写真は真実を伝えているか

 「写真は真実を伝えているか」と聞かれた時、その答えは「YesでもありNoでもある」という、実に曖昧なものとならざるを得ない。

 何故か。写真に写っているもの、それ自体は間違いのない事実ではあるが、撮影者がある意図(「思い」と言い換えてもよい)を持って撮影したものである以上、同じ場所で同じ被写体を撮影したとしても、撮影者(の意図)により、出来上がった写真はそれぞれ違ったものとなり、それぞれ違った事実を伝えることになる。

写真1


 写真1を見ていただきたい。盛りは過ぎたけれど、微かな温かみを残す静かな秋のワンシーンである。写真2はどうか。冬枯れの樹木と白い建物。いかにも寒々とした冬の絵だ。


写真2

 実はこの2枚の写真は同じ時、ほぼ同じ場所で撮影したものである。撮影時の立ち位置は3メートルと離れていない。そのことは共に写っている尖頭アーチの窓の形からご理解いただけることだろう。しかし、2枚の写真が伝えるのは、一方は秋でありもう一方は冬。二つの違った季節。そしてそのどちらもが事実なのである。

 写真はその文字の通り、真実を伝える。ただし、それは撮影者のある意図(思い)に基づいた真実なのである。まだ秋は終わっていないのだと言いたいのか、いや、もう冬なのだと言いたいのか。写真にとって最も大切なことは、高級(同時に高価)なカメラや高度な撮影技術なのではなく、見る人に何を伝えたいのかという撮影者の意思なのである。もちろん高級なカメラや高度なテクニックは撮影者の意図通りの写真を作ることを助けてはくれるが、それ自体が良い写真を作ってくれるものではないことに気づいていない写真(カメラ)愛好家が多いように思えてならない。

注:今日の写真は、共にいつもの東京都下某所で撮影したもの。
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