12日から13日、自治会内のお宅で不幸があり、
お手伝いをすることになった。
11日、仕事から戻ると玄関に文書が入れられており、見ると午後6時より打ち合わせとある。時計を見ると午後5時を回っている。
忙しいじゃん!
息子や娘に出かけることを告げ、急いで打合せ場所に。
ここへ越してきてから葬儀のお手伝いは一度もなかった。 今回が初めてとなる。
つまり、近所の方々と初めて正式に顔をあわせることになるのだ。
新年会や総会などにも顔を出したが、誰がどのお宅の人なのか まではわからずじまいだった。今回はそれがはっきりとわかってくるだろう。
打合せでは男性も女性も特に問題なく係が次々と決められていく。
12日。 午後3時過ぎ、集合場所である通りのお店へ。
葬儀会場は道をはさんですぐ裏手にあるお寺だ。
今までお手伝いはほとんどがセレモニーホールであり、お寺でお手伝いは初めて。
仕度もてきぱき、作業もてきぱき。
いつものように動く動く。(しかし、動きが少し鈍くなったと実感。(^_^;))
お寺ってたぶんどこも似たようなものかもしれないが、
本堂と控え室のような場所とは約1階分の段差があるのだ。
受付場所へは階段を駆け上がり、階上で作業、階段を駆け下りて炊事場へダッシュ、ってな感じ。
親戚の人がたが次々と到着、座る間もなくお茶くみお茶だし、味噌汁だし、食べ終えたら片付けて、次のお弁当を仕度して。
中間では湯飲みが足りなくなり、頼むより自分で取りに行った方が早いと炊事場へ走る。
わずか1時間足らずの時間なのに、足が棒になる。
最近座り作業ばっかりだったからねぇ、こたえるねぇ。
この日は、8時半を過ぎて、「あとは男性陣がやるから」と女性群は帰される。
自宅まで帰ってきて、さすがに歩けなくなってやっとの事でベッドへ転がる。
なんかあまり長くは続きそうにないかなぁ。
2日目、朝8時半を過ぎ、出かけるために外へ出ると、
お隣のYさん夫妻が待っていてくれた。
「玄関にカギがかかっていたから、もう行ったのかと思った」
一緒にお寺へ向かい、裏口から入る。
既に数人が洗い物を進めている。
10時から読経開始。それと同時に火葬場へ数人がお手伝いに行く。
私もその一人となり、同行した。
座布団を並べ、お湯を入れたポットを通電して湯飲みを出して・・
11時過ぎには霊柩車とバスが到着。
お別れをし、炉に火が入るとポツリポツリと和室へ入り食事が始まる。
お茶は用意が出来ているので、他の人に頼めばよい。
ふと気がついた。 水、いるんじゃないか?
昨日の夕食では、子供さんが熱いほうじ茶をふぅふぅいいながら飲んでいるのを見て、グラスとウォータポットに水を入れ、「お水、あるよ」と渡してあげた。
今日だって、子供さんがいる。
熱いお茶と、缶のお茶、甘ったるい缶ジュースはあるが・・
やはり水がいるだろうと、炊事場へ行き、お盆にグラスを並べて片っ端から水を入れ、和室へ持っていく。
「お水、いかがですか?」
「あぁ、よかった。薬を飲まなけりゃいけないの」
年配のお母さん方が多い。 みんな結構「私も薬を」「私もなの」と 次々とグラスが取られていく。
後片付けは、弁当容器と紙のゴミをわけ、お茶碗コップを洗い、部屋は座布団を片付け掃除機をかけ・・・
もちろんこちらも私一人でやったわけではない。みんなよく働く人ばかり。
みんな商売やっている人ばかりだものね。
その後、約1時間半。
後片付けを終えてしまうと、特に何もすることがなく。
(というか、骨あげまでいる必要もなかったのでは・・(^_^;)
焼きあがった(こう言っていいものか?)頃を見計らって、お寺へ戻る。
次は取越法要で、こちらはお手伝いさんも参列してくださいとのこと。
神妙にお香をあげ手を合わせ・・
午後2時過ぎ、ようやく「はい、御苦労様でした」
こういったお手伝いもなかなか大変ではあるが、町内に溶け込むには一番の機会と思う。
帰りに親戚の人たちと同様に持たされた品
おまけ
食品を出したあとの箱に、ミコト。