毎年、この時期は墓参で信州へ行くことになっています。とりあえずこの予定を優先して入れているので、だいたい毎年行っています。
で、温泉に一泊して帰ってくるのですが、約900キロぐらいは車で走ることになるので、戻ってくるとバテバテになりますね。昔は一般道も含めて、まったく休憩なしで京都から信州まで走ったりしましたが、もうこういうことは無理です。
また、ゴールデンウィークの時期は、高速道路休日1000円の制度ができてから高速が以前にも増して混雑します。そのため、事前に渋滞予測を調べてルート、時間などを決定するということになります。これなしで適当に行くと、どえらい渋滞に巻きこまれることにもなりかねません。
で、今回考えたのが琵琶湖の西側を走って、木之元ICから北陸道、上越から南下して信州へというルート。目的地は小布施のPA。
実際は、早起きできたので、京滋バイパスの宇治東ICから名神、米原JCから北陸道というルートになりました。距離的には名神、中央道から長野道ルートの方が短いのですが、時間的にはこの方が確実と考えました。
京滋バイバスは随分早い時間から渋滞予測が出ていました。また、中央道は恵那山トンネルの手前から渋滞することが多いです。これに対して、北陸道には渋滞予測はほとんどありません。
早い時間から渋滞予測があるとはいえ、さすがに5時台であれば大したことはないだろうという見通しのもと、宇治東ICへ。この時間としては既に交通量は相当に多いですが、渋滞はありません。途中、大きな朝日がのぼってくるのが見えました。瀬田から名神に入ると、正面にこの朝日が見えました。この風景は初めて。
レーダー探知機がさかんに「Nシステム」だの「Hシステム」だの「ループ」なんとかだのと音声で知らせてくれます。うっとおしいですが、安心感もあります。
中央道ルートだと、まず伊吹のPAで朝食をとることが多いのですが、今回、最初に止まったのは米原から少し北、北陸道長浜の神田パーキングエリア。ここからも伊吹山が見えます。
伊吹山は以下のような伝説でも知られています。
「尾張に入った倭建命は、かねてより結婚の約束をしていた美夜受媛と歌を交わし、その際媛が生理中であることを知るが、そのまま結婚してしまう。そして、伊勢の神剣草薙剣(天叢雲剣)を美夜受媛に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)へその神を素手で討ち取ろうと、出立する(『日本書紀』では経血について詠まれた和歌はないが、宮簀媛との結婚や、草薙剣を置いて、伊吹山の神を討ちに行く経緯に差はない)。
素手で伊吹の神と対決しに行った倭建命の前に、白い大猪が現れる。倭建命はこれを神の使いだと無視をするが、実際は神自身の化身で、大氷雨を降らされ、命は失神してしまう。山を降りた倭建命は、居醒めの清水(山麓の関ヶ原町あるいは米原市の両説あり)で正気をやや取り戻すが、すでに病の身となっていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB」
さらに走って次に止まったのが女形谷PA。「おながたに」と読みます。
この地名は継体天皇と関係があるとのことです。
「名前の由来はその昔、この付近の谷に「男大迹王・おほどおう」と呼ばれる人が住んでいました。別名が「高向王子・たかむくおうじ」だったので「向王子谷・むくおうじたに」と呼ばれていました。やがて男大迹王は継体天皇となり、里の人々は陛下の谷の意味で「御名の谷・おなのたに」と呼ぶようになり、それが転じて「女形谷・おながたに」となりました。
http://www.tvk.ne.jp/~mugiya/echijen.htm」
もう少し走ると海沿いの道に出ます。
まだ桜が残ってます。今年は遅いですね。