容赦ください」

と言われることがある。

それで、済むことなら、反省会で、「上手く行かなかったね」で済むが、何か、事故が起きたり、負傷者が出たりということになると、そんな悠長なことは言っていられない。

物事には想定というものがある。

気をつけていても、起こる時は起こる。

イベントを企画するものは、心して準備する必要があるだろう。

「人命にかかわるようなことは?」「大事故の危険は?」

なども念頭に置いて欲しいもの。

不手際で笑って済ませられるかどうか。


ため息

2011-11-24 10:04:19 | 日記

メーカーのおごりというか、メーカーの精神を疑う事件が、後を絶たない。

 

運転教習所の教官によるひき逃げも、許し難い暴言を発しているが。

 

先日来、ニュースになっている、「フェニックス」という会社が、アレルギー問題が発覚してから

同じ成分を使った商品を別の6社でも製造販売していたという、信じがたいことが起きていた

ようだ。

 

ことわざに

「生き馬の目を抜く」とか「赤子の手をねじる」とか、惨いことを称したものがあるが、

まさに、それを地でいっているような話題。

同じ人間の仕業とは、思いたくない。

人って、戦争の時にはかくの残酷になれるというのは、歴史にいくつも実証がある。

戦争とかの異常事態でなくても人は、残酷になれるというのは、各国の歴史にも

現存している。

 

けれども、人口が増えればそれだけ、身近な物になるのだろうか。

公害というのが日本でかつて、大問題になった。

今でも、あとを絶たない。

 

人が人を欺いたり、陥れたりというのも、社会では、常識とも言えるほど蔓延している。

たった一人の影響で、何万人何十万人もの人に、影響を与えることも今では容易なことに

なっていることが世の中の便利の裏表なのかと思う。

出るのは、ため息ばかり、也。


運命

2011-11-23 08:08:14 | 日記

運命というのを逃れられないと思う人。

運命は避けられないと思う人。

さまざま。

以前、アニメのドラえもんの中で、

道がかわっても、目的地は同じになるとかの説明があって、

半信半疑ながら、妙に納得した覚えがある。

DNAに、その人の運命が書き込まれていると聞いたことがある。

誕生する以前から、運命は定まっていると、思う。

どういう人生を送るかも、たぶん定まっている。

しかし、努力をする人も、流されている人も、そういう定めなんだと。

ただ、それは努力をしても無駄とか、努力は必要ないとかではないと思う。

 

科学では説明できない

奇妙な話 偶然の一致篇

運命の謎を探る会[編]

河出夢文庫


窒息死

2011-11-22 11:00:54 | 日記

しつけと称し、3歳の長男をポリ袋に入れて窒息死させた男に、懲役6年の判決があったそうな。

まだあどけなさの残る被告の写真。

大人になりきれない大人のなんと多いことか。

手足をしばられて、ビニール袋の入れられて、窒息させられた子どもの無念さを思うと、胸がはりさけそうになる。

判決で「むやみに苦痛を与える危険な行為で、しつけになり得ず悪質」と言ってくれたのがせめてもの

救い。

しかし、わずか6年の懲役が果たして、妥当なのだろうか。

人を死にいたらしめても、故意か事故か、状況はなどで、罪の重さは様々。

だいたい、故意でない以外は罪が軽くなるのは、仕方のないことではある。

交通事故による死亡による、懲役もそうだが、被害者の心情を汲んでいると言えない判決は、

辛いものがある。

せめて、加害者が深く反省し、心を入れ替えて、くれればと願う。

 

「wikipedia」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%BD%AA

 


2万6000分の一

2011-11-21 11:50:26 | 日記

JR中央線で、また、人身事故があった。

都営大江戸線の光が丘での演奏会の帰りだった。

大江戸線で東中野前で戻り、中央線に乗り換えた。

吉祥寺駅まで来たところで「ただいま、人身事故がありました」

とのアナウンス。

「当駅で運転を見合わせます。三鷹駅までお越しのお客様は、総武線を・・・」とのこと。

ほとんどの人は、そのまま、動じず。鞄の文庫本をそのまま読む。

停車してから、45分ほど経過。

ようやく、「運転再開します」との嬉しいアナウンス。

文庫本は、あと数ページの所まで読み進んでいた。

ようやく乗り換えの立川駅に到着。

18時も回ってあたりは、真っ暗。

まだ時間が早いこともあり、乗客は一様に、あわてる人も、焦っている様子もない。

青梅線の始発ホームに行くと、発車予定時刻を過ぎた河辺行きが停車中。

しばらく待ってようやく発車となった。

目撃者によると、自殺とか。

先日、自殺した遺族へ、慰謝料を払えという、判決があった。

たしか、マンションの話。

鉄道の場合は、被害を被った客や鉄道会社への慰謝料を請求されることはないそうな。

鉄道が1分止まると100万円の損害とか、聞いたことがある。

今回2万6000人の人が影響を受けたそう。

少なくなっているという鉄道への自殺者。

自殺行為そのものがたくさんの人へ、多大な影響を与えているということを、認識して欲しいと思う。

2万6000人のドラマに色々な影響を与えたということって、ものすごいことではないですか。

恨む人だって、いたかもしれないでしょ。

 


他人

2011-11-14 12:19:14 | 日記

またも、肉親の自家用車にひかれて幼い命が奪われた。

自動車事故は年々減っているという。

飲酒運転も、総数から見れば減少している。

目につくのは、自転車事故と肉親の運転する車による、幼児の死亡事故。

車の後ろにいた幼児は、車の運転席からは見えない。

自宅近くの場合、運転する肉親も、気が緩む。

幼児は、車の怖さを知らない。

車から降りた時や、車庫に入る時、幼児がいる場合は、注意する必要がある。

5歳未満の事故は、保護者の責任。

道を散歩する時も、歩道の歩き方、横断歩道の渡り方、信号機のある道路の横断など。

一人で歩く時以上に、神経を使った。

子どもは、平気で人の前を横切る。

よく、「危ないよ」と声をかけて、ヒトの前を横切ること。

横断歩道を渡る時も、左右の確認をすること。など徹底したものだった。

年長さんくらいになると、歩道から少し外れると、こちらがたしなめられたものだ。

 

最近、歩行する人の、マナーが悪いと言われる。

大人でも人の目の前を横断するし、信号を無視する人も結構多い。

そういう大人は、おそらく幼児に対しても、注意しない。

幼児がいたら、どう動くか確認することさえしない。

『「車がよけてくれる」と思っている人が増えた』と言われるようになって久しいが、他人無視、他人はかぼちゃとでも思っている人が増えたのかもしれない。

人前で上がるという人も減ったようだし、世間体を気にする人も減ったようだ。

自己を確立するという以前に、他人はいないと思う人がほとんどなのだろうか。


音楽

2011-11-13 10:27:44 | 日記

我が家にステレオプレーヤーが来て、始めて買ったレコードはベンチャーズのエレキ

ギターの曲だったか。

その後は、黛じゅんの「夕月」とかペールギュント組曲とか、のSP盤。

LP盤としては、クラシックのものや民謡集や軍歌などをせっせと購入した時期があった。

やがて、CDが出てきた。

暮らしの変化もあって、CDを聞くのは、めっきり減った。

合唱の音取りがカセットテープからCDに代わった頃、ICレコーダーを利用するようになっていたので、CDからICレコーダーに録音しなおして、ICレコーダーが日常に。

CDは、演奏会の録音とか、練習のための模範演奏を聞くというようになった。

かつて、買いだめしたレコードも、今では、レコードプレーヤーさえ、無い。

テレビから録画したDVDも最近、合唱祭の録画に変えた。

CDの売り上げが減って、ライブの入場者が増えているというのが最近の事情と

いうのは、分かる気がする。

 

音楽は、生ものなので、録音は生の演奏との違いは大きい。

思い出の録音は有難いが、ライブの良さは、録音では味わえない。

CDやDVDも場所を取る。実際一時期は50は超えていたと思う。

最近は増やさないようにしている。

 

未来型サバイバル音楽論

USTREMtwitterは何を変えたのか

津田大介+牧村憲一

中公新書ラクレ


日産スタジアムで第九

2011-11-11 09:31:44 | 日記

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  日産スタジアムで第九を歌おう!
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<イベント概要>


 開催日時:2011年11月23日(水・祝)
 会  場:日産スタジアム


 曲  目:ベートーベン交響曲第9番/上を向いて歩こう 他
 指  揮:増田和典


 演  奏:東京ユニバーサルハーモニー管弦楽団+有志からなる合唱団
 観覧入場料:無料 ※要 申込み


 お 申 込:http://www.wazoo.jp/open/utadium2011

 主  催:日産スタジアム

<合唱参加者募集要項>
 参 加 費:お一人様 4000円(小学生以下は無料)
 お 申 込:http://www.wazoo.jp/open/utadium2011

 練 習 日:11月4日(金)、11日(金)、14日(月)、21日(月) 各日19:00~21:00
尚、21日(月)のみオーケストラとの合同練習になります。

 参加費の入金確認後、参加マニュアルを発送いたします。
     (練習へのご参加は可能な限りで構いません)
 練習場所:日産スタジアム施設内


 ※参加者には記念品贈呈
 ※参加団体名を日産スタジアムサイトに掲載、紹介(希望団体のみ、要申請)
 ※申込受付後、参加マニュアルを送付致します
 ※楽譜をお持ちでない方には「ショパン編集部:ベートーベン交響曲第9番
  より「歓喜の歌」フリガナ付CD対応版」を推奨します

<詳 細 情 報>
 http://www.nissan-stadium.jp/news/detail.php?id=id4ea0f8851e002
 


最悪

2011-11-10 15:27:32 | 日記

日頃から、マイペースを信条にしている。

平和な日々が続くと、鬱の気分になる。

「人生は無」と、華厳の滝つぼに飛び込んで自殺した、東大生のことをよく思い出す。

思春期なんかはもう、とうに過ぎているのに、ともすると、「死」の影が忍び寄る。

頭の暇な時間を作らないように、と思っているけれど、次から次と、頭を悩ます問題が起こってくる。

某合唱団の団長から、いとも簡単に、言われたこと。

某合唱団の会計担当から、「問答無用」的な、クレームのメールに、凹むどころか、打つのめされたかの如くに、言葉を失ったこと。

考えないようにと、あれこれ、気をもんだら、先の練習時に、痰が絡んでいたわけでもないのに、声が出なくなっていた。

あれこれ、ためしながら、練習に臨んだものの、2時間の練習の後半は、完全に落ちた。

ほんの少し、喉の痛みが違和感的にあったくらいで、他に思い至る原因がわからない。

ショックなことがあると、声が出なくなるなんてこともあるらしいが、しゃべるのには何の支障もない。

発声をおざなりにした報い?

よくわからないが、最悪な練習日だった。

皆は、補習で居残りをして練習をしていたようだが、早々に逃げるように退散した。

初めての経験だった。

 

 


どんぐりコンサート

2011-11-06 07:22:04 | 日記
◆◇◆◇◆◇「どんぐりコンサート」のお知らせ◆◇◆◇◆◇
2011年11月6日(日)
開場13時 開演13時30分
入場無料
「空に、樹に…」新実徳英
「野菜サラダ物語」寺島尚彦
演奏/混声合唱団ショコラ

「旅」佐藤眞
演奏/新都心男声&女声合唱団

指揮/神尾昇
ピアノ/鈴木美苗
ピアノ/赤塚伸子

演奏

2011-11-04 12:37:00 | 日記

ピアニストは一日8時間練習する。とうのをだいぶ以前に聞いたことがある。

声楽家は2時間くらいと。

以前、世界的な、声楽家が、毎日、何時間も練習して、学校へ入学した、という伝記を読んだこともある。

ランランというピアニストのことを昨年のクラシカジャパンで知った。

演奏を聞いたことはなかった。

図書館で、題名を見て、興味を持った。

幼いころから、毎日毎日、父親の監視の下で練習を重ねたこと。

当初はコンクールで優勝することを、目的にしていたこと。

ピアノが、励みであり、慰めであったこと。

やがて、ドイツやアメリカで活動をし、色々な指導を受けながら、挫折したり、認められたりしつつ

成長していったこと。

練習量の物凄さは、半端なものではなかった。

ただ、成長とともに、変わった物としては、コンクール目的から、演奏に主眼がうつったことを知った。

しかしながら、彼は幼いころから、演奏する時には、いつも何かしらイメージしていたということも知った。

演奏はすべて、イメージしながら、行うものだということを、日常の合唱練習でも、指導者から言われている。

指導者がリサイタルをする時も、イメージをいつも考えているという話も聞いた。

合唱の時に、強弱だとか、演奏記号について、指導者から、よく注意を受ける。

音取りの段階でも、イメージを言われることもある。

音符を正確に取ること。

強弱や演奏記号を忠実にすること。

それだけでは、音楽にはならない。

よい演奏にならない。

先日の、プロの合唱団の演奏について、曲をよく知る者は、概ね低い評価をした。

中には、酷評とも言える言葉もあった。

プロだから、技術としての演奏は、高い評価を得た。

演奏としての、心の問題で、聞く者に不満を多く与えたのは、このイメージ作りが

良くなかったのではないかと思う。

素人が同じ曲を演奏した時、「鳥肌がたちました」と評価してくださった人がいました。

プロの演奏を聞いて、音色がきれいだったとか、響きが素敵だったという声は聞いたが、

「感動した」とか「鳥肌が」という声は、聞こえなかった。

演奏の姿勢というものを、再認識した。

 

奇跡のピアニスト

郎朗自伝

一歩ずつ進めば夢はかなう

郎朗+ディヴィッド・リッツ著

野澤敦子訳

WEVE出版