がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

回顧録 ~ 8 後悔

2009年11月15日 23時57分17秒 | 徒然
N両親とストレッチャーに乗せられたN氏、
ストレッチャーを運ぶ看護士2名と一緒にエレベーターで5階へ上がったはずだが、
実は私もこの部分はどういった流れで5階まで行ったのか少し記憶が飛んでいる。

あとから、『確かそうだったはず』程度しか記憶がない。

 
次のシーンは、詰め所に隣接する『回復室』の中にいて、
看護士さんから「(N氏が)着替えるので外でお待ち下さい」と言われて室外へ出されており、
N両親と共に中央ホールでオロオロしているのだ。


それまで、時間を確認することも忘れており、
看護士さんに「もう9時過ぎましたので。(お帰り下さい)」といわれて初めて時間を意識した。

確かにもう、私のできることは何もない。
入院に必要な道具などはN母が用意する、「とりあえず今日はいいから」と、
N両親にも言われ、午後9時半過ぎ、病院前でN両親と別れた。









車を運転した意識もないまま自宅へ戻ってから、2階へあがって子供らに事情を説明した。
子供らといってももう二人とも社会人だ。
すべてを言わずとも、それなりに子供らは対応してくれた。





しかし、それから私はその場から動けなかった。
階段を上がりきったところで、へたり込んだままになった。

いろんな思いがぐるぐる巡って、落ち込む一方。
体力が、知力が、意識が、いっぺんに抜けていくのを実感した。






これからどうなるの? 
これからどうするの? 仕事はどうするの? やりかけていることはどうなるの?


直らなかったらどうするの? 
脳梗塞だよ。 直らないよ。 もう無理だよ。 仕事できないよ。 一緒にしてきたことができないよ。 これから生活できないよ・・


他に仕事を見つけなきゃ。 
でも今までやってきた仕事はどうなるの? まだ預かっている仕事はどうするの? 無責任に捨ててしまうの? 捨ててしまえるようないい加減なものだったの? 


だけどお金は必要だよ。 
何かをしなけりゃお金にはできないよ。 何もしないでお金は作れないよ。 でももうこの年で使ってくれるところなんかありゃしない。 掃除のおばさんだって今は簡単には使ってはもらえない。 だからといって、今の仕事を続けるにしたって、N氏がこの状況で、一人で仕事ができるのか?


もし治らなかったら。 
それを想定しておかないと・・・。 想定して、ことを進めていかないと・・・





薄情者と思われても仕方がない。 だがそう思ったのは真実だ。 残る私は、私たちは、生活していかなければならないのだ。
病気になってしまったN氏には申し訳ないと思っても、今後の自分をどうするか、を先に思ってしまったのも事実だ。



知り合って6年。お互い「できない部分をフォローする」仕事関係で今までやってきた。
まさに二人三脚。 片方が躓いてしまったら、もう片方が別の視点からフォローする。
結果、一つのものが出来上がる(カッコ良すぎる言い回し、ほとんど私がフォローしてもらってきた)ペアだと思ってきた。


だからなおのこと、N氏が動けなくなったことは 私にとっては致命的損傷だ。
しかし、続けてきた今の仕事を放り出すことはできない。 納品を待っている顧客を無視するわけにはいかない。









グルグルと巡る様々な思いの中、ひとつのことだけが浮き上がってきた。

できないことは正面から受け止めて、まずは、
「迷惑をかけてしまうことが明白な得意先へ事実を知らせ、謝りを入れること」
が最初の判断だった。

単純な風邪や怪我ではない。 入院したばかり。 診断もろくに仰いでいない。 今後の見通しなどまったくたっていない。

しかし、明後日には「訪問します」と伝えてある得意先がある。 ウソはつけない。 ごまかせない。




8月25日朝、私自身の誕生日。

実は当日、とてもいやな不快感を伴って目を覚ました。
 
何がどう、という原因は一切不明だったが、今思えば、あの時N氏は既に体に不調を訴えていたのだ。

あの時に、強引に病院に連れて行っていればこんな事にはならなかった・・と後悔しきり。

可愛さには勝てない

2009年11月15日 22時52分34秒 | にゃん♪
パソコンに向かって作業をしていると、

・ジーンズをよじ登って足元から攻めて来る。(爪が細くて鋭いのでサックリ刺さる。痛い!!)

・左側の作業机を経由して左手を伝ってくる。(がんぼとはいえ、やはり腕は『強靭な橋』ではないから安定が悪く、やっぱりサックリ。痛い!!)

・作業PCのキーボードを踏んづけて、画面に訳わからん文字列を羅列して正面突破で来る。(仕事に思いっきり影響が出る。ワケワカメの文字列『なんだコリャ?』の世界。復帰に大変。)

・左側作業机から事務椅子を伝ってくる。


・・・で、がんぼの座っている椅子を占拠。 背もたれとがんぼの背中の隙間に陣取り、そこで眠ってしまう。

チビに眠りにつかれてしまうと、がんぼが席をはずせば転がり落ちてしまうので、逆に席を立てなくなるという悪循環。







「席を立つ」      強行したら、起きちゃった。












いや~ん♪ かわい~ ♡♪  (・・今だけだ。堪能しよう。)

我が家で8日目

2009年11月15日 22時27分24秒 | にゃん♪
チビたちが来てから、2階の娘の部屋でニート、あるいは 食器棚の上にある特等席のひとつにこもるようになってしまい、1日のうちに見かける時間がめっきり減ってしまった先住ネコ・メルだったが、日々の進歩は確かにあった。

少しずつではあるが、チビたちと同じ枠内で、視界に入る時間が増えていく。






近づきたいチビ。そっぽを向きながらもチビを意識するメル。



先住ネコ・メルは、どこからともなく沸いてきた(本当にそんな感じで、さっきまでいなかった場所に、数秒後振り向くといつの間に来たのか 随分前からそこでくつろいでいるような雰囲気で寝そべったり毛づくろいしたりしている)かと思ったら、昨日よりずっとチビに近づいているのだ。



でもまだまだ。

ある一定の間隔をチビが侵略すると、メルは低く長~く唸りはじめ、挙句ははじかれるように踵を返して、いなくなってしまうメル。

我が家で5日目

2009年11月15日 21時49分40秒 | にゃん♪
仕事で忙しかったり出張したりで、写真だけは録りためたものの更新できず。(^_^;)

一気にアップしとります。 m(_ _)m

いくら『成長の記録』をとは言っても、



30センチ定規を置くだけとは何たる短絡的な考え。
もう少し頭脳を使わんかい。



そうそう、ネックレスを作りました。

あまりにも2匹が似ていて、パッと見、区別がまったくつきません。(^_^;)



黄色いビーズでピンクのハート がミコト(命)


母の枕元で。この写真じゃ何がなんだかわからんね。(笑)

ミコトは、メイより体全体の毛色がいくぶん白く、瞳の周りが青い、尻尾には縞模様があります。性格はちょっと落ち着きがなく噛み癖あり。
先住ネコ・メルとはまだ少し距離をおいてる感じです。




グリーンビーズで赤いハート がメイ(冥)


ストーブ前特等席で。メイ! しっぽ、どこへ落としてきた!!

メイは、ミコトより体全体の毛色が少しグレーがかった感じ。尻尾はミコトより太く短く、根元近くはカギに曲がった尻尾です。性格はおっとり。名前を呼ぶと理解したのか必ず返事をして体全体でグルグルさせながら甘えてきます。人恋しいのかいつもそばに誰か(何か?)がいないとダメみたいなタイプ。
先住ネコ・メルとはかなりいい感じ。メルもミコトより近くに来ても無反応?です。


注:以前、メイ(命)とミコト(命)と命名したと紹介しましたが、その後息子と娘の協議により、メイ(冥)とミコト(命)となりました。← 母が間違っただけか?


回顧録 ~ 7 診断

2009年11月15日 21時05分55秒 | 徒然
点滴室のベッドのそばへ戻り、

私  今お父さんに電話したからね。

と伝えるも、

N  ・・・ (口が動くが何を言ってるかは不明)



しばらく後、女性看護士さんが来て「血、採りますね~」といいながら5センチ程の短めの5本の試験管に血液をとっていった。

それから更に10数分後と思うが、「N両親はまだか」と4度5度と点滴室と病院玄関を出入りする私の目にN父がまず映った。ついでN母。

N両親も、すぐに私を見つけてくれて、互いに走り寄り私は今までの説明をする。


私  今、外来で見てもらったんですが、これから脳の写真を撮るのにMRIへ移すそうです。

N母  あら~~

N父  そうなの?


N両親をN氏が寝ている点滴室へと案内すると、ワラワラと先生やら看護士やらが「車椅子で行ける? いやこの状態だとストレッチャーの方が・・」とか言いながらN氏のベッドを囲んでいた。

もうN氏本人は自力で何とかしようという状態にはなかった。 もう完全に動けない、という感じだ。


内科・救急外来診察室と同じ1F。廊下を挟んでX線室、さらに奥まった場所にあるMRIへ看護士3名に押され、N氏はストレッチャーで移動する。
私とN両親はそのまま後をくっついていく。

N氏のストレッチャーがMRI部屋へ入った。扉は開いたままだ。
ストレッチャーから診断ベッドへ映るのに、担当技師が「こっちへ移動して、こっちへ座って」とベッドを指して言うのだが、その言葉が理解できないようで立ちっぱなし。また、歩いて撮影室から出ようとする。何度も「Nさん、○○してください。」と言われて、「はい・・ はい・・」と返事はするのだが・・


N母がさすがに事態を把握したようだ。 もちろん私も。
これは相当まずい。

N父が見かねて手を貸して、N氏を車椅子からベッドへ移動させるがベッドへ移ってもそこからすぐに降りようとする。
これから何をしようとしているのかわかっていないのだ。

それでもMRIの部屋に入って扉を閉めてしまわれると、もう家族や付き添い人は待つしかない。



壁沿いに置かれたベンチにN父とN母が座り、ボソリと話す。

N父 「歩き方が変だとは思ったんだ。 今日、選挙に行ったら後から息子が投票に来てたんだが、歩き方が左へ左へ寄っていくんだ。」

N母 「ご飯をぜんぜん食べなかったんだ、もう何日も。」

N父 「でも、いつもどおり風呂も入ってたよなぁ。」




同じ家に住みながら息子の異変に気づかなかった。しかし、近すぎるために変化に気づかない場合もある。

だが、N親子の場合には、さらに『時間』が間を割っていた。

N氏はコンピュータープログラマーという商売柄、深夜静かな環境での仕事を優先する。
午後から明け方にかけてがN氏の活動時間であり、
早朝から活動を始める両親とは、生活時間は半日のずれがある。

両親が寝る頃、N氏は活動を始め、両親が目覚める頃、N氏は仕事の区切りをつけて眠りにつく。

また、仕事場は母屋の裏手にプレハブで別にあり、長時間のプログラミング作業に入ると母屋にはトイレとお風呂・食事くらいしか出入りしない。

すぐに近くにいるのに、遠いのだ。


MRIでの撮影はしばらく時間がかかりそうなので、私は廊下を少し移動して、
既にご苦労さん会を始めているであろう今日のイベント主催者・M氏に連絡しようと携帯を見た。

携帯には息子から数回電話が入っており(病院なのでマナーモードにしておいた) こちらから息子にかけてみるが留守電で行き違いばかり。

息子にかけることは諦め、イベント主催者・M氏に「今日の飲み会には行けない」旨伝えようと電話をしたが、相変わらず留守電だ。
またどこかへ携帯を置き忘れているらしい。 ホントに彼は携帯を不携帯。 何の為の携帯だか。

仕方なく留守電に、
「同僚のNが体調を崩して、今は病院に来ています。申し訳ありませんが今日は参加できません。ごめんなさい」
と入れておいた。


電話を終え、MRI室前へ戻ると、先生がN両親に説明をしているところだった。
そばへ行ったときには話が終わってしまい、何が何だかさっぱりわからない。

N父  脳梗塞だと。すぐ入院だと。

私   ・・・!



それからレントゲン室へ移動。
ここも、N氏が撮影室へ運ばれ、出てくるまで待つしかない。




どれだけ時間がたったのか。

X線撮影室から出てきた、ストレッチャーに寝かされたままの彼と、N両親と共に救急外来処置室へ入る。
「彼は・・ 聞いてもわかりませんね。」
と、ストレッチャーのN氏を見ながら担当医師はきっぱりと言う。

N両親と私が「こちらへ」と通されたところは、救急外来処置室とはカーテンで仕切りがされた診察室となっていた。

たった今、撮影したフィルム4枚を見ながら説明を受けた。

正面図を撮影したと思われるフィルムで、写真左側の頭蓋に集中した白い影。 向かい合う格好になるので頭部右側にあたるという。

先 「脳梗塞です。この部分がすでに細胞が死んでいます。 場所から見ると左半身に麻痺が出ます。詳しくはまだ検査を重ねてみないと・・」

細胞死滅の場所は、目、耳、手足をつかさどる位置だそうだ。


目が見えない、手がしびれる、、 N氏が言っていたまさにその場所なのだ。

その場で入院が決定した。

内容掲示

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