きょう、日曜日の朝から、イギリスでのG7でテレビが持ちきりである。菅義偉がG7に参加しているが、予測されたように、ひとりだけ孤立して、可哀そうだという報道である。
G7とは“Group of Seven”の略である。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本の7ヵ国と欧州連合の首脳らで毎年開催される国際会議のことである。
国連があるのに、一部の国の首脳らが集まって会議を行うのは、何らかの意図をもって集まる、分派活動である。今回のG7のねらいは、中国の封じ込みへの自由主義陣営諸国の団結の誇示であろう。
したがって、G7に出席した菅のこの態度を、欧米諸国への日本人の劣等感と受け取るのか、それとも、中国問題への日本人の態度不鮮明と受け取るのか、人によって異なってくる。
標準的日本人には、語学コンプレックスがある。しかし、変な発音の英語で、限られた語彙の英語でも、会話することができる。だいじな問題で、自分の答えをもっていれば、堂々としていることができる。言葉少なくして、本質を話せば、「極東の賢人」だと思われる。英語が話せなくても、G7での居心地はそんなに悪くない。
私は、英語に限らず、日本語でも、発音がはっきりしない。しかし、そんなことで、しょぼくれたいとは、思わない。
最近知ったのであるが、福沢諭吉の英語の会話能力は、日本語混じりで、とてもレベルの低いものだったようだ。彼を知る当時の外国人は、ユニークな英語を話すとして、だからと言って、バカにしなかったようだ。
今回、菅義偉は、もち札が、東京オリンピック開催の約束を守るということだけのようであった。中国への足並みを揃えようという他のG7諸国の首脳らと、関心が合うはずがない。
中国の台湾問題、ウイグル人問題をどう対処していくのか、基本的姿勢と戦略が定まっていないところに、菅の居心地の悪さがあったのではないか、と思う。宿題をやってなくて授業に参加する小学生の居心地の悪さである。
考えてみれば、G7諸国の対中国姿勢の足並みがそろっていないから、G7が開かれるのである。だから、足並みがそろわない理由を明らかにし、どのような選択肢があるか、示すだけで、菅は「極東の賢人」と思われただろう。中国が抱える問題点を整理し、中国との交渉役を日本が果たすというなら、歓迎される「極東の賢人」と評されるだろう。G7の他の諸国の首脳らも、戦争に持ち込みたくないはずである。
佐藤俊樹は、きのうの朝日新聞のインタビューで、日本は「大国」ではないと答えていた。日本は昔から「大国」でなく、また、今も「大国」でない。10年前、ドイツ大使がBSフジの『プライムニュース』にでて、ドイツは「大国」でないし、「大国」になりたいと思っていないと答えた。私は賢いと思った。「大国」であろうとすると、他国を従えようと思いだし、他国と協力し合えない国になってしまう。せいぜいが中程度の国であればよく、世界征服の野心をもつことは要らない。
日本はふつうの国として、誠実でつつましくあって、問われば、思慮ある答えをすれば良いと思う。
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