猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

幼児教育無償化より子どもを手放さない経済的環境を

2019-12-07 21:16:46 | 育児

(Yahooブログから、ブログ廃止により、こちらに引っ越しました)

幼児教育の無償化を安倍晋三首相がテレビ越しで語っていた。それを聞いて私は不安になった。幼児教育の無償化があるべき姿なのか。それより、親が自分の子を愛を持って育てられる経済的環境のほうが大事なのではないか。

私の父は、赤紙1枚で戦地に送られ、私の兄が4歳をすぎるまで、戦地から戻れなかった。父は努力したが、父と兄は互いになじめなかった。父は自分の店をやっていたから、私よりずっと家庭的だった。家族みんなで食事をし、一緒に、海や山に出かけた。それでも、父と兄は互いになじめず、父は認知症で死んだ。兄は父の遺産の受け取りを拒否した。

私の働くNPOにも、わが子が重大な病気をもって生まれ、ずっと親子が何年も離され、病気が治って病院から戻ってきたとき、どう接していいか、わからず、今でも悩んでいるケースがあることを知っている。下の子とどうしても同じ気持ちで接することができないのである。子どもは18歳になっている。

子どもを保育園に預けて働くことより、生まれた子どもに十分な愛をそそいで育てられるほうが、親にとっても子どもにとっても幸せではないか、と思う。

古代ギリシアの保守派哲学者、プラトンは、子どもを親から切り離し、社会の子として育てることを、理想とした。子どもを生まれたときから、弱肉強食の社会に放り込むことを、プラトンは理想としたのである。現代の哲学者、バートランド・ラッセルは、実は、それは古代スパルタの社会そのものだと明かす。プラトンの時代、アテネは、スパルタとの戦争に負け、属国になり、プラトン一族はスパルタ従属派であった。

なぜ、わざわざ、わが子を集団の中に、餌食として投げ込むのか、私は、その気持ちがわからない。「三つ子の魂百まで」という。政府やメディアに騙されず、3歳まで親の愛のもとで育てたほうがよい。

福岡で保育園が子どもたちを虐待していた、とテレビが報道していた。保育園で子どもに十分な愛情をもって育てようとすると、どうしても人手が足りなくなる。すなわち、保育園で子どもを育てることは本来お金がかかるのである。普通の親が働いて得るお金よりも多くのお金を保育園に払う必要が生じる。普通の親が払える料金にしようとすると、虐待が生じる。すなわち、保育士に従わない子どもは悪い子として罰せられる。

安倍晋三は、女性が賃金労働者になることばかりを重視しているのではないか。お金をもらって働くことがだいじなら、昭恵夫人はなぜレジやコンビニ弁当作りで働かないのか。安倍晋三は何も考えず、選挙目当てで話しているだけではないか。

私が思うに、子育てで3年間休職しても、職場に復帰できるようにすべきである。子育てで休職しても、家族が食べて行けるようにすべきである。経済的保障のことである。子どもを職場に連れて行って、子どものそばで働けるようにするのもいい。子どもを抱えて通勤できるよう、通勤電車の配慮があるべきだ。

私は、スパルタのような子育てはまっぴらごめんだ。