テレビを観ていたら、「日本をどう思うか」というテーマの特集があり、その中で行われていた街頭インタビューで、ハタチくらいの女の子が、
「日本よりアメリカの方が、自由でいいと思う」
と答えていた。
う~~~ん。思わずこのコと話してみたい衝動に駆られたぞ。
「日本よりアメリカのほうがいいっていうのは、世の中はより自由な方が望ましいってこと?」
「そうです」
「じゃあさ、人を殺す自由ってあったほうがいい?」
「それは…ダメです」
「なんで?」
「だって…犯罪だし」
「いや、殺人が犯罪なのはさ、法律で規制されてるからでしょ。殺人を自由化するっていうのは、法律を無くしちゃうってことだから、そうなったら犯罪には当たらなくなるんだよ」
「でも…家族とか悲しむし…」
「うん、そうだね。それじゃあ銃を所持する自由はどう?あったほうがいい?」
「それもダメです」
「君は日本よりもアメリカの方が自由でいいって言ったよね。日本になくてアメリカにある自由と言ったら、銃を所持する自由だと思うんだけど」
「だけど…あぶない」
「銃がありふれていると発砲事件が頻発するからね。これもさっきの話と繋がってくる」
「なんか…ヘンなことばっかり言ってる」
「なんで?君は日本よりアメリカのほうがいいと言ったし、より自由な社会の方が理想的だとも言った。僕はそれに合わせているだけだよ」
「でも…うーん」
「例えば、満員電車に乗っているとしようか。その中で、思いっきりうーーんって伸びをすると、隣の人に腕が当たるよね。隣の人にとっちゃ迷惑だ」
「はい」
「じゃあその時、俺には腕を伸ばす自由があるんだ、って言い張るのが正しいか。そんなことはない。他人に迷惑をかけてまで許される自由はない。だから、自由というのは、他人に迷惑や危害が及ばない範囲で、っていう限定が付けられるんだ。とにかく自由であればあるほどいい、ということにはならない。限度がある」
「それはわかります。でも、アタシが言いたかったのは、アメリカンドリームとか…」
「どういうこと?」
「アメリカンドリームってあるじゃないですか。音楽とかスポーツとかで成功してスターになるっていう…。そういう自由のことを言いたかったんです」
「何らかの分野で成功してスターやお金持ちになるチャンスだったら、日本にもあるよ」
「でもアメリカの方が、スケールが大きいし」
「それは日本とアメリカの国力の違いでしょ。あと、国際社会の中の位置づけの違いでもある。自由の度合いの問題じゃないよ」
「どういうことですか?」
「アメリカは世界一の大国でしょ。世界で一番注目度が高いのがアメリカと言える。それから、国際的に一番流通している英語が母国語だし、自国の貨幣のドルは基軸通貨だ。だから、アメリカ国内で売れっ子になることは、世界中で売れることとほぼイコールになる。“なぜ日本からはレディー・ガガのようなスターが出てこないのか”という話を聞いたことがあるけど、これなんかも国の立場の違いをわきまえていない議論なわけで、もし日本とアメリカの立場が逆だったら、倖田來未あたりがレディー・ガガのような、世界的スターになっていたんじゃないかな。つまり、一人一人の才能の問題じゃなくて、どの国に所属しているかの問題ってこと」
「…そうなんですかね」
「あとさ、アメリカにはスラムってあるでしょ」
「はい」
「自由度が高い社会っていうのは、とにかく競争させる社会なわけね。で、競争ってのは、勝者がいれば、当然敗者が出る。勝負が一回限りなら、勝者と敗者は半々になるけど、実際の世の中は勝負は一度きりじゃない。トーナメント戦のようなものだ。そこでは最終的な勝者は一人だけで、あとは全員敗者になる。言い換えれば、自由度が高い競争社会というのは、一人の勝者の栄光のために、残りの多くの人間が踏み台になる社会、一人の勝者の対極に、多くの敗者を生み出す社会ってこと。日本にもスラムってあったほうがいい?」
「…いえ」
と、まあこんな感じになるだろうか。
ハタチそこそこの女の子やり込めてもしょうがないけどさ。
ところで、アメリカってほんと、自由って言葉好きよね。前のアフガニスタン戦争の時、フランスが開戦に反対したことを受けて、アメリカ国内で反フランス感情が高まったんだけど、その時フレンチフライ(フライドポテトのアメリカでの名称)を、フリーダムフライに改称しよう、という動きが一部で起こったんだって。
自由を揚げてどうする。
オススメ関連本・森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』講談社選書メチエ
「日本よりアメリカの方が、自由でいいと思う」
と答えていた。
う~~~ん。思わずこのコと話してみたい衝動に駆られたぞ。
「日本よりアメリカのほうがいいっていうのは、世の中はより自由な方が望ましいってこと?」
「そうです」
「じゃあさ、人を殺す自由ってあったほうがいい?」
「それは…ダメです」
「なんで?」
「だって…犯罪だし」
「いや、殺人が犯罪なのはさ、法律で規制されてるからでしょ。殺人を自由化するっていうのは、法律を無くしちゃうってことだから、そうなったら犯罪には当たらなくなるんだよ」
「でも…家族とか悲しむし…」
「うん、そうだね。それじゃあ銃を所持する自由はどう?あったほうがいい?」
「それもダメです」
「君は日本よりもアメリカの方が自由でいいって言ったよね。日本になくてアメリカにある自由と言ったら、銃を所持する自由だと思うんだけど」
「だけど…あぶない」
「銃がありふれていると発砲事件が頻発するからね。これもさっきの話と繋がってくる」
「なんか…ヘンなことばっかり言ってる」
「なんで?君は日本よりアメリカのほうがいいと言ったし、より自由な社会の方が理想的だとも言った。僕はそれに合わせているだけだよ」
「でも…うーん」
「例えば、満員電車に乗っているとしようか。その中で、思いっきりうーーんって伸びをすると、隣の人に腕が当たるよね。隣の人にとっちゃ迷惑だ」
「はい」
「じゃあその時、俺には腕を伸ばす自由があるんだ、って言い張るのが正しいか。そんなことはない。他人に迷惑をかけてまで許される自由はない。だから、自由というのは、他人に迷惑や危害が及ばない範囲で、っていう限定が付けられるんだ。とにかく自由であればあるほどいい、ということにはならない。限度がある」
「それはわかります。でも、アタシが言いたかったのは、アメリカンドリームとか…」
「どういうこと?」
「アメリカンドリームってあるじゃないですか。音楽とかスポーツとかで成功してスターになるっていう…。そういう自由のことを言いたかったんです」
「何らかの分野で成功してスターやお金持ちになるチャンスだったら、日本にもあるよ」
「でもアメリカの方が、スケールが大きいし」
「それは日本とアメリカの国力の違いでしょ。あと、国際社会の中の位置づけの違いでもある。自由の度合いの問題じゃないよ」
「どういうことですか?」
「アメリカは世界一の大国でしょ。世界で一番注目度が高いのがアメリカと言える。それから、国際的に一番流通している英語が母国語だし、自国の貨幣のドルは基軸通貨だ。だから、アメリカ国内で売れっ子になることは、世界中で売れることとほぼイコールになる。“なぜ日本からはレディー・ガガのようなスターが出てこないのか”という話を聞いたことがあるけど、これなんかも国の立場の違いをわきまえていない議論なわけで、もし日本とアメリカの立場が逆だったら、倖田來未あたりがレディー・ガガのような、世界的スターになっていたんじゃないかな。つまり、一人一人の才能の問題じゃなくて、どの国に所属しているかの問題ってこと」
「…そうなんですかね」
「あとさ、アメリカにはスラムってあるでしょ」
「はい」
「自由度が高い社会っていうのは、とにかく競争させる社会なわけね。で、競争ってのは、勝者がいれば、当然敗者が出る。勝負が一回限りなら、勝者と敗者は半々になるけど、実際の世の中は勝負は一度きりじゃない。トーナメント戦のようなものだ。そこでは最終的な勝者は一人だけで、あとは全員敗者になる。言い換えれば、自由度が高い競争社会というのは、一人の勝者の栄光のために、残りの多くの人間が踏み台になる社会、一人の勝者の対極に、多くの敗者を生み出す社会ってこと。日本にもスラムってあったほうがいい?」
「…いえ」
と、まあこんな感じになるだろうか。
ハタチそこそこの女の子やり込めてもしょうがないけどさ。
ところで、アメリカってほんと、自由って言葉好きよね。前のアフガニスタン戦争の時、フランスが開戦に反対したことを受けて、アメリカ国内で反フランス感情が高まったんだけど、その時フレンチフライ(フライドポテトのアメリカでの名称)を、フリーダムフライに改称しよう、という動きが一部で起こったんだって。
自由を揚げてどうする。
オススメ関連本・森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』講談社選書メチエ