がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

我が家で3日目

2009年11月15日 12時12分22秒 | にゃん♪
人の存在感でも何でもよい、何かほしいのか、常に人のいるところによってくる。

仕事を始めると、机の上に上がり、モニター前で寝るようになった。

時間は午前。

作業机奥のベランダから朝日がさしこみ、ほんのりと暖かい場所である。









回顧録 ~ 6 初診

2009年11月14日 21時38分38秒 | 徒然
他に数組、外来前で待っていた親子連れなどが次々呼ばれる中、私たちには10数分待っても何もなく、私は待ちきれずまた診察室のカーテン越しに首を突っ込んでまた声をかけた。

私 すみません。アポ無しで来たんですがすぐ見てください! 何かおかしくて、いつもの状態でないんです!

いつもの状態でないから普通は病院へ来るので、言われた看護士さんも困るだろうけど。



看護 受付は済ませましたか? 診察番号は?

私  いいえ、急いできたし何も持たずに来ましたから。

看護 受付の人間が来ますからちょっとお待ち下さい。



早くしてよ!

20分ほど待たされ、その間に彼は「横になりたい」と言い出した。

私  隣、誰も座っていないから横になったらいいよ。


と言ったが、動きがない。横になれない。
N氏の目つきが朦朧としてきた感じに思えた。

不安になった私は緊急外来のカーテン越しに

私  すみません、具合が悪くて横になりたいって言うんですが。

と声を大きくした。

看護  あ、じゃあこちらへ・・・ 歩けますか?

歩けないから大変だって来てるんじゃないか。空気読めよ!

何とか立ち上がり、体を支えて内科受付の横、処置室を通り、点滴室に並ぶ奥のベッドまで歩き、靴を脱がせ横になった。
N  枕が低い・・

私  待って。タオルケット探してくる・・

同じ部屋には10床ばかりのベッドが並んでいる。 向かいにひとり、奥にひとり、点滴を打っていた。
どこかに毛布はないか・・ 部屋をぐるり歩いたが見当たらない。
私 ないなぁ・・ 我慢して?

ここでまたしばらく待たされる。20分くらい経ったのか、数人の看護士さんと先生が来て、簡単な診察をされた。

この先生が、後になって脳外科のK先生とわかる。

先  どうしました~?

N  ・・・ (聞こえてない? 目をつむったまま)

私  左手のしびれがあるといいます。それと、話しかけても何か反応がおかしいんです。
N  ・・・ (目をあけて何か言おうとしているが、私が喋っているので声出せず??)


先生が手を持ち上げて、「はい、このまま手を高くあげてて」
  。。  左手は少しずつ沈んでいく。

先生が 「聞こえますか~??」と耳元で大きな声で言うと
  。。  無言。。 目はあいているが天井を見ているようで焦点があっていない??

先生が「ちょっと痛いですよ~ 感じますか~??」と二の腕をつねる
  。。 反応なし。


先生が、彼の寝ているベッドをはさんで私を見て話し出した。


先  脳の検査をしたほうがいいですね。ご家族の方?


え・・・・・脳?? 何??  軽いパニックを起こした。


私  いえ、仕事の同僚です。すぐ両親に電話します。


先生が点滴室を出て行ったので、そのまま後を追うように玄関へ走り出、携帯からN自宅へ電話を入れる。 
時間を見た。午後6時38分。 
お願い、起きてて、N父さん。

仕事柄、朝が早く(2時~3時には出勤)、夕方6時にはもう寝る人だという。


N父  はい。

私   あ、こんばんは、がんぼです。

N父  あ~はいはい。

私  あの、Nさんが・・ あの、今病院なんですけど、Nさんが様子がおかしいんで病院へ連れてきたんです。
   で、診察してもらったら脳の検査をしたほうがいいって、もしかしたら入院かもって言われて、電話しました。

N父  えぇ~~?? はい。すぐ行きます。

私  K病院の救急外来にいます。お願いします。


・・ というような事を話したと思う。

回顧録 ~ 5 急変

2009年11月11日 13時36分05秒 | 徒然
やっと病院へ行く決心をしたN氏の後ろに回り、PCを横から奪取、
キーをたたいて、インターネットで今日の遠軽の当番病院を検索・・・ 町で一番大きなK病院。

こんなときはやはりインターネットは便利だ。
それがなければ、PCを扱い慣れていなければ、
月に一度来る、ろくに見もせず処分してしまうだろう『広報』を、
どこへやった、どこへしまった、捨てたのか、と大騒ぎになるところだ。

時計を見ると午後5時5分を少し過ぎている。

冷えてきたから上着だけは持ったほうがいい、と話し、
上着を手に、自分で車に何とか乗り込み、プレハブ前を出発。

ここまでは、彼の動きもいつも通りだったと思う。




約5分後、K病院の正面玄関前へ車をつけハザードランプをつける。

N:ここに車置いたんじゃまずいでしょ。

車なんぞどうでもいい。 邪魔なら、警備のおじさんでもレッカー車でも勝手によけてくれりゃいい。車の行き先さえわかってりゃ何とかなる。←こういう時、がんぼは結構『行き当たりばったり』な性格。

私:車はあとで移動する。それより受付はどこですればいいんだ・・

建物へ飛び込み、見ると、つい先だって息子が救急外来にかかった時には受け付けた休日受付も、時間が過ぎてしまったのかブラインドが下りている。
壁の時計を見ると5時10分を回っていた。

見回しても看護士一人いない。仕方がない。どこにも聞きようがない。

真っ直ぐ緊急外来へ行き、診察室?をのぞいて、そこにいた20歳前後の若い女性看護士さんに尋ねた。


私:すみません、緊急で電話連絡せずに来たんですが、見てもらえますか?

看:外来前でお待ち下さい。



振り向くと、後ろをついてきているとばかり思っていたN氏の姿はまだ見えず。

「あれ?」

車を止めたままの玄関前へ確認のため戻ったら、まだ外に止めた車のところに立っていた。車の番をしてたのか?

私:Nさん? どうしたの? 入ってよ。

N:見えない・・ 動けない・・


助手席のドアを開け、降りはしたがそこから動けないという。

立っているが、目の焦点が私や玄関を通した病院内部ではなく、まったく違うほうを見ている。 
ちょっと! ヤバいよそれ!


見ると、すぐ足元、玄関風除室内に車椅子があったので、急いで手にした。
普段、車椅子など使う=操作する=ことなどない。
正直なところ、たたまれている車椅子を、どうやって『座れる』状況にすればよいのか手間取った。


私:ほら、車椅子で行こう。座って。

しかし、彼は車のドアそばから動かない。いや、動けない。

数分後、やっと動きだしたかと思ったら、私がそばにいて車椅子を膝元においているにも関わらずに一人で歩き出した。
足取りはフラフラだ。ここで倒れられたら!  ・・ いや、病院だからいいか ・・


ふらつきながら歩く彼の後ろから、車椅子を押し追いかけながら叫ぶ。

私:ダメだって。車椅子に座ってよ、お願いだから。 Nさん!


聞く耳持たぬという言葉がぴったりな状況だ。
ふらつきながら本人は歩き続ける。 後から車椅子を押しながら怒鳴る私。

診察を終えた親子連れが振り返って見る。

結局、緊急外来前まで来て、スラックスからはみだしていたワイシャツをわしづかみにしてようやく歩きを止めた。緊急外来(内科外来でもある)の待合室の椅子まで来た。

しかし、彼は歩いていた時の前方向を見たまま、

N:どうしたらいいの?

と尋ねる。

私:ここ。ここに座って。 わかる? ここ!

押しては来たが結局使わなかった車椅子を後ろへ追いやり、私はN氏の立っているすぐ後ろにある待合椅子を叩いて知らせる。
彼は今、膝を曲げれば座れる位置にいる。

だが、彼は立ったまま、私の言ってる言葉が聞こえてるのかどうかも怪しい感じ。

シャツを引っ張って「ここに座るの」と椅子をバンバン叩いても、しばらく反応がない。立ったまま、

N:「何? どうするの?」

顔は相変わらず、私には向けられていない。

私:「座って! 座る。 わかる? 座るの!」


ワイシャツをひっぱり、肩を押さえつけ、
ようやく、おっかなびっくりの物腰の彼を、やっとのことで強引に待合椅子に座らせた。


何かがおかしい。 でも何がおかしいのか。


病院へついてから彼は、私が話しかけてる言葉に一切返事をせず、一人喋り続ける。 
何かを尋ねても、期待する返答ではなく、全く違う話をする。

どうしちゃったの? 何が起こったの?

回顧録 ~ 4 決断

2009年11月11日 12時43分39秒 | 徒然
今日の報告と打ち合わせをし、1時間後には次のイベント会場へと行く予定。シャワーも浴びなければ、こんな汗臭い体ではイベントへも行きにくい。

しかし、N氏の明らかな異常に私も戸惑う。


・・ ・

「(今まで仕事をしてきた)Mさんから次の・・飲み会なんだけどね・・手伝ってくれって言われているんで行かなきゃ行けないんだけど・・」

といいながら、でも

「ちょっと・・ちょっと来て・・」

と、N氏に言われるままにプレハブの中へ。




見ると、作業PCのモニターには、着手したばかりのプログラムが表示されていた。まだ数行だ。

他にもたくさんの仕事に追われていたので、具合が悪い中、何とか少しでも進めようとしていたのがみてとれる。


やっとのことで立っているように見受けられるN氏。
額に冷や汗がにじんでいる。熱があるのか。
聞くと 37.2℃ という。 それほどの高熱でもない。 この汗はなんだ。


N:左目が見えないんだ・・ダブる、かすんで見える感じ。それに左手がしびれて動かないんだ・・・

私:病院行こうよ、もう何日にもなるのに、やっぱりおかしいよ。



数日前から、やはり左手がしびれてうまく動かせないと、ワイシャツのボタンをはめる手伝いをしたこともあった。
病院に行くよう何度か申し出ていたのだが、仕事が忙しい、保険証がない、病院は嫌いなど、何かと理屈をつけて行こうとはしなかったし、私もそれ以上無理を押し通すこともできなかった。

しかし、もうそれが押しとおるものではないと感じた。


私:ね、病院いこう!
N:つれてってくれる? 行きたい。



よほど辛いのだろう。 初めて「行きたい」という言葉が出た。


私:じゃ決まり。すぐ行こう。

N:でも、日曜日だし、午後5時過ぎたし、保険証なくしたし・・・


ここへ来て、どうして、何に遠慮する。


私:何の為の休日当番病院だよ、保険証なんて平日に再発行してもらえばいい。

N:いいの?でも、Mさんの所へ行かなきゃならないんでしょ?

私:それどころじゃないよ。飲み会なんかよりN氏の方が大事だよ。


頭が痛い、肩こりがひどい、風邪っぽい と言いながらもう半月を過ぎようとしていた。 肩こり(首の痛みや背中の張り)などはずいぶん前から辛いと言いつづけていた。

マッサージチェアをいつも恋しがっていた。 しかし、30万を超える高価な機械は当然買える訳もない。いつもいつも我慢を強いられてきた。



いつも気にかけてくれているM氏には感謝である。

M氏誘いの飲み会は、町の居酒屋などで行う他、自身のお宅で奥様の手料理で催されることも多く、そんな時には当然奥様は一人で賄わなければならない。
M氏ももちろん手伝ってはくれるが、お客様が揃う頃になると、やはり大御所はテーブルについていなければ格好がつかない。

その折にはもちろん調理担当・手伝い・運搬など、前回のイベント並みに私のような者でも一人いれば奥様としては大助かりなのだ。

普段お世話になっている恩返しも兼ねて?? N氏代理も兼ねて???
飲み会には手伝いを前提に行きたいところでもあるが、

しかし、今はそちらを考えているどころではないのだ。
何かわからないが、私の頭は 「今、何とかしなければ!!」 に覆いつくされていた。

回顧録 ~ 3 異変

2009年11月10日 11時27分43秒 | 徒然

湧別川堤防のテトラポットの間に下り、足踏みで木の皮のぬめり取り。



午後3時半。

さすがに疲れと長時間の同じ繰り返しの労働に、そろそろ作業に嫌気が差してきた頃(いつも時間通りには終わることはない) 自宅で休んでいるはずのN氏から電話。

「まだこちらの作業が終わらない。終わったらそちらに行くから。」と電話を切ったが、いつもにまして ? な、でも何が ? なのかわからない。
妙な不安感がよぎった。

声が細いから? 話し方が元気がないから? 雰囲気がいつもと違うから??

具合が悪くて休ませたのだから、元気がないのは当然なのだが、
どうにもそれだけじゃないような、小首をかしげるような ”不思議な会話”状態だ。

しかし、すぐに行ってみたくとも、なんせ今まだ終わる見込みのないこちらの作業。
カメラマンを仰せつかった以上、先に勝手に帰るわけにはいかない。

早く終わってくれないとかなわんわ。カメラマンだけでなく、実作業量は多いし、作業労働力は半端じゃないし。私のほうが壊れるぞ。(;´▽`A``


足踏み作業でぬめりの取れた外皮を細く裂いて堤防沿いにいっぱいに広げ干し作業。

終了予定時刻を大幅に過ぎた午後4時半過ぎ、ようやく強引に「お先に失礼します。」。
さらに夕方からの反省会に参加を求められ、これも断れず「ハイ」と返事をしてまずは現地を後に。


別な意味でも「急ぐ」のだ・・・ (^_^;)


街へ戻り、途中にある大手スーパーで我慢していた『用を足し』(は~・・すっきり =お下品ですみません。(^_^;) 現地には簡易トイレしかなかったもので。)、N氏作業室へ直行。 

しかしM氏イベント第二弾(飲み会手伝い?)に呼ばれていた私は、「あまり時間がない」と、今日の報告と打合せだけして戻るつもりだった。



作業室であるプレハブのドアをノック。

しばらく時間をおいて、ドアを開けたN氏は相変わらずグッタリ状態。
やっと起きてきた、という感じ。

何か、ここでもう「まずくない?」と感じた。 
やはり何かおかしいのだ。年に数回ある、彼のいつもの風邪の症状とも明らかに違う。

回顧録 ~ 2 重労働

2009年11月10日 11時08分57秒 | 徒然
M氏作業のお手伝い1日目。

開始時間は、予定では午前9時~午後3時。

同僚は今日の参加をパスさせた。具合が悪いのがずっと続いているから。

また、今日は選挙投票日だが、時間を気にしながらバタバタするのもイヤなので、25日、娘と二人で事前に選挙前投票に行って既に済ませてきた。



午前8時半にはM氏の持ち山へ向かった。

途中、M氏車とすれ違い、事前用意しているシーンや、作業シーンなど「写真を撮っておいてくれ」と頼まれる。


アイヌ樹皮服「アツシ」を織るための糸作り。

木の皮をはぎ、水に長期間漬け込み、水洗いを繰り返してぬめりを取り除き、
また長期間干したものを手で細かく裂いて、糸玉に仕上げ、
それを使って織機で反物を織り、さらに衣服を仕上げるという
長期にわたる作業の一環だ。



5月に作業した「木の皮をはがす」


外皮を剥ぐ。


沼に浸けこむ。 ここまでが前回の作業。


今日と明日は、以前漬け込んでおいた樹皮を沼から取り出し、揉み洗い、ぬめりとりと干す作業までだ。


沼から引き上げたが "浸かり"が足りず、湯で煮上げ、手揉みでぬめり取り。


これがなかなかの根気と重労働。

自称『人に任さず、やるべきことはやる!』私も、さすがに根をあげる長時間の重労働である。


M氏作業は、いつも何かと用意をしてくれるのだが、今回は「勝手に帰って食ってくれ」(いや別に恨みはありません。(笑))で、昼を持たずに行った私は車で10分程の自宅へ戻り、冷蔵庫の肉とご飯でサッと済ませて20分ほどで戻る。

写真係には自分の時間はないのだ。

回顧録 ~ 1 プロローグ

2009年11月10日 10時57分39秒 | 徒然
脳梗塞。


馴染みがあるようであり、しかし、なりたくない病気のひとつ。



秋、同僚がこの脳梗塞で突然入院することになってしまった。
突然、『そばにいなくなってしまった』仕事仲間に、パニックになる私。


だが2ヶ月経ち、わずかな後遺症はあるものの同僚は無事に退院し、
元通りに仕事に復帰することができた。


同僚に掲載の許可ももらったので、この2ヶ月弱の記録を少しずつ載せていく。


本格的に雪

2009年11月10日 08時15分48秒 | 気温と天気
昨夜からの雨が、大粒の雪に変わった。

そろそろ本格的に雪の季節だ。



気温が高めに推移しているので、まだ根雪にはならないだろうが、
(例年12月に入ってからだ。)
季節は間違いなく進んでいる。



今年の冬は、我が家は賑やかで、



あっという間に日が経ってしまいそうだが、それも楽しい。

内容掲示

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