徳丸無明のブログ

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アニメ『けいおん!』考・その2

2015-10-07 16:50:19 | 雑文
梓が先輩達に怒りを爆発させる場面がある。遊んでばかりいて、練習を真面目にしない、という態度に対してだ。
ひと悶着あった末に、遊んでばかりいる4人が、いざセッションとなると、素晴らしい演奏をする、ということに梓は気付く。で、ダラダラしたり、お茶飲んだりする時間も大切、という結論に達する。
これは、フィクションにありがちな、ただのご都合主義ではない。なかなかの重要な教訓を含んだエピソードである。
というのも、バンドというのは、「共‐身体」であるからだ。
「共‐身体」とは、複数の身体が結合することによって、仮構的に顕現する、ひとつの身体のことだ。人形浄瑠璃とか、マーチングバンドを想像してもらえばわかりやすい。数人、もしくは数十人の集まりであるものが、まるで一つの意志を持った生き物のように見えることがある。それが「共‐身体」である。
「共‐身体」を作り上げる、というのは「呼吸を合わせる」ということでもある。それは、確かに練習を重ねれば重ねるほど精度が高まるだろう。だが、練習だけでいい、というものでもない。
福岡を代表する祭りに、「博多祇園山笠」がある。
早朝の博多の街を、締め込み姿の男達が、舁き山笠(この祭りの神輿に当たるもの)と共に、勇壮に駆け抜けるものとして知られる。これは「追い山」と呼ばれ、全国的にはあまり知られていないが、祭りの期間は15日あり、その最終日に行われるのである。
では、それまでの間に何が行われるか、というと、「お汐井とり」や「流舁き」などの、散発的なイベントを間に挟んではいるものの、ほとんど何もしていない期間が多く、その間、山笠に参加している各グループ(「流」という)ごとに設けられている寄り合い所があるのだが、そこに四六時中集まって、酒でも飲みながら、ダラダラと過ごしているのである。
つまり、何もせずにただお喋りをしている時間の方が、圧倒的に多いのだ。(体力づくりのために、走り込みなんかもしているそうだが)
呼吸を合わせる、というのは、相手のリズムに同期する、ということである。それは、相手とより多くの時間を共有し、相手のことをより詳しく知り、お互いが分かちがたいものになっていく、というプロセスだろう。
趣味は何か、好きなミュージシャンは誰か、食の好みはどうか、特に関心を抱いている事柄は何か、得意なもの、苦手とするものは何か、家族構成はどうなっており、これまでどんな人生を歩んできたか…。
相手の理解を深め、また、例えばCDの貸し借りなどを通して、相手が好きなものを、自分も好きになっていく。すると、お互い似た者同士になっていく。それは、自他の区別がつかない、まるでひとつの融合体のように感じられるだろう。
そうして「共‐身体」は形作られていく。(女性同士で一緒に暮らしていると、生理の周期が同期することがよくある、という。生命とは、ほうっておいても自然と同期するものらしい)
ちなみに、山笠の男衆は、追い山が終わると「もう次の追い山が始まっている」という言い方をするのだが、山笠における人間関係は、祭りの期間外でも維持されるので、「共‐身体」作りは、年間を通して行われる、と言える。
だから、ろくに練習をしていない唯たち4人が、いざバンドとなると素晴らしい演奏をする、という、一見不可思議な現象が起こるのだ。
まさに、放課後のティータイムこそが、より良いバンドを作るための、必要不可欠な要素なのである。


オススメ関連本・三浦雅士『考える身体』NTT出版、同『身体の零度――何が近代を成立させたか』講談社選書メチエ