タバコ?

 今日の神奈川新聞に脚本家の倉本聰氏と脚本家・作家の山田太一氏の対談記事が掲載されていた。お二人の写真が掲載されていたのだが、その倉本氏の右手にはタバコが挟まれていた。

 テレビも映画もほとんど見ない郷秋<Gauche>だけれど、「北に国から」が倉本氏の代表作で北海道富良野に住んでいる程度のことは知っている。勿論<Gauche>は彼の作品を見たことがないが、「北に国から」にあっては家族の関係、その思いやりや愛を問うた作品であるらしいことは知っている。その倉本氏が対談の席上で「これが俺のトレードマークだ」云わんばかりにタバコを吸っている。

 一方の山田太一氏はラフなファッションの倉本氏とは対照的にきちんとネクタイしめたスーツ姿である。まっ、これは個人の趣味と考え方の問題で、清潔でありさえすれば誰に迷惑をかけるわけではないのでどうでもいい。山田太一氏の名前も知っていても、郷秋<Gauche>はやはり彼の代表作らしい「ふぞろいの林檎たち」をはじめ、彼の作品を読んだり見たりしたことはない。まあ、これは今日の本題には何の関係もないから、どうでも良い。

 問題は倉本氏のタバコである。倉本氏はタバコが好きである(多分。そして相当)。高名な脚本家であるからどんな場所でもタバコを吸う事が許される。思いやりや愛をテーマとする脚本家だから「吸ってもいいですか?」と聞いているかも知れない。でもだ、誰も倉本氏に向かって「吸わないでください」とは云わない。云わないのではなく、云えないのである。

 云えるとすると、キャビンアテンダントだけだろう。だけれど、キャビンアテンダントも倉本氏に向かって「タバコはご遠慮ください」とは云わない。倉本氏だっていまどき飛行機の中でタバコが吸えない事くらい承知しているから、機内でタバコを吸うようなことはしない。だからキャビンアテンダントは倉本氏に向かって「タバコはご遠慮ください」と云わなくてもいい。幸いなるかな、キャビンアテンダント。

 でも、対談の席上では吸っている。果たして山田氏が愛煙家であるや否や。仮に山田氏が愛煙家であったとしても、新聞社(あるいは通信社)の記者はどうだ、カメラマンはどうだ、そのアシスタントはどうだ。その場に居合わせたスタッフ全員が愛煙家だとは限らないだろう。もし一人でもタバコを吸わない人がいたとしたら、倉本氏はその非喫煙者に副流煙(副流煙とは「不随意喫煙」、「不本意喫煙」のことである)吸引を強いたことになる。

 その彼が、実はタバコアレルギーである、喘息持ちである、あるいは肺気腫であったとしたら、倉本氏のタバコの煙を吸い込んだことが原因でその晩に喘息発作や激しい咳に見舞われ一晩苦しんだかも知れない。

 家族の愛、思いやりを書く倉本氏に、自分の対談を取材するスタッフを思いやる心があれば、その場でタバコを吸うことはしないのではないかな。あるいは「俺の対談を記事にするなら『俺のタバコ』くらい我慢しろ」と思っているのだろうか。あるいは「吸っていいかと聞いたら、いいと答えたではないか」と。

 だとしたら倉本さん、あなたには想像力がなさ過ぎますよ。取引先の担当者は無論のこと会社の上司や同僚に対して、昼食時のレストラン・飯屋でたまたま相席になった人に対してでさえも「吸わないでください」と言えないのが非喫煙者なのです。

 倉本さん、一度お目にかかってこのことについてゆっくりお話をさせてもらいたいものです。愛や思いやりは作中の人物に対してのものではなく、現実にあなたの目の前にいる人に対するものなのではないのですか。人を愛することや人を思いやる心について、あなたのお考えをお聞きしたいものです。


 例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、冬。寂れた公園のブランコ。
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