徳丸無明のブログ

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アニメ『けいおん!』考・その1

2015-10-06 23:30:43 | 雑文
『けいおん!』は、とある女子高を舞台とした、軽音部員達の何気ない日常を描いた作品だ。
小生は、自身の人生の中で、このような高校生活を送ることができなかったので、代理で体験する形で作品世界にハマり、何度も繰り返し鑑賞させてもらった。
で、繰り返し見ているうちに、あることに気付いた。メンバーの楽器の名前に関してだ。
唯のギターが「ギー太」で、澪のベースが「エリザベス」、梓のギターが「むったん」である。三者を比較して分かるのが、澪のベースだけが女名だということ。
これは何を意味するか。
楽器は、奏者にとってのパートナーである。奏者が楽器を規定し、楽器もまた奏者を規定するだろう。
つまり、ベースを弾いている時の澪のセクシャリティは、男として発現している、ということだ。
軽音部員の中で、唯一澪にだけファンクラブが存在する理由が、ここにある。
ファンクラブが開設されたのは、一年の文化祭の時である。ベースを引っさげてステージに立った澪――つまり、男としての澪――の姿を見て、生徒達(女子高なので、全員女)はイカレてしまったわけである。
もし、ベースを演奏しているわけでない、普段の澪――これは普通の、「女としての」澪――に魅力があったのであれば、文化祭以前にファンクラブは結成されていただろう。しかし、きっかけは文化祭であった。これは、ファンクラブの会員が惚れ込んだのは、「女としての澪」ではなく、「男になっている時の澪」であることを意味している。
いくつか注意しておきたい。
「エリザベス」と命名したのは、澪ではなく、唯である。この点に、理論の整合性を疑われるかもしれないが、問題はないと思っている。重要なのは、最終的に澪自身が、その名を受け入れた、ということだから。
また、命名が行われたのは、一年の文化祭からしばらくして、二年の六月頃であり、それ以前は澪とエリザベスの関係――男と女の関係――は無かったのではないか、と指摘されるかもしれないが、人間の女の子が、命名される前(胎内にいる時)から既に女であるのと同じように、ベースもまた、名付けが行われる前から女であった、と見ていい。
このことは、もちろん「澪は男っぽい」という事を意味するわけではない。普段であれば、律のほうが遥かに男っぽい。30代以上の方であれば、「澪は言葉使いが男のようなので、普段から充分男っぽい」と言われる向きもあるかもしれないが、今の若い子にしてみれば、あのような話し方は極フツーであり、取り立てて男っぽいというものではない(今はもう「男言葉」「女言葉」の区別すらないのかもしれない)。あくまで、奏者の次元において男になっている、ということである。
では、どうして澪は、ベースを弾いている時に男になるのか。精神分析的見地から考えれば、澪は、気が小さく、引っ込み思案の自分にコンプレックスを抱いており、そんな性格を一足飛びに乗り越えたい、という無意識の願望が、バンドという、ちょっとした非日常の場面で、澪を男に向かわせている、と言えるかもしれない。
さて、ファンクラブ会員は「男としての澪」を愛する。しかし、普段の澪は、ごく普通の、ただの女の子である。ここに両者のズレが生じる。だから澪は、ファンクラブの存在に戸惑い、上手く受け入れることができない。
そして、「男としての澪」を愛する、という事は、澪に、「男であってほしい」「男になり続けてほしい」と願う、という事でもある。三年の文化祭の時に、「ロミオとジュリエット」のロミオ役に澪が選ばれたのも、自然の成り行きと言える。
ところで、最初に軽音部員三名の、楽器の名前に注目することから始めたが、律と紬の楽器には名前が無い。これはどうしてだろうか。
律のドラムに関して言えば、難しい話ではない。ドラムとは、複数のシンバルとドラムの組み合わせからなる、いわば「ドラムセット」なわけで、単体の楽器ではない。集合体であるものを、ひとりのパートナーと見做すことは、感覚的に困難だろう。
では、紬のキーボードはどうか。キーボードはドラムとは違い、単一のまとまりを持っている。それなのに名前が無い。なぜか。
おそらくは、楽器がどのような体勢で演奏されるか、の違いだと思われる。ギターとベースは、弾く時に抱きかかえる体勢をとる。これは、恋愛関係、性愛関係を彷彿とさせる。だから、ギターとベースの奏者は、楽器に対して異性のパートナーとしての感情を抱き、名前を付けるに至るのではないか。
これを敷衍すると、パンクやメタルなどの、過激さをウリにしているタイプのミュージシャンが、ライブ中に興奮して、楽器を破壊することがあるが、これは、パートナー、すなわち、女を取っ替え引っ替えしたい、片っ端からいろんな女を抱きたい、という願望の表れなのかもしれない。
それから「エリザベス」という名前に注目したい。「エリザベス」と聞いて思い出すのは、ブランドであったり、女優のエリザベス・テーラーだったりするだろうが、一番頭に浮かぶのは、やはりイギリス王室だろう。そのパートナーということは、澪の立ち位置は、皇太子、ないしは国王ということになる。澪に憧れを抱きつつも、遠巻きに眺めるのみで、距離を詰めようとしないファンクラブ会員の姿は、王室に敬愛の念を抱くイギリス市民の有り様と酷似している。(接近を試みた曽我部先輩は、関係性の変更を余儀なくされた)
さて、軽音部の卒業旅行が、澪の希望によりロンドン行きとなったのは、ただの偶然だろうか?
さらに言えば、一年の文化祭のライブ終わりで澪が披露した下着――青と白の横縞――は、アルゼンチンの国旗を擬しており、これはフォークランド諸島の領有権争いという、イギリスがアルゼンチンとの間に抱える問題を暗示しているわけで…って、いくらなんでもこれは深読みのしすぎか。
あと、この時澪が着ていたドレスにも、何らかの意味がありそうな気がするのだが、服飾に詳しくない小生には、よくわからない。誰かわかる人いたら、教えて。


オススメ関連本・岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』ちくま学芸文庫