最近、某サイトにはまってます。
毎日、一回はアクセスするのを楽しみにしています。
今日は、こんな顔文字をみつけました。
(*`へ´*)
→ http://oshiete.goo.ne.jp/oshitopi/order/detail/8398
顔文字、絵文字。初めて出会ったのは
(笑)とか(怒)、そして(^○^)、(;_:)。
でもそれより前は縦書きだった記憶がある。
初めて目にしたとき、文字の間のこれは何だ?と。
横書きに縦書きだったから、一瞬迷いました。
あゝ、なるほどと気がつき、新しい世界に触れた思いを持った記憶があります。
「顔文字」とキーを打つと(^○^)、や(#^.^#)に変換できます。
今では、顔文字も変化して、アイコンも使えるように。
視覚が、重要になってきたということでしょう。
以前、ステージの衣装についてスタッフが集まって意見を出したことがあります。
その時、「演奏会は聴かせるもの。衣装は二の次」というような意見を言った団員が
いました。
今では、「ステージは演奏とともに、目で見て楽しんでいただく」というように変わってきているようです。
ヒトには、五感があります。
やはり五感で楽しんでいただくことは、重要だろうと思います。
五感をフルに生かして感じていただく。それが昨今の形かもしれないと、最近思います。
新しいカタカナが毎年、増えていくよう。
パソコン関連の勉強を始めた頃、まず言葉の暗記を要した。
イントラネット、パソコン通信、ハードデスク、デバイス、ブルースクリーン、クリック、ダブルクリック、ポイント、BIOS、O.S.Windows,・・・・・。
そして、難解な日本語。
不正な・・・、環境、圧縮、解凍、・・・・。
覚えても、覚えても、どんどん、新語が出てきて、きりがない。
経済や政治の世界、また日常の生活にも、カタカナ語がどんどん入ってくる。
日本語で言えとの言葉も聞かれる。
訳すことの難解さ、適当な訳語がないという壁もあって、カタカナ語は氾濫していく。
すんなり、受け入れる言葉もあるし、なんで、カタカナなのという反発を感じる言葉もある。
最近は、ポピュラーな言葉は、大体でも意味を知っていた方が良さそうと言うこと。
死ぬまで勉強。
大人のカタカナ語事典
本郷陽二
中経の文庫
日本の苗字は約30万。
そして、難解、珍姓、奇名、様々ある。
難解、珍名は、驚きだったり、納得したり。
不思議不思議な苗字。
雑学を知ると、少しなじみを感じる。
苗字の謎 が面白いほどわかる本
丹羽基二
中経の文庫
「軽い風邪に薬は逆効果?」
こんな記事がありました。
http://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/life/toyokeizai-51626.html
さぁ、風邪の季節がやってきました。
電車に乗ると、マスクをしている人。
コンコン、咳をしている人を見かけます。
以前、早めにと、まだ初期の頃に、風邪薬を飲み、辛い思いをしたことがあります。
それ以来、軽い風邪になった時でも、すぐに薬を飲むのは控えるようにしています。
ヒトには、免疫力と言うのがあるそうです。
少しの病気なら、免疫力で快復できるはず。
重い病気だと、医者へ行くなり、処方された薬を飲まなければなりません。
でも、早い段階で薬を飲んでしまうと、身体の免疫力はいかされないのです。
やがては、免疫は必要ないと、発揮されることもなくなるのです。
身のまわりにある雑菌。
様々な菌にさらされているそう。
身体の中にもさまざまな菌があるとか。
菌と言っても、病気を引き起こす菌、対抗してくれる菌というのもあるそう。
昔は、ほこりでは死なないと信じられていました。
今では、死に至るほこりもあるそうです。
ヒトの持つ抵抗力を過信してはいけないようです。
しかしながら、適切な使い方をしていかないと、耐性の菌を生み出すこともあるそうです。
今は、「耐性○○」というのが増えたように思います。
どうか、賢く、適切に利用していただくことを祈念いたします。
世界経済フォーラムG7で、世界各国の男女格差の指数化し、報告書として発表され、
G7の国としては、日本は最下位。
世界124か国のなかで、104位http://news.goo.ne.jp/topstories/nation/1033/e900a5682d098186793e94a247f77899.htmlだったそう。
まぁ、そうだろうと思う。
女性のなかでも、格差はないと、思っている人も多い。
格差があると指摘する男性もいる現状では、区別と差別を取り違う人も。
固定観念や、偏見は、親から子へ、子から孫へ、綿々と引き継がれているから、もう、何十年と似たような数値が続いている。
男女雇用機会均等法や、女性行動計画やら、パートタイマー指針ができても、人々に植えこまれた感覚、感情は、そうそう変わらない。
婚姻した男女が、妻の姓を名乗ると、婿養子になったのかと、言われ。
結婚したと女性が言えば、なんて名前になったの?と聞く。
男性が名前を変えると、ああだこうだと、経緯を説明をしなければならない。
夫婦同氏の原則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%9A%E5%A7%BB#.E5.A4.AB.E5.A9.A6.E5.90.8C.E6.B0.8F.E3.81.AE.E5.8E.9F.E5.89.87
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する(750条)。婚姻後に夫婦が称する氏については、届書に記載して届け出なければならない(戸籍法74条1号)。偶然にも同一の氏である場合にも同様である(769条の場合に法的な意味を有することになる)[88]。当事者の婚姻前の氏とは関係のない第三者の氏とすることは許されない[89][90]。なお、明治民法が制定されるまでは夫婦同氏の原則はとられず妻は生家の姓を用いることとされていた(明治9年3月17日太政官指令15号)[91]。
夫婦の氏につき「民法の一部を改正する法律案要綱」(平成8年2月26日法制審議会総会決定)では、夫婦は婚姻の際に定めるところに従い夫もしくは妻の氏を称しまたは各自の婚姻前の氏を称するものとし、夫婦が各自婚姻前の氏を称する旨の定めをするときは夫婦は婚姻の際に夫または妻の氏を子が称する氏として定めなければならないものとしており、選択的夫婦別姓制度の導入、導入する場合の子の氏等についての議論がなされている。
日本の婚姻法では、夫婦のどちらかの氏をとある。
以前は家に嫁ぐとされた、女性は結婚すると、自動的に男性の氏をなのった。
今は、夫婦で、新しく戸籍を作る。
その際、二人の氏は、二つになるだろうから、どちらかにしてということになる。
どちらでもいいよと作られた婚姻法は平成8年にできているが、周知はいまだにされていない。
結婚したら、男性の氏になる。というのがまだ一般的。
男性が氏を変えると、養子ではないんだけど、云々。と言い訳を要する。
そういう社会で、企業に貢献するのは男性。
女性は、腰掛と言う感覚がまだ根強い。
その構図に、疑問を持った男女は、シングルでいることを選ぶようになった人も増えた。
亀の歩みのような、男女格差。
これは、女性ばかりでなく、男性にも生き難いと、もっと、多くの人が気がついてくれない限り、
このような状態は、まだまだ続いていくだろうと思っている。
来年2015年は、戦後70年にあたり、毎日新聞社が特集を組んでいる。
特集 戦争の証言 http://mainichi.jp/feature/afterwar70/
数字は証言する http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data2.html
など、多彩な特集になっている。
風化していく、戦争の記憶。
生き証人は、年々少なくなっていく。
真実は、今どの程度明らかになっているのか。
真実を知っている者はどれほど、存命しているのか。
国と国が争う。
国民同士が、憎みあい、傷つけあう。
他国の民を苦しめる。
同じ地球人同士なのに、なぜ仲よくできないのだろう。
なぜ、皆血の通った人々なのに、助け合って生きることができないのか。
「鳩ポッポ、鳩ポッポ」で始まる歌をご存じでしょうか。
何やら原曲があり、童謡などに編曲されたもののようです。
以前、小学校などで、色々な歌を学びました。
小学唱歌とか童謡とか、文部省唱歌とか称していたような記憶があります。
今では著名な作詞家や作曲家が外国の民謡などから日本の子供向けに作ってくれた
とのことでした。
今では、歌謡曲とか、流行歌とか言われているなかから、教科書に載った曲もあるそうです。
子ども向けになった、歌は、ほのぼのとしていたり、心に沁みる歌が多いように思います。
ただ、時代によって歌詞が違ったり、世相を反映していたり、重い内容だったり。
時代がかわっても、口ずさみたくなる。
何年たっても、懐かしく感じる歌は、宝だと思います。
「全国の歌碑・句碑」
http://fmellow.s103.xrea.com/kahitokuhi/kahitokuhi.html
歌碑とは、コトバンクによると、「和歌を刻み付けた碑」とあります。
歌碑は、和歌について言うと初めて知りました。
「鳩ポッポ、鳩ポッポ・・・・」というのも
「ポッポッポー鳩ポッポー、豆が欲しいか・・・」は滝廉太郎が童謡として作曲したものとか。
もう、すっかり有名になった映画監督、北野武氏。
イベントでアニメは嫌い。宮崎駿は一番嫌い。でも、あれだけお金を稼げる、すごいアニメとは認める」と語った。とか、その記事に掲載されていた北野氏の顔写真は、鋭い目をしていて、お笑い芸人の片鱗もない。
個人的に、お笑いで、好きだと思う芸人はいない。
そもそも、お笑い系が嫌いなのだ。
落語や、芸を見せる芸人は贔屓もいるけれども、漫才、コントの類は、あまり好きではない。
かつての北野武、ビート武の芸も好きではなかった。
その後、怪我をしたり、お笑いから転身。クイズなどの司会や、番組のレギュラーなどで、彼の才能を知るにつけ、見直したりはしたものの、「座頭市」には、吐き気さえ覚え、不思議な視点の映画には、独特な思いを抱いていた。
そうした、不思議な芸人、世界的な監督。でもお笑い芸人の片鱗も健在の一面を見せる。
しばらくテレビでもお目にかかることもずいぶん減った。
そんな時の、ネットニュース。
厳しい目をし、口を一文字に結んだ北野監督には、お笑いのおの字も見えない。
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp11410250026.html?iref=com_fbox_d2_03
それがとても印象に残った。
「A級戦犯」が、戦後、政界に出たり活躍していると知り、不思議に感じていた。
戦犯の何人かは、刑を受けて、獄中で過ごしたとか、死刑になったというような気がしていたからだ。
A級の判決を受けた者が、政界や産業界などで活躍できるという構図が、なにやら不思議だった。
A級戦犯に問われた、政治・軍事指導者は28人。
逮捕命令は59人。
第一陣の逮捕者リストでは、39人。
フィリピン人3人。
オーストラリア人2人。
ドイツ人3人。
オランダ、ビルマ(ミャンマー)、タイ、アメリカ各1人。もいたそう。
判決時に死亡していたのは二人。
終身禁固16人。禁固7年。
絞首刑7人。
2年6か月の裁判で釈放されたのは、昭和23年12月24日の19人。
それ以降はうやむやのうちに消滅したそう。
各国からの日本の戦争責任にたいする、一連の行為も、年月の中で、消滅と言う形に
なったのかもしれない。
「天皇の戦争責任」と言う言葉も最近、時折、目にする。
この書でおぼろげながら、なんとなく理解できた気がする。
昭和史七つの謎 Part2
保阪正康
講談社文庫
演奏会のスタッフを時折、引き受けます。
たいてい、メンバーの何人かを知っていたり、します。
年に一回だけお会いする場合がほとんどです。
会場においでくださったお客様の中にも、知人がいることもあります。
知人、楽友、に会えるのは、やっぱり嬉しいものです。
知人にあうと、それほど親しかったわけでもないのに、やっぱい嬉しい。
心理の面白い所です。
海外に旅行に行って、日本人に会うと嬉しいというのと、同じような気がします。
もし、周りにヒト以外の動物や植物ばかりだったら、見知らぬ地球人にあったら、懐かしい感情が
わくのではないか、と思います。
ヒトとのつながりというか、同類への関心というか、環境のなかに、見つけ出そうとするのは、どういう心理
なのでしょうか。
他人に対して、ヒトは、コンプレックスを抱いたり、優越感を得ようとするのが普通だと、思っていました。
けれども、ヒトとの連帯感、同一感めいたことを感じようとするのは、別の感情のような気がします。
物事が起きた時に、助け合う。
助けを必要とする人へ、手を貸す。
助けを求めた時に、さりげなく得られる。
そんな、人間関係で過ごせたら、と思います。
合唱の練習はたいてい、狭い部屋か、ちょっと大きめの集会室のようなところが多いです。
いつも、決まった練習場がある団もありますが、毎回、違う。時折違うという団が大多数でしょう。
先日の、練習は時折、使わせてもらう少し小さめの部屋でした。
発声練習を終えてのアンサンブル。
第一声を聞いた、指導者が、すぐ、止めました。
「小さな部屋に対応した発声なので、もっと、遠くへ(音を)飛ばして」
プロの声楽家は、小さな場所でも、目の前に人がいても、ぼそぼそとした声は出しません。
FやFFだったら、部屋の外まで聞こえるというくらいの声量で歌い始めます。
アマチュアは、無意識に部屋の空間に合わせてしまうのかもしれません。
大きな舞台を体験するというのは、イメージに、大きな舞台というのを身に沁みこませるということも、あるのかもしれません。
通常の室内は、たいてい防音はしてないですし、勉強や集会目的の場合は、大きな声はださないようにと、管理側から注意されることもあります。
某、指導者は、家で声を出せないなら、カラオケがあると言いました。
きれいな声なら外に聞こえても、文句はでないとも。
そうなんですね。
アンサンブルや音取りの練習では、大きな声を出そうとは、あまりしないかもしれません。
自身のなさや、アンサンブル練習の初歩だと、無意識にセーブされるのかもしれません。
「自身がなくても、声を出そう」
「歌えないかもしれなくても、音をだそう」
と、言われることがあります。
練習から、声を飛ばす。
声を響かせる。
お客様をイメージする。
そういうイメージできることは、どんどん取り入れていくことが、より、よい練習になるのかもしれません。
蚊の鳴くような声でも、きちんと発声していると、遠くまで聞こえます。
たのしく効率よく、練習しましょう。
S・ラフマニノフ OP.37
晩禱
第21回 全曲演奏会
2014年10月24日(金)開演 19:00 (開場 18:30)
自由席 4,000円 指定席 5,000円
合唱 東京トロイカ合唱団
主催 トロイカ音楽事務所
後援 恵雅堂出版株式会社/ロシアレストラン・チャイカ
問い合わせ・申し込み トロイカ音楽事務所
http://tokyo-troika.jp/tokyo-troika/information.html
3・11の記憶はまだ、記憶に新しい。
今でも、被害ご傷跡は消滅はしていない。
けれども、薄れ始めていることは、否めない。
ネットで電気の消費の帯が今では掲載されていない(秋田の新聞には今でも掲載されている)
電力の節約も一部店舗や施設で一部消灯などがあるものの、大まかな点では、意識の上では解消に近い。
テレビやネットの動画で何度も繰り返し流れた、津波や、原発の壊れた施設の映像。
壊れた道路。傾いた住居。
まだ傷跡はあるものの、あの体験は、薄れつつある。
しかし、繰り返し流れた映像では、伝わらないことがある。
流されていく車、ビルの上に乗っている船。
基礎しか残っていない住居。
それらの映像を見ても、わからないことは多い。
今回、この本で、少し理解した。
あの、驚くべき映像に隠れた、様々な人の営み、人々の体験。
そうしたものの片鱗を感じることができた。
そして、もう一度肝に銘じよう。
あの、教訓を生かさなければいけない。
記者は何をみたのか3・11東日本大震災
読売新聞社 著
中公文庫
教科書で出会って、虜になった、話がある。
「山月記」は、文庫本を買って、全文を読んだ。
「竹」と言う詩も好きになった。
教科書で出会った、偉人にも、ファンになったり、歴史に興味がわいた。
今回のこの書でも、心惹かれた話があった。
「面白い」は「面+白」=目の前がぱっと明るくなる状態を語源としているそうな。
文字なのに、風景や、光景が目に浮かんでくる。
短文なのに、引き込まれて感動する。
文字の力ってすごいと思う。
作家の力量って、素晴らしいと思う。
高校生の頃、気にいった話。頭に浮かんだ事柄を何気につなげた小説を書いたことがあった。
「見せて」と古典の先生に言われて、原稿を渡した。
そのまま、学校は卒業。
原稿は返してもらわなかった。
あまりの、不作に、抹殺されたのだろうか。
今でも時折、思い出す。
教科書に載った小説
佐藤雅彦 編
ポプラ社