猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「民主主義」「民主制」「民主政」

2019-12-26 22:18:08 | 民主主義、共産主義、社会主義

何年か前、藤原帰一は、新聞に「民主主義」という言葉は誤りで「民主制」であると言っていた。だいぶ前のことで、彼が何を言いたかったのか覚えていない。

「民主主義」は “democracy”の訳で、「民主制」とも「民主政」とも訳す。 “democratism”という言葉もある。これは「民主主義」としか訳すしかない。語尾の “ism”は、人や集団の行動や主張に一貫する原則のことで、明治時代に「主義」という言葉に訳した。

永井道雄、上田邦義は、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』の翻訳で、 “democracy”を『民主政』と訳している。ホッブズは、国の主権者がだれであるかを論じており、「代表者がひとりのとき、そのコモンウェルスは《君主政》(モナキィ)、また 集まる意思のあるすべての者の合議体の場合は《民主政》(デモクラシィ)あるいは人民のコモンウェルス(Popular Commonwealth)、そして一部の者の合議体のときは《貴族政》と呼ばれる」と書いている。

   (注:「コモンウェルス」とは「国」のことである。Nationは近代の概念で「国民」をさす。)

とすると、藤原帰一は何か皮肉を言いたかったのかもしれない。そういえば、「小学校の先生に教わった民主主義とは、要するに多数決のことだった」と彼は書いていた。「民主主義」が「形式」に落ちていると警告していたのかもしれない。

「戦後民主主義」というとき、この言葉は私は好きでないが、選挙で勝てばよいという、理念なき政治体制をさしてきた。総理大臣になった田中角栄は、新潟で選挙カーから石炭をまいて当選したという。

「民主主義」とは民衆が国を治めるという理念であって、群衆や下層民を意味する ギリシア語 “δῆμος”(デーモス)を語源とする。現代では、集まる意思のあるすべての者の数があまりにも多いから、選挙で代表を選び、議会で、行政サービスを監視し、社会的ルールを合議で決める。これが、時間をかけて歴史から学んだ人類の選択であったはずである。

ところが、横浜市では、市民の大半がカジノに反対しているのに、議会の多数派をにぎる自民党と公明党が、行政と一体になって、カジノ誘致に走っている。人の不幸によって、市の税収を増やすとは、モラルに反することだ。自民党議員、公明党議員は市民よりモラルが落ちる。

「民主主義」の理念をけがすような「現行の選挙制度」を再考し、市民の意思を無視するような議員が選ばれないようにする必要がある。