個人的に、日本文化の中に、大きな謎を感じている点がある。
忠臣蔵の人気である。忠臣蔵は、理不尽な悪に復讐する、美しい忠義の物語とされている。
これが、小生には不可解でならない。
まず、浅野内匠頭であるが、松の廊下にて斬りかかったのは、明らかに浅野の方が悪い。嫌がらせの限りを受け、「鮒侍」と侮辱された上での事であるが、だからといって、それに刃傷でもって返していいはずがない。
江戸城においては、「鯉口三寸」抜いただけで「その身は切腹、御家は断絶」という明確なルールがあり、浅野も当然それを知っていた。しかも、この日は朝廷の使者を迎える重要な儀式があり、浅野はそれを執り行う責任者であった。また、浅野には赤穂藩の殿様としての立場もある。自分が下手なことをやらかせば、家臣とその家族は、仕事と、それまでの暮らしを失ってしまう。
浅野は、それら諸々の立場、役割というのをかなぐり捨てて抜刀したのである。同情の余地がどこにある?(ちなみに、よく言われていることだが、忠臣蔵という物語そのものが、実話をもとにしたフィクションであるのと同様、吉良上野介のいじめは作り話であり、史実としてそれが行われたという証拠はない)
即日切腹を命じられたのは、理の当然としか言えない。
それから、赤穂浪士。
これなどは、「逆恨み虐殺集団」としか思えない。
一人の老人を殺すために――周りにいる家臣もまとめて討つ必要があったとしても――四十七人も徒党を組んで、夜中に家を急襲したのである。はっきり言って、こいつらヒキョーもんである。
吉良上野介の方が完全な被害者であり、その吉良が無惨に殺されてしまう不条理劇にしか見えないのだが、何故だかみんな赤穂浪士の側に肩入れし、拍手喝采を送っている。
なぜだ。
ここで、「日本人はバカばっかりだ」というような、インテリ気取りのイヤミ野郎のような物言いはしたくないし、自分の方が間違っているのだ、と認めたくもない。謎を探ってみる。
思想家の内田樹は、「日本人は、あらゆる屈辱に耐えに耐え抜いた末に、一気に怒りを爆発させる、という話形が大好きで、一時期その手のヤクザ映画が量産されていた」という意味のことをどこかに書いていた。その辺にヒントがありそうである。
もうひとり、先賢の力を借りたい。精神分析学者の岸田秀によれば、日本は、幕末にアメリカから強行的に開国を迫られた――岸田の表現によれば「強姦され」た――ことにより、精神外傷を受け、内的自己と外的自己に分裂した、という。平たく言えば、内的自己とは本音のことで、外的自己は建前のことである。内的自己は主に国民によって、外的自己は政治家によって、それぞれ代表される。
で、日本は開国以降、基本的に外的自己=建前=政治家によって、アメリカとお付き合いすることになった。そのお付き合いが上手くいっているうちはいいのだが、元々不平等な条約を結ばされて始まった関係でもあるし、アメリカから一方的な関わりを強いられて、屈従を感じると、内的自己=本音=国民に怒りが貯まり、ムクムクと頭をもたげてくる。で、膨らみに膨らんだ内的自己が暴発した結果が、先の太平洋戦争だ、というのだ。
なので、戦争のような事態に至らないよう、内的自己をうまくコントロールせねばならない、という。
うん、これは忠臣蔵じゃないか。
吉良(アメリカ)の嫌がらせに、浅野(外的自己)が耐え続けた末、赤穂浪士(内的自己)が暴発を起こす。
とすると、日本人がこの手の話形を好む、というのは、代償行為ということではないだろうか。
アメリカに対して、怒りを爆発させたい、という気持ちがある。でも、現実的にそうするわけには行かない。なので、忠臣蔵などの物語を鑑賞することによって、内的自己を慰める。物語に、自己を仮託することによって、内的自己のガス抜きを行う……。忠臣蔵を観る、というのは、そういうことではないだろうか。
ここで「忠臣蔵は、江戸時代から人々に愛されていたぞ。内的自己を慰めるとか、そんな役割は果たしてないんじゃないか」という反論が予想される。
確かに、幕末以前からの――つまり、内的自己と外的自己に分裂する以前から――人気の演目であったのは事実だ。だが、江戸時代にも、幕府などのお上はいたわけで、鬱屈を感じる対象が、アメリカか悪代官か、という違いはあるにせよ、溜飲を下げるための清涼剤の役割を果たしていた、という点に変わりはないものと思われる。
それに、江戸の当時には、忠臣蔵以外にも数多くの演目が開催されていたはずで、それが現在では、一部の芝居好きはともかくとして、一般的には、ドラマにせよ歌舞伎にせよ講談にせよ、ほぼ忠臣蔵しか鑑賞されない。この、忠臣蔵だけが選好されている、という事実にこそ、むしろ注目すべきである。
日本では、年末、もしくは年始に、忠臣蔵をテレビで放送する。毎年毎年、必ずやる。これはつまり、「内的自己の、定期的なガス抜き作業」ということだろう。忠臣蔵を、年に一度、欠かさず鑑賞することで、内的事故の暴発を抑えている、ということだ。
(調べたわけではないのだが、先に挙げたヤクザ映画も、量産されていたのは、日米安保などで、内的自己が亢進していた時期ではないだろうか)
だとすると、気に食わない忠臣蔵ではあるが、日本人の精神衛生のために、笑って見過ごすべきかな、と思うのである。
……と、いうふうに結論づけようとしていたのだが、予想外の事実に気付いてしまった。
この論考のため、過去のテレビ番組欄を、地上波限定で調べたのだが、忠臣蔵を毎年放送していたのは、2003年12月までで、それからは約二年に一度のペースになり、直近では2012年1月を最後に、放送は行われていないのである(再放送は除く)。
これは、単純に言えば視聴率が取れなくなった、ということだが、当分析に引きつけて考えると、内的自己の定期的なガス抜きを必要としなくなった、ということになる。
同時多発テロが起こったのが2001年9月。その後アメリカはアフガニスタン、イラクと、立て続けに戦争を起こして、混迷する姿を世界に晒し、その権威を失墜させた。あわせて、経済的にもガタガタになっていく。アメリカの没落が語られるようになったのも、2012年頃からであったろうか(ちょっとコジつけ臭いかな)。アメリカの圧力は、弱まっているのである。
冷静に考えたいのだが、果たしてこれは良い事なのだろうか。日本が鬱屈を感じる機会が減っている、という事だから、普通に考えたら、良い事に思える。
精神的重圧を感じなくて済む、という事は、外的自己と内的自己に分裂しなくてもいい、という事であり、本音と建前は、限りなく接近していく。建前を正しく使い分けることをせず、本音だけで他者と接するようになるだろう。本音と建前の区別が付いていない者を、子供という。
日本人の幼稚化も、最近よく聞く話だ。
外交の世界においては、夜郎自大な政治家や言論人が増えている様に見えるのだが、気のせいだろうか。プライベートの場であれば笑って済まされる発言を、公的な場で平然と言ってのけ、世間の批判を浴びる政治家がよく耳目を賑わしているのは、何を意味するのか。
これは果たして、本当にいい傾向なのだろうか。
外的自己によって、内的自己を適切に押さえつける、もしくは、外的自己と内的自己のバランスを上手くとる、というのが、有るべき大人、有るべき国の姿ではないだろうか。
オススメ関連本・白井聡『永続敗戦論――戦後日本の核心』太田出版
忠臣蔵の人気である。忠臣蔵は、理不尽な悪に復讐する、美しい忠義の物語とされている。
これが、小生には不可解でならない。
まず、浅野内匠頭であるが、松の廊下にて斬りかかったのは、明らかに浅野の方が悪い。嫌がらせの限りを受け、「鮒侍」と侮辱された上での事であるが、だからといって、それに刃傷でもって返していいはずがない。
江戸城においては、「鯉口三寸」抜いただけで「その身は切腹、御家は断絶」という明確なルールがあり、浅野も当然それを知っていた。しかも、この日は朝廷の使者を迎える重要な儀式があり、浅野はそれを執り行う責任者であった。また、浅野には赤穂藩の殿様としての立場もある。自分が下手なことをやらかせば、家臣とその家族は、仕事と、それまでの暮らしを失ってしまう。
浅野は、それら諸々の立場、役割というのをかなぐり捨てて抜刀したのである。同情の余地がどこにある?(ちなみに、よく言われていることだが、忠臣蔵という物語そのものが、実話をもとにしたフィクションであるのと同様、吉良上野介のいじめは作り話であり、史実としてそれが行われたという証拠はない)
即日切腹を命じられたのは、理の当然としか言えない。
それから、赤穂浪士。
これなどは、「逆恨み虐殺集団」としか思えない。
一人の老人を殺すために――周りにいる家臣もまとめて討つ必要があったとしても――四十七人も徒党を組んで、夜中に家を急襲したのである。はっきり言って、こいつらヒキョーもんである。
吉良上野介の方が完全な被害者であり、その吉良が無惨に殺されてしまう不条理劇にしか見えないのだが、何故だかみんな赤穂浪士の側に肩入れし、拍手喝采を送っている。
なぜだ。
ここで、「日本人はバカばっかりだ」というような、インテリ気取りのイヤミ野郎のような物言いはしたくないし、自分の方が間違っているのだ、と認めたくもない。謎を探ってみる。
思想家の内田樹は、「日本人は、あらゆる屈辱に耐えに耐え抜いた末に、一気に怒りを爆発させる、という話形が大好きで、一時期その手のヤクザ映画が量産されていた」という意味のことをどこかに書いていた。その辺にヒントがありそうである。
もうひとり、先賢の力を借りたい。精神分析学者の岸田秀によれば、日本は、幕末にアメリカから強行的に開国を迫られた――岸田の表現によれば「強姦され」た――ことにより、精神外傷を受け、内的自己と外的自己に分裂した、という。平たく言えば、内的自己とは本音のことで、外的自己は建前のことである。内的自己は主に国民によって、外的自己は政治家によって、それぞれ代表される。
で、日本は開国以降、基本的に外的自己=建前=政治家によって、アメリカとお付き合いすることになった。そのお付き合いが上手くいっているうちはいいのだが、元々不平等な条約を結ばされて始まった関係でもあるし、アメリカから一方的な関わりを強いられて、屈従を感じると、内的自己=本音=国民に怒りが貯まり、ムクムクと頭をもたげてくる。で、膨らみに膨らんだ内的自己が暴発した結果が、先の太平洋戦争だ、というのだ。
なので、戦争のような事態に至らないよう、内的自己をうまくコントロールせねばならない、という。
うん、これは忠臣蔵じゃないか。
吉良(アメリカ)の嫌がらせに、浅野(外的自己)が耐え続けた末、赤穂浪士(内的自己)が暴発を起こす。
とすると、日本人がこの手の話形を好む、というのは、代償行為ということではないだろうか。
アメリカに対して、怒りを爆発させたい、という気持ちがある。でも、現実的にそうするわけには行かない。なので、忠臣蔵などの物語を鑑賞することによって、内的自己を慰める。物語に、自己を仮託することによって、内的自己のガス抜きを行う……。忠臣蔵を観る、というのは、そういうことではないだろうか。
ここで「忠臣蔵は、江戸時代から人々に愛されていたぞ。内的自己を慰めるとか、そんな役割は果たしてないんじゃないか」という反論が予想される。
確かに、幕末以前からの――つまり、内的自己と外的自己に分裂する以前から――人気の演目であったのは事実だ。だが、江戸時代にも、幕府などのお上はいたわけで、鬱屈を感じる対象が、アメリカか悪代官か、という違いはあるにせよ、溜飲を下げるための清涼剤の役割を果たしていた、という点に変わりはないものと思われる。
それに、江戸の当時には、忠臣蔵以外にも数多くの演目が開催されていたはずで、それが現在では、一部の芝居好きはともかくとして、一般的には、ドラマにせよ歌舞伎にせよ講談にせよ、ほぼ忠臣蔵しか鑑賞されない。この、忠臣蔵だけが選好されている、という事実にこそ、むしろ注目すべきである。
日本では、年末、もしくは年始に、忠臣蔵をテレビで放送する。毎年毎年、必ずやる。これはつまり、「内的自己の、定期的なガス抜き作業」ということだろう。忠臣蔵を、年に一度、欠かさず鑑賞することで、内的事故の暴発を抑えている、ということだ。
(調べたわけではないのだが、先に挙げたヤクザ映画も、量産されていたのは、日米安保などで、内的自己が亢進していた時期ではないだろうか)
だとすると、気に食わない忠臣蔵ではあるが、日本人の精神衛生のために、笑って見過ごすべきかな、と思うのである。
……と、いうふうに結論づけようとしていたのだが、予想外の事実に気付いてしまった。
この論考のため、過去のテレビ番組欄を、地上波限定で調べたのだが、忠臣蔵を毎年放送していたのは、2003年12月までで、それからは約二年に一度のペースになり、直近では2012年1月を最後に、放送は行われていないのである(再放送は除く)。
これは、単純に言えば視聴率が取れなくなった、ということだが、当分析に引きつけて考えると、内的自己の定期的なガス抜きを必要としなくなった、ということになる。
同時多発テロが起こったのが2001年9月。その後アメリカはアフガニスタン、イラクと、立て続けに戦争を起こして、混迷する姿を世界に晒し、その権威を失墜させた。あわせて、経済的にもガタガタになっていく。アメリカの没落が語られるようになったのも、2012年頃からであったろうか(ちょっとコジつけ臭いかな)。アメリカの圧力は、弱まっているのである。
冷静に考えたいのだが、果たしてこれは良い事なのだろうか。日本が鬱屈を感じる機会が減っている、という事だから、普通に考えたら、良い事に思える。
精神的重圧を感じなくて済む、という事は、外的自己と内的自己に分裂しなくてもいい、という事であり、本音と建前は、限りなく接近していく。建前を正しく使い分けることをせず、本音だけで他者と接するようになるだろう。本音と建前の区別が付いていない者を、子供という。
日本人の幼稚化も、最近よく聞く話だ。
外交の世界においては、夜郎自大な政治家や言論人が増えている様に見えるのだが、気のせいだろうか。プライベートの場であれば笑って済まされる発言を、公的な場で平然と言ってのけ、世間の批判を浴びる政治家がよく耳目を賑わしているのは、何を意味するのか。
これは果たして、本当にいい傾向なのだろうか。
外的自己によって、内的自己を適切に押さえつける、もしくは、外的自己と内的自己のバランスを上手くとる、というのが、有るべき大人、有るべき国の姿ではないだろうか。
オススメ関連本・白井聡『永続敗戦論――戦後日本の核心』太田出版