徳丸無明のブログ

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電車内化粧を禁止するということ

2015-10-20 22:27:44 | 雑文
以前、電車内で化粧する女性が、ちょっとした社会問題になったことがあった。さんざん叩かれていたので、もういなくなってしまったのではないかと思うが、主におじさんを中心とした年配の人達が怒っていた。
起こっていた理由は、「みっともない」というものだった。小生は、なぜこんな些細なことをムキになって言挙げするのか、不思議でならなかった。
電車内化粧に怒っていたおじさんたちに質問したい。
「電車の中で、新聞や本を読むのは、みっともないからやめろ、と言う人が出てきたら、どうしますか?」
おじさんは電車の中で新聞や本を読むだろう。それをみっともないからやめろ、と言われたらどうするのか。
「そんなおかしなことを言うヤツなんか相手にしない」
そう答えるだろうか。
確かに、そのように主張する人が、一人しかいなかったら、黙殺されるだけだろう。でも、一万人がそう言い出したらどうだろうか。
おじさんたちが声を合わせて、化粧女を排除したように、一万人が「電車での読書をやめろ」と言い出したら、無視できなくなるのではないか。
そんなこと起こり得ないって?いや、仮にありえたとして考えて欲しいんですよ。
何が言いたいかというと、「みっともない」というだけでは、他人の行動を規制することはできない、ってこと。
みっともない、というのは、美意識に関わる感情で、何を美しく、何を醜いと感じるかという、個人の価値観の問題である。何を美しいと感じるか、何を醜いと見るか、それは、一人一人違う。
だから、おじさん世代は、電車内化粧をみっともないと感じるのに対し、若い女の子は、それの何が問題なのか理解できない。
おじさんの方が声がでかいし、社会的影響力も強いので、圧力に晒された女性達は、電車内化粧をやめざるを得なかった(ご愁傷さま)。
でも、本当はみっともないという理由で、他人の行為をやめさせることはできない。
電車内化粧をめぐる議論の中で、隣に座っている人がスプレーを使って、それが自分にもかかった、という話を聞いたことがある。これは明らかな実害である。実害があるなら、はっきりと「やめてくれ」と言うことができる。だが、「みっともないから」というのは、美意識の押し付けだ。美意識を押し付けていい権利など、誰にもない。
中には、年配者だということだけで、美意識・価値観を押し付けていい、と思い込んでいる輩もいる。だが、それは人の頭の中を、恣意的に作り変えるということだ。北朝鮮のような思想教育を行う国家を、是とするのか?
でも、この手のおじさんたちって、ホント、人の話を聞かないんだよね…。


オススメ関連本・河合隼雄『中年クライシス』朝日文芸文庫