猫じじいのブログ

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エッセネ派とは何か、カウツキーの『ユダヤ戦記』からの引用

2019-12-01 23:52:47 | 聖書物語


カール・カウツキーの『中世の共産主義』(法政大学出版局)で、「原始キリスト教的共産主義の本質」の節でエッセネ派の紹介を行っている。

「原始キリスト教的」というのは変な言葉だが、ドイツ語 “urchristlichen” の訳で、「初期キリスト教の」という意味で、新約聖書に描かれる「イエスや使徒や初期のキリスト教徒の時代」を指す。

じつは、新約聖書には、「エッセネ派」は出てこない。出てくるのは、ファリサイ派であり、サドカイ派である。エッセネ派が語られるのは、新約聖書の福音書が書かれたのと同じころのフラウィウス・ヨセフスの著作である。ところが、逆に、彼の著作にはイエスやキリスト教徒についての記述がない。

キリスト教徒とエッセネ派とが一致すれば問題ないが、キリスト教ではモーセの掟を無視し、エッセネ派はモーセの掟を厳密に守ろうとする。『マルコ福音書』『マタイ福音書』『ルカ福音書』では、イエスは安息日や食べ物の忌避の掟を破り、『トマス福音書』では、イエスは割礼の必要性を否定する。エッセネ派では、大便をするにも、住居から離れた場所まで行ってするのは、安息日には禁止される。

カウツキーが引用したのは、ヨセフスの『ユダヤ戦記』の第2巻8章3節4節である。引用したのは、エッセネ派がそこで私有制を否定しているからである。そして、エッセネ派は強盗と闘う武器以外は何も持たずに旅にでる。エッセネ派の旅人が来ると、町のエッセネ派の人は、はじめて会う人でも受け入れ、一緒に食事をするという。

何も持たずに旅に出るところは、福音書で、病人を癒し福音を伝えるために、イエスが使徒を町々に旅に出すとき、何も持たないで行けというのに似ている。また、イエス自身も町の人から施しをもらいながら旅をする。

『マタイ福音書』では、さらに、25章31節から46節にかけて、神の国がこの世に訪れたときの「人の子」の裁きで、空腹で のどの渇いた旅人を助け、病人の世話した者に、神の国をあたえ、逆に、助けず、世話をしなかった者に罰を与える。この部分は、ほかの福音書にない記述であるが。

『ユダヤ戦記』に書かれたエッセネ派の記述は混乱しているように見えるため、エッセネ派にさらにいくつかの派に分かれていたとみる学者もいる。

しかし、私は、ヨセフスの描いたエッセネ派の行動パタンは、かなりが、貧民の慣習でなかったのではないか、と思う。何かの教義からくるより、貧民は食べ物を共有し、助け合うしか生きる道がなかったのではないか。生まれながらのエリートのヨセフスは、貧民の生きるすべを知らず、貧民の行動パタンすべてをエッセネ派のものとしたのではないか。
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『ユダヤ戦記』のエッセネ派の説明を今回はじめて読んで、私の思い込みが訂正されたのは、エッセネ派も都市にすむ集団であることだ。死海北西のクムラン洞窟で多量の文書が発見されたことで、エッセネ派が洞窟に隠れて住むと思い込んでいたが、これは一般的ではないようだ。

カウツキーは『ユダヤ戦記』の2巻8章4節から
「彼らは1つの都市にいっしょに住まないで、多くの都市に特別の家をもち」
と引用する。

対応する箇所のPegasus Digital Libraryのギリシア語原文では
「彼ら自身の都市はもたず、それぞれ都市(複数形)に移り住む(Μία δ᾽ οὐκ ἔστιν αὐτῶν πόλις ἀλλ᾽ ἐν ἑκάστῃ μετοικοῦσιν πολλοί)」
とあり、「特別の家をもち」とはない。

William Whiston による英語への翻訳(1841)では、この箇所は、
“They have no one certain city, but many of them dwell in every city”
となっている。

これは、底本が違うと言うより、自分の主張との整合性のために、カウツキーは自分の解釈で言葉をおぎなっている、と、私は大した理由もなく思っている。

とにかく、エッセネ派は都市に住む信仰集団(αἱρετιστής)である。初期キリスト教徒とエッセネ派の行動様式にみられる一致点は、それが都市の貧民の生きるすべであったからだと思う。