6年所属していた、合唱団が解散した。
色々な声が聞こえてくるが、復活は、たぶんない。
10年にわたり、「晩祷」という大曲にひたすら情熱を傾けた、指導者とレールに乗せられて、
よちよち歩きをしてきた団員。
10年の間に7回ほどの、ジョイントコンサートなどを行い。
終わりの三年間は、全曲演奏会を行なった。
登山でいえば、「やっと裾野にいる」と、言われた、第一回全曲演奏会。
2回目の演奏は、人数が減って、残った団員は相当苦労したようだ。
指導者もその頃から、終止符を考え初めていたようだ。
第三回の全曲演奏会に臨むにあたり、「解散」を宣言された。
団が立ち上がった時には、指導者主導で、すべて動いていた。
轢かれたレールに、「合唱初めて」「キリル文字って?」という団員が
ほとんどの中で、辛抱強い指導で毎週の練習を淡々とこなしていった。
プロの合唱団の演奏会に、自分たちも全曲演奏がしたいという、熱意のある人たちが
その後も団を支えてきたと思う。
全曲を終えた時に、指導者の指導方針が一変。
指導者主導が、団員の自主運営に。
休団者、退団者がその後も増え、第三回の演奏も、熱意だけは、という状態に、
「音楽的な演奏ができない」とのマエストロからの駄目押し。
次の演奏会で団の解散をということが決定的に。
休団者、退団者への声かけ、熱いメッセージの攻勢。
とにかく、40名以上の団員にしようとの、意気込みで、それぞれが動いた。
強化練習やヴォイストレーニングも取り入れ、最後の追い込みは、最後の演奏に、にじみ出た。
「晩祷」をよく知る人からは、「これがファイナル?」との辛い評価をいただいた。
とにかく、「責任は果たした」
愛しい、愛しい、団とも、これでお別れ、反面では、ほっとしている。
先日、団の仲間から久しぶりに電話をもらった。
「さみしいけど家族は喜んでいるし、自分もちょっと、気が晴れている」と。
「到達したかと思うと、離れて行く。」
指揮者のブログにあった。バッハと同じで、そういう奥の深い曲なんだそうな。
「晩祷」という手ごわい曲に、出会えたことは、一つの財産。
合唱をしてきた、ことの、宝だと思う。
「楽譜をお棺に入れてもらう」との団員もいた。
「晩祷」と「マタイ受難曲」の楽譜と合唱のステージ衣装を入れてもらおう。