東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の森喜朗が2月3日のJOC臨時評議員会でした発言が、今、女性蔑視だと世間を騒がしている。
その通り、女性蔑視の発言だと思う。森自身は、このJOC臨時評議員会で約40分のスピーチをしており、そのなかで、女性理事が発言するので会議が遅くなると揶揄した。
森の発言は、単に、女性蔑視であるだけでなく、伊東乾がネットで言うように、森が民主主義社会での会議というものを理解していないことからきている。会議は、上の者の発言を下の者が聞くことだと思っている。これが「わきまえろ」という言葉に端的にあらわれている。
会議は、本来、討議する場である。討議によってより良い結論に導く場だ。自分の意見を述べる人間がいて初めて機能するのだ。時間がかかって当然だ。森の前では、女性だけがまとものようだ。
長引くのが嫌なら、まず、森がスピーチをするのをやめるべきだ。森の40分のスピーチの全文を日刊スポーツがネットに掲載していたが、聴衆の笑いを取るための、本質でないバカ話ばかりをしていた。森は、会議を儀式と考えている。
そして、テレビで見るかぎり、菅義偉は同じことを国会や委員会で行っている。新型コロナの分科会でも、開催の前にマスコミにその結論が流れる。
数年前に朝日新聞に会社内の会議は必要かという特集があった。なぜ、社員が会議をいやがるか、森のスピーチを聞いて腑に落ちた。日本の会議は、上の者が下の者の忠誠を確認する場になっているからだ。日本社会は、いまだに、狂っている。
製造業の現場でないのに、新型コロナでテレワークができない、ハンコを押すために出勤しないといけない、と新聞が報道していたが、本当は、上司に忠誠度を疑われるのが、怖いからではないか、と最近思い始めている。悪いのは、日本社会だ。
[補遺]
森喜朗会長が辞めたが、次期会長を決める過程は相変わらず秘密となっており、秘密なのに憶測という形で会議の前に結論がメディアに漏れてくる。相変わらず、会議が儀式化している。