唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
上には上が
昨日、郷秋<Gauche>がそこそこの数のレンズを持っていることを書いたが、当然何事にも上には上がいて、数百本のレンズを所有している人もいるし、そういう人は当然カメラ本体も沢山持っている。知人のKさんなどはその類で、お子さんが大学に入学する時、結婚されるときにライカやツァイスを中心にしたカメラ・レンズコレクションを売却してその費用に当てたことをお聞きしたことがある。当然100万円単位の話だと思うが、それでもK氏のコレクションはほんの僅か少なくなっただけであったとのこと。
K氏はレンズマニアである。写真を撮ることよりもレンズそのものの愛しているかに見えるが、それももちろん一つの趣味だからとやかく云うべきものでは無い。郷秋<Gauche>はそのコレクションの全容を見せていただいたことはないのだが、見た人によれば、ちょっとした博物館が出来そうな程だったとのこと。MF(マニュアルフォーカス)レンズは今や絶滅危惧種と云っても良いほどだから、こういうコレクターがきちんと防湿庫で保管管理されているのは産業・文化遺産保護の観点からすれば良き事と云うことが出来るだろうな。
佃島(その5) 記事本文とは関係なく、写真の方は「佃島特集」が続きます。
日本人なら知らない人はいない「佃煮」はもちろん佃島が発祥の地。魚介類を保存の為に塩で辛く煮付けたのがオリジナルで、その後千葉の醤油が入ってくるに至り醤油で甘辛く煮付けるようになり今の佃煮が出来上がった。佃島には今でも3軒の佃煮屋があり、これはそのうちの「天安」の店頭。漆塗りの深盆に各種の佃煮が盛られており、100グラム単位で注文するとビニールの袋に入れてテープで封をして紙で包んでくれる。今ではめったに見かけなくなった販売方法がここでは健在である。
住吉神社にて。佃島の住吉神社は、徳川家康の江戸に呼び寄せた摂津国佃の漁師33人と神職の平岡権大夫好次が故郷の住吉社を分祀して創建したと伝えられている。因みにこの漁師達が自ら埋め立てて出来上がったのが現在の佃一丁目に当たる佃島である。
写真の親子は地元の方だろうか、手水舎で手と口とを清め「二礼二拍手一拝」と、実に正しく参拝していた。鳥居前まではキックスクーターで来たお嬢さんも、お母さんに習い行儀よく参拝していたのが印象的であった。
K氏はレンズマニアである。写真を撮ることよりもレンズそのものの愛しているかに見えるが、それももちろん一つの趣味だからとやかく云うべきものでは無い。郷秋<Gauche>はそのコレクションの全容を見せていただいたことはないのだが、見た人によれば、ちょっとした博物館が出来そうな程だったとのこと。MF(マニュアルフォーカス)レンズは今や絶滅危惧種と云っても良いほどだから、こういうコレクターがきちんと防湿庫で保管管理されているのは産業・文化遺産保護の観点からすれば良き事と云うことが出来るだろうな。
佃島(その5) 記事本文とは関係なく、写真の方は「佃島特集」が続きます。
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日本人なら知らない人はいない「佃煮」はもちろん佃島が発祥の地。魚介類を保存の為に塩で辛く煮付けたのがオリジナルで、その後千葉の醤油が入ってくるに至り醤油で甘辛く煮付けるようになり今の佃煮が出来上がった。佃島には今でも3軒の佃煮屋があり、これはそのうちの「天安」の店頭。漆塗りの深盆に各種の佃煮が盛られており、100グラム単位で注文するとビニールの袋に入れてテープで封をして紙で包んでくれる。今ではめったに見かけなくなった販売方法がここでは健在である。
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住吉神社にて。佃島の住吉神社は、徳川家康の江戸に呼び寄せた摂津国佃の漁師33人と神職の平岡権大夫好次が故郷の住吉社を分祀して創建したと伝えられている。因みにこの漁師達が自ら埋め立てて出来上がったのが現在の佃一丁目に当たる佃島である。
写真の親子は地元の方だろうか、手水舎で手と口とを清め「二礼二拍手一拝」と、実に正しく参拝していた。鳥居前まではキックスクーターで来たお嬢さんも、お母さんに習い行儀よく参拝していたのが印象的であった。
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