唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
ウィスキー
日本で初めてウィスキーを作った竹鶴政孝とリタ夫人をモデルにしたNHIKの朝の連続ドラマが人気なのだそうですね。その影響でウィスキーが売れるようになって来ているのだとか。長く続いた不遇の時代の後、サントリーが仕掛けたハイボールが当たりブームになったウィスキー。需要が盛り返してきているようですが、この流れに掉さす「マッサン」人気で、ブームは果たして本格的な復権につながるのでしょうか。
世間の流行り廃りとは関係なく、郷秋<Gauche>はずっとウィスキーを飲んでいます。そうは云ってもそんなに高いものは飲めません。壽屋の四角いヤツを、ビール(擬き)を飲んだ後に、保温性の高い二重ステンレスのマグカップに氷をぎっしり入れてそこにウィスキーをドボドボと注ぎ込んで(嘘)ちびりちびりと舐めておるのです。
先日仙台で泊まったホテルの最上階にあるバーで「ニッカフェア」を開催中との案内を見つけた郷秋<Gauche>は、勿論行って来ましたよ。竹鶴17年をダブルでロック。アテは勿論ドライフルーツ。更けゆく仙台の街を見下ろしながら深く静かに竹鶴17年を味わって来ました。バーに来る女性のお目当てはカクテルでしょうが、男は黙ってウィスキーですね。って、古い。家では飲みませんが外ではトウモロコシで作ったウィスキー、バーンボンを好んで飲んだりもしています。
ネット上の情報を見ていたら、竹鶴政孝が独自に挑戦した国産ウィスキー製造はとん挫し、その後旧知の鳥井信治郎に請われ、壽屋(現サントリー)に入社。京都の山崎に工場を立ち上げ、試行錯誤の末、昭和4年に国産初の本格ウィスキーを完成させたのと事。そして5年後、壽屋から独立した政孝が「ウィスキーづくりの理想的環境」と着目していた北海道余市に、大日本果汁株式会社(現ニッカウヰスキー)を設立し自分のウィスキー作りを始めたのだそうです。
この歴史からすると、サントリーとニッカウヰスキーは兄弟だと云う事になります。まぁ、商売的には大成功を収めたサントリーと比べるとニッカウヰスキーの地味な印象はぬぐえませんが、多角化に走ることなく本当に上手いウィスキー作りにまい進した竹鶴政孝、そしてニッカウヰスキーの人と物語は酒好き、ウィスキー好きを引き付ける何かがありますね。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、今まさに飛び立とうと云うアザミの綿毛。
「恩田の森Now」
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12日に撮影しました写真を4点掲載いたしました。秋たけなわの森をどうぞご覧ください。