N両親とストレッチャーに乗せられたN氏、
ストレッチャーを運ぶ看護士2名と一緒にエレベーターで5階へ上がったはずだが、
実は私もこの部分はどういった流れで5階まで行ったのか少し記憶が飛んでいる。
あとから、『確かそうだったはず』程度しか記憶がない。
次のシーンは、詰め所に隣接する『回復室』の中にいて、
看護士さんから「(N氏が)着替えるので外でお待ち下さい」と言われて室外へ出されており、
N両親と共に中央ホールでオロオロしているのだ。
それまで、時間を確認することも忘れており、
看護士さんに「もう9時過ぎましたので。(お帰り下さい)」といわれて初めて時間を意識した。
確かにもう、私のできることは何もない。
入院に必要な道具などはN母が用意する、「とりあえず今日はいいから」と、
N両親にも言われ、午後9時半過ぎ、病院前でN両親と別れた。
車を運転した意識もないまま自宅へ戻ってから、2階へあがって子供らに事情を説明した。
子供らといってももう二人とも社会人だ。
すべてを言わずとも、それなりに子供らは対応してくれた。
しかし、それから私はその場から動けなかった。
階段を上がりきったところで、へたり込んだままになった。
いろんな思いがぐるぐる巡って、落ち込む一方。
体力が、知力が、意識が、いっぺんに抜けていくのを実感した。
これからどうなるの?
これからどうするの? 仕事はどうするの? やりかけていることはどうなるの?
直らなかったらどうするの?
脳梗塞だよ。 直らないよ。 もう無理だよ。 仕事できないよ。 一緒にしてきたことができないよ。 これから生活できないよ・・
他に仕事を見つけなきゃ。
でも今までやってきた仕事はどうなるの? まだ預かっている仕事はどうするの? 無責任に捨ててしまうの? 捨ててしまえるようないい加減なものだったの?
だけどお金は必要だよ。
何かをしなけりゃお金にはできないよ。 何もしないでお金は作れないよ。 でももうこの年で使ってくれるところなんかありゃしない。 掃除のおばさんだって今は簡単には使ってはもらえない。 だからといって、今の仕事を続けるにしたって、N氏がこの状況で、一人で仕事ができるのか?
もし治らなかったら。
それを想定しておかないと・・・。 想定して、ことを進めていかないと・・・
薄情者と思われても仕方がない。 だがそう思ったのは真実だ。 残る私は、私たちは、生活していかなければならないのだ。
病気になってしまったN氏には申し訳ないと思っても、今後の自分をどうするか、を先に思ってしまったのも事実だ。
知り合って6年。お互い「できない部分をフォローする」仕事関係で今までやってきた。
まさに二人三脚。 片方が躓いてしまったら、もう片方が別の視点からフォローする。
結果、一つのものが出来上がる(カッコ良すぎる言い回し、ほとんど私がフォローしてもらってきた)ペアだと思ってきた。
だからなおのこと、N氏が動けなくなったことは 私にとっては致命的損傷だ。
しかし、続けてきた今の仕事を放り出すことはできない。 納品を待っている顧客を無視するわけにはいかない。
グルグルと巡る様々な思いの中、ひとつのことだけが浮き上がってきた。
できないことは正面から受け止めて、まずは、
「迷惑をかけてしまうことが明白な得意先へ事実を知らせ、謝りを入れること」
が最初の判断だった。
単純な風邪や怪我ではない。 入院したばかり。 診断もろくに仰いでいない。 今後の見通しなどまったくたっていない。
しかし、明後日には「訪問します」と伝えてある得意先がある。 ウソはつけない。 ごまかせない。
8月25日朝、私自身の誕生日。
実は当日、とてもいやな不快感を伴って目を覚ました。
何がどう、という原因は一切不明だったが、今思えば、あの時N氏は既に体に不調を訴えていたのだ。
あの時に、強引に病院に連れて行っていればこんな事にはならなかった・・と後悔しきり。
ストレッチャーを運ぶ看護士2名と一緒にエレベーターで5階へ上がったはずだが、
実は私もこの部分はどういった流れで5階まで行ったのか少し記憶が飛んでいる。
あとから、『確かそうだったはず』程度しか記憶がない。
次のシーンは、詰め所に隣接する『回復室』の中にいて、
看護士さんから「(N氏が)着替えるので外でお待ち下さい」と言われて室外へ出されており、
N両親と共に中央ホールでオロオロしているのだ。
それまで、時間を確認することも忘れており、
看護士さんに「もう9時過ぎましたので。(お帰り下さい)」といわれて初めて時間を意識した。
確かにもう、私のできることは何もない。
入院に必要な道具などはN母が用意する、「とりあえず今日はいいから」と、
N両親にも言われ、午後9時半過ぎ、病院前でN両親と別れた。
車を運転した意識もないまま自宅へ戻ってから、2階へあがって子供らに事情を説明した。
子供らといってももう二人とも社会人だ。
すべてを言わずとも、それなりに子供らは対応してくれた。
しかし、それから私はその場から動けなかった。
階段を上がりきったところで、へたり込んだままになった。
いろんな思いがぐるぐる巡って、落ち込む一方。
体力が、知力が、意識が、いっぺんに抜けていくのを実感した。
これからどうなるの?
これからどうするの? 仕事はどうするの? やりかけていることはどうなるの?
直らなかったらどうするの?
脳梗塞だよ。 直らないよ。 もう無理だよ。 仕事できないよ。 一緒にしてきたことができないよ。 これから生活できないよ・・
他に仕事を見つけなきゃ。
でも今までやってきた仕事はどうなるの? まだ預かっている仕事はどうするの? 無責任に捨ててしまうの? 捨ててしまえるようないい加減なものだったの?
だけどお金は必要だよ。
何かをしなけりゃお金にはできないよ。 何もしないでお金は作れないよ。 でももうこの年で使ってくれるところなんかありゃしない。 掃除のおばさんだって今は簡単には使ってはもらえない。 だからといって、今の仕事を続けるにしたって、N氏がこの状況で、一人で仕事ができるのか?
もし治らなかったら。
それを想定しておかないと・・・。 想定して、ことを進めていかないと・・・
薄情者と思われても仕方がない。 だがそう思ったのは真実だ。 残る私は、私たちは、生活していかなければならないのだ。
病気になってしまったN氏には申し訳ないと思っても、今後の自分をどうするか、を先に思ってしまったのも事実だ。
知り合って6年。お互い「できない部分をフォローする」仕事関係で今までやってきた。
まさに二人三脚。 片方が躓いてしまったら、もう片方が別の視点からフォローする。
結果、一つのものが出来上がる(カッコ良すぎる言い回し、ほとんど私がフォローしてもらってきた)ペアだと思ってきた。
だからなおのこと、N氏が動けなくなったことは 私にとっては致命的損傷だ。
しかし、続けてきた今の仕事を放り出すことはできない。 納品を待っている顧客を無視するわけにはいかない。
グルグルと巡る様々な思いの中、ひとつのことだけが浮き上がってきた。
できないことは正面から受け止めて、まずは、
「迷惑をかけてしまうことが明白な得意先へ事実を知らせ、謝りを入れること」
が最初の判断だった。
単純な風邪や怪我ではない。 入院したばかり。 診断もろくに仰いでいない。 今後の見通しなどまったくたっていない。
しかし、明後日には「訪問します」と伝えてある得意先がある。 ウソはつけない。 ごまかせない。
8月25日朝、私自身の誕生日。
実は当日、とてもいやな不快感を伴って目を覚ました。
何がどう、という原因は一切不明だったが、今思えば、あの時N氏は既に体に不調を訴えていたのだ。
あの時に、強引に病院に連れて行っていればこんな事にはならなかった・・と後悔しきり。