「書道」「茶道」「香道」等々は日本の文化。
書については、「書画」の分野もある。
漢字でも、ひらがなでも、カタカナも画になる。
今、最寄駅のコンコースに、近隣の小学生の書が展示されている。
日常のトップスには良く、英文字風のアルファベットが、柄の一部になっていることがある。
外人向けのトップスには、漢字やひらがなが、プリントされている。
意思を伝える文字が、絵になる。
文字にも色々あって、キリル文字、アラビア文字、ラテン文字などがあるそうな。
何気なく、使っている文字にも、深い意味、様々な背景、色々な事実などがある。
書画として漢字やひらがなを鑑賞できるのは、面白いし、有り難い気がする。
老年の愉しみ
中野孝次
文春文庫
沖縄はかつての太平洋戦争、第二次世界大戦で、多大な被害を蒙り、戦跡の残る、町。
その戦跡を訪ねたことがある。
「平和の礎」「チビチリガマ」「ひめゆりの塔」などの地は、戦争のことを考えた。
「サーターアンダギー」「エイサー」はそれからのファンになった。
今まで、抱いていた沖縄についてとは、違う側面を知った。
なんくるないさぁ
命どぅ宝(ぬちどぅたから)
今までは、太平洋戦争の犠牲を蒙った島というイメージだった。
風化していく、歴史の痕跡。
しっかり、次世代へ継承して欲しいと勝手に願いつつ、ウチナーンチュウの、穏やかな日々の暮らしが
これからも続くことを念じる。
住まなきゃわからない沖縄
仲村清司
新潮文庫
日々、何気なく使い、重宝している日本語。
ひらがな、漢字、カタカナを用途、心情にあわせて利用している。
漢字は、お隣中国からの伝わってそうな。
言葉に合わせて、漢字をあてはめたので、本場の中国との言葉とは、意味が違って使われる
ということも起きたとか。
そうした、日本語でもともとの言葉から、日本語を考えると、実は、言葉の姿が見えてくるという。
ひらがなに対して、目を開くことができたように思う。
ひらがなでよめばわかる日本語
中西進
新潮文庫
親がこどもに、あるいは、祖母や祖父が孫に、言い聞かせることがある。
「うそつき」とか「せいせいする」とか、言われて落ち込んだ時、
相手に、報復したり、喧嘩を仕向けたり、あらそいに発展するのではなく、
上手に言えることは少ない。
ただ、「仕方がないよね」「我慢しなさい」「あなたも悪い」とかで、余計落ち込まされることも
あるもの。
一つは、日本のドラマ。もうひとつは、海外のドラマで、とっても、素晴らしい、助言をしている
場面があった。
両者とも、子どもからわだかまりが消え、友達や姉妹の関係も修復された。
現実にこのような、助言ができたら、素晴らしい。
受け入れたこどもも、良い子だ。
こうした時、「素直な良い子」と評されるが、これらの場面では、まっすぐに受け入れられた。
世間の親、世間の大人、隣人たちが、こういう対応をしてくれたら、平和が続くだろう。
「安くなる」
「短期間で痩せられる」
「若くなった」
毎日のように聞かされている、キャッチコピー。
どれも、危険が伴うのに、危険はことは一切言わない。
毎日、配信を受けている、警視庁からの所轄の事件。
土曜、日曜はグーンと減って、2,3件。
平日は多い時で10件以上。
「振り込め詐欺」
「通帳預かり」
「送り付け」
「還付金」
最近、ひったくりが増えてきている。
地元では、時折不審者の目撃もある。
警邏隊で、事故防止の取り締まりをしている、警官の話のドキュメンタリーを見た翌日に、
酒酔いでコンビニで事故を起こした酒気帯びの警部補のニュースがあった。
凹む話題ばかりが何故起きる。
車の後退による、事故が相次いだ。
免許を取得して何年目かに、某観光地へ出かけたことがあった。
大通りに隣接した飲食店で食事をすることにした。
食事ができるのを、待っている時に、入ってきた客(?)が、車が通りに出ていると、言う。
一瞬、迷ったが、時間的にいっても、自己車のような気がして、あわてて、外に出てみた。
自分の車だった。
ゆうに車一台分は移動していて、片側道路をふさいでいた。
急いで、車を移動。
何度か、ブレーキを確認して、車を降りた。
幸い事故にはいたらず、車を移動するだけで、事なきを得た。
そうした一件があって、車を駐車する時は、きちんと、ブレーキがかかったか、念をいれることに
した。
5mほど移動してしまった車は、歩行者、通行車両すべてを、幸いにも巻き込むことはなかったが、もし
誰か、もし他車を巻き込んでいたら、とその時にゾォーっとしたことを今でも覚えている。
車は、勝手には動かないという気がしてしまうものだが、ほんの少しの坂でも、ブレーキが甘ければ
動き出す。
坂の距離が長ければ、相当なスピードになることも。
勝手に動き出した自己の車にひかれたという事故のニュースを目にすると、「ブレーキが甘かったんだろうな」と
思う。
そういえば、車のサイドブレーキは、余りかかったという感覚がない。
あれって、今もそうなんだろうか。
バスやトラックのサイドブレーキは、プシュッとかなるし、某メーカーのエアブレーキは、信用できるというようなことを、聞いたことが
ある。
自家用車のブレーキにも改善が必要かも。
いつもの、出勤。
毎日どこかで、電車の遅れが発生する。
武蔵小金井駅で乗降客の流れが終えたところで、「中野駅で、人身事故」の一報。
運転見合わせと、振り替え輸送のアナウンスがあった。
何人かの乗客があわてて電車から降りていく。
隣の客の携帯電話が鳴り始めた。
電車が止まったこと、打ち合わせ時間をずらして欲しい旨を伝えて切った。
繰り返される、運転見合わせのアナウンス。
一様に、静かに、電車が動き出すのを静観している。
17分ほど、して、運転再開となった。
のんびり運転。そこそこに混雑の乗客は、慣れたもの。
騒ぎ出す人もなく、あわてる人もなく、いつものように時間が流れた。
勤務先の最寄駅に到着。
職場に着いたのは、9時45分。
30分の遅れ。
「目の不自由な男性、線路に転落・けが」とのwebニュース。
軽い怪我だったそうな。
「上下計8本運休、上下計46本で最大25分遅れ。約8万7000人に影響」とか。
影響の人数ってどういうふうに算出するのだろうか。
順番学というのがあるそうな。
10両編成だと70から80人の10倍、つまり700から800人。
54本が影響をこうむったとして、43,200人。
8万7,000人/800人=108.75 およそ、109本が影響を受けた?
昨年末頃から、足指の付き根あたりの痛みを感じるようになった。
だいぶ、以前から演奏会の後は、左足の付け根が痛くなることがあった。
左足に力を入れないように心掛け体重をかけるときは、意識的に右足に乗せるように気を付けた。
演奏会をいくつか終えたが、日常の練習でも痛むようになった。
階段を降りるときが一番答えた。
練習のない日でも痛くなるようになり、練習を終えて日でも、あまり痛まない日もありで、
ただ、体重がかかるだけではないのかと疑い始めた。
ネットで検索してみると、「足底痛」「モートン病」とかがヒットする。
痛みに悩む人が結構いるようだ。
医者へ本気で行ってみようかと、再度ネット検索していて、靴が影響していることもあるらしいことが発覚。
9月に、勤務地が変わって、歩く距離が少し増えた。
3月から、練習日が増えた。
そんなこともあって、靴を変えた。
痛みがあまりでなくなった。
歩いていても、足に当たる感覚が、前より、柔らか。
歩く距離や、時間もあったのだろうが、一番の原因はこの靴だったのかもしれない。
初めてこの靴を履き始めた時、地べたを直接踏むようなそんな感触があった。
酷くならないうちに気が付いてよかった。
しばらくは、労わりながら、様子を見ていくことにしよう。
「オペラはとてつもない人口世界」
まさにと思う。
オペラのアリアや合唱など、もきれいな曲。
美しい曲なども多い。
おとなのための「オペラ」入門
中野京子
講談社α文庫
創立20周年記念演奏会
東芝フィルハーモニー合唱団
第20回定期演奏会
共演:東芝フィルハーモニー管弦楽団
ワーグナー 舞台神聖祝典劇「パルジファル」より
第一幕への前奏曲
ベートーヴェン 「荘厳ミサ曲」Op.123
2013年6月16日(日)開場 13:00 開演 14:00
入場料 1,500円 全席自由
東京芸術劇場コンサートホール
池袋駅西口より2分・駅地下鉄通路2b出口直結
重宝している家電はいくつもあるが、無いと困るもののひとつに、乾燥機付洗濯機がある。
毎日、使うわけではないが、一日、フル稼働になることもある。
乾燥機付きなので、洗濯から乾燥までの標準だとおよそ5時間。
洗濯コースだけだと50分。
乾燥コースだけの場合、3時間以上はかかる。
全自動とは言っても、すべてが自動的にできるわけではない。
それに、まつわる作業は、省略できない。
作業のひとつに、ごみの除去。
これが結構、時間を取られる。
乾燥時のごみのフィルター、排水時のごみのフィルターのごみの除去が、一仕事。
フィルターなので、網目状の網戸のようになっているのだが、この部分だけなら大したことではない。
ユーザー泣かせなのが、フィルター部分の形状。
ごみの溜まる部品には、ごみが、形状の隙間にも、ついている。
排水部の場合は、さらに、手間がかかる。
水で洗い流せば、早く終わりそうだが、
水で流した場合、流した場所の排水講にたまった、ごみを新たに処理しなければならない。
ふたつの部位のごみ処理に20分近く時間を要することになる。
このゴミ処理をしながらいつも思う。
「設計者は普段、洗濯しないのだろう。使う人の視点に立っていない」
隣国、地図では、身近な国。
歴史の中でも、関わりを持ってきた。
国交も様々な形で、あった。
しかしながら、なかなか、真実はお互いに分かり合えていない。
隣国同士なのだから、いい関係で行きたいけれど、思惑が邪魔をする。
本当の処は、見えにくい。
日中韓2000年の真実
~なぜ歴史のウソがまかり通るのか~
拳骨拓史
扶桑社新書
電車には様々な音が流れている。
電車の「ガタンゴトン」「フォニャ」
車内放送
ホームの駅員「○○駅」「扉が閉まります」
乗客
1.話し声
2.ゲーム機
3.イヤホン・ヘッドホン
4.携帯電話
5.話し声にならない音
一番耳障りなのが、ゲーム機のタッチ音と
漏れ聞こえる、イヤホンからの音。
次が延々と続くかと思う、話し声。
乗客同士の話の時もあれば、携帯電話で、しゃべっている声。
次に耳障りなのに、車内放送やホームの放送。
あまり気にならない時もあるのに、耳障りに感じる音の時もある。
ぼそぼそ、話の内容がはっきりしない声。
抑揚が、個性的で、違和感がある声。
不思議なのが、離れているのに、良く通る話し声。
満員の車内で、10m以上離れているのに、良く聞こえる話声。
携帯電話もそうなのだが、聞きたくない音は、音楽や歌であっても
聞かされる側にとっては、騒音。
以前は、リズムを刻む低音の音も漏れ聞こえてくると、耳障りだった。
最近では、何やらの歌詞だったりする。
高校生の時、友人が某歌手の歌がいいから、是非聞いてみてとカセットテープの購入を勧められて、
買ったことがある。
一度きりで、二度と聞くことはなかった。
他人には、どんないい曲でもいい歌であっても騒音にしかならない。
いい曲であっても、演奏者によって、感動したり、しなかったり、
受け手の心理が影響することも。
聞きたくない時の音は、すべて騒音に入るということを、知らないか、気にしない人が多いことに、
気持ちが沈む。
そういえば、合唱の練習中の私語が、最近、また気になりだした。
東京メトロ日比谷線で、ホームから転落した人がいるのに、電車を発車させたというニュースがあった。
幸い乗客は、退避スペースに逃げ込むことができ、けがはなかったとか。
「落ちた」と伝えられながら、係員は、「荷物が落ちた」と解釈していたそうな。
係員は業務からはずれ、処分待ちとなったそう。
5月病というのがあるそうな。
4月に、入社、入学をした新人が、5月になると、鬱になったり、体調を崩したり。
日常でもふっと、気が緩む時がある。
緊張感が途切れるということもある。
ある人が、「スイッチを入れ替える」と言っていた。
「休みモード」「仕事モード」「息抜き」「リラックス」
生活の中で、あらゆるスイッチを入れ替える。
無意識だったり、意識的だったり。
合唱の演奏会でも、このスイッチの入れ替えは、重要。
以前、本番中に、団員のほとんどが、緊張が緩んで、演奏が途切れそうになったことがあった。
すぐに盛り返し、曲は、流れたが、演奏後、「何が起きた?」と声にしたメンバーもいた。
合唱は、マラソンに似ていると、常々思っている。
演奏の合間も、スイッチが切れないように、時には心のリセットをうまく使いながら、終演まで持っていく必要がある。
日常の業務でも、仕事中、休憩時間、そして、不随した時間をうまくコントロールしていく必要があるもの。
一週間は、月曜から始まって、日曜で(あるいは、日曜で始まって土曜で終わる)パターンの積み重ねが多い。
そこに、ローテーションの事柄が入るわけで、単位で物事を進めていくのが一番スムーズでは、ないかと思う。
何事にも、応用できるローテーションを、自己責任で管理してはどうか。
のんべんだらりでも、いい。
あくせく、突っ走るのもいい。
ただ、少しの主導を持っていれば。
美空ひばりのドーム公演の録画をみた。
何回目になるだろう。
時折、美空ひばりの特集があり、ドーム公演もたいてい取り上げられる。
美空ひばりが逝ってもう、25年もたつのだ。
彼女の最後の公演となったドームの不死鳥のステージは、今でこそ、彼女のかつての状況を
知って舞台を見ると、何とも痛々しい。
そしてプロの姿勢を感じる。
発声に、気を使いながら、お客様へのサービス精神も散りばめながら、文字通りの熱唱が、同じように声を使う者にとって
その気遣いと努力が、痛々しいほどに感じられて、くる。
彼女の生の姿を拝見する機会はなかったが、現役の姿を見ることができて、幸せのような気がする。
彼女のプロに徹した、歌への情熱は、見習いたい。