猫じじいのブログ

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プログラミング教育の小学校必修化は子どもや教師の負担を増やすだけ

2021-06-11 22:46:33 | 教育を考える
 
小学校にプログラミング教育必修化するのは、「早期教育」や「臨界期」に対する誤解があるのではないか、と思う。早くから特定の専門科目を何か教育したって、別に良いことがあるわけではない。
 
創造性が求められないことなら、例えば、狂言や歌舞伎やヴァイオリンとかダンスとかなら、それにしかできない人間をつくることも、親のわがままからあり得よう。一芸に秀でた人材や伝統芸能の担い手をつくるために、才能がなくても早期教育で、なにほどかのことを成し遂げられるかもしれない。
 
それは、創造性も知性もない世界でのことで、ロボットのような人生を親のわがままから わが子に強要することになる。子どもの自由を踏みにじんでいることになる。伝統芸能を引き継ぐ必要性など、どこにもない。
 
しかし、小学校の教育必修化となると、その理不尽を国が大規模に引き起こすことになる。幼少期の教育は、できるだけ強制を少なくし、覚えることで子どもの潜在能力を無駄にしないようにしないといけない。興味の偏りはしだいに芽生えるので良く、本人が何に人生を賭けるかは、自己が確立してからで十分である。
 
「臨界期」というというのは、ある課題を学習するには、それを学ぶに充分に脳が熟していないと、努力が無駄になるということである。ある時期を過ぎるとマスターできないということではなく、ある時期にくるまではマスターできないということである。
 
先走りして学習しても なんの役にもたたない、子どものときは神童、大人になってタダの人になるだけ、ということである。
 
数学でも、フランスの20世紀の天才数学者、名前を忘れたが、戦闘機のパイロットが負傷して、入院しているとき、数学に目覚め、数学の勉強を始め、歴史的未解決問題を解決した。20歳になって、数学に目覚めても遅くない。
 
また、セオドア・カジンスキーは、貧しい移民の子で、天才と称せられ、25歳で数学の助教授になり、2年後にその職を突然やめ、山に引きこもり、自然を破壊する現代社会への怒りから、爆破犯になった。世評によれば、数学の助教授になる前の段階で確立した研究分野を専攻しており、すでに創造性を失っていたとある。
 
プログラミングは別に早期教育が必要な分野ではない。アルゴリズムに興味あれば、あるいは、数値計算の必要性を感じれば、あるいは、機械を自律的に動かしたければ、いつでもプログラミングを修得できる。変なヴィジュアルプログラミングをやらないほうが良い。
 
文部科学省は、次のようなプログラミングの早期教育の例を挙げている。
 
算数(第5学年)で、「プログラミングを通して、正多角形の意味を基に正多角形をかく」
理科(第6学年)で「身の回りには電気の性質や働きを利用した道具があること等をプログラミングを通して学習する」
総合的な学習の時間で「情報化の進展と生活や社会の変化」を探究課題として学習する」
総合的な学習の時間で「情報技術を生かした生産や人の手によるものづくりを探究課題として学習する」
社会(第4学年)「都道府県の特徴を組み合わせて47都道府県を見付けるプログラムの活用を通して、その名称と位置を学習する」
家庭(第6学年)「自動炊飯器に組み込まれているプログラムを考える活動を通して、炊飯について学習する」
 
どこがプログラミング教育なのかさっぱりわからない。文部科学省の役人は、実業界からのバカげた要請を蹴り返さないといけない。そうしないから、小学校教育は、やたらと意味のないことの詰め込みとなり、子どもの負担ばかりを増やす。(この前、小学校4年の算数にそろばんが入っていたのに、びっくりしてしまった。こんなものはいらない。)
 
文部科学省が実業家や政治家のいうことを聴いて行動を起こすと、教育でお金儲けをしようとする怪しげな人間たちが動き出す。
 
文部科学省、総務省、経済産業省が共同で作ったパンフレット『未来の学びコンソーシアム 小学校のプログラミング教育必修化に向けて』は、意味のない美辞麗句で埋め尽くされている。それは、教育のねらいとして3点をあげている。
 
① 「プログラミング的思考」を育むこと
② 情報社会がコンピュータ等の情報技術によって支えられていることに気付くことができるようにするとともに、コンピュータなどを上手に活用して身近な問題を解決したり、より良い社会を築いたりしようとする態度を育むこと
③省略
 
①の「プログラミング的思考」とは意味不明である。アルゴリズムのことを言っているのだろうか。「的」とか言っているから、コーディングを考え出すことを言っているのだろうか。全く意味不明である。
 
②の「気付く」とか「態度を育む」とかは、心を型にはめる「洗脳教育」にすぎない。IT産業が重要なものだと思いこませたいだけである。
 
③は全く無意味なことをほざいているので、省いた。
 
バカげている。バカげている。
 
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