昨日、わたしのお気に入りの1人が「多動」と診断されていると知った。彼女は非常に聡明な少女(高2)なのに。理解が非常に速いのに。(2022年5月現在、慶応大学に在籍)
「多動」とは、ADHDということである。改めてADHDについて考えてみたい。
いま手元にあるジョエル・パリスの『現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断』(成和書店)は、過剰診断されがちな診断名として、大うつ病(Major Depressive Disorder)、双極性障害(Bipolar Disorder)、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、注意欠如・多動症(ADHD)をとりあげている。
この本の原題は“Overdiagosis in Phychiatry”である。日本語のタイトルは、副題の“How Modern Psychiatry Lost Its Way While Creating a Diagnosis for Almost All of Life’s Misfortunes”から来ている。副題は、今日の精神医療が道を踏み外して人の人生を不幸にする診断をしているという意味だ。
過剰診断の根拠として、ADHD は昔から知られた症状なのに、患者数が最近急激に増加していることをあげている。直接的な要因は、ADHD 支援団体の熱心な活動である。この非営利団体の資金源はリタリンを製造するノバルティス社である。(リタリンやコンサータはメチルフェニデートの商品名である。)
アレン・フランセスも『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』(講談社)で同様な指摘を行っている。
パリスもフランセスも「成人のADHD」の診断を特に憂いている。
憂いる理由は、2つある。1つは、ADHDは成人になっても症状が残ることがあるが、成人になってからの診断が難しいのである。もう1つは、DSM-5の神経発達症群に分類される診断名は、あくまで、「症候群」であって、無理に服薬で治療する「病気」ではないのである。
ところが、ADHDが製薬業界に大きな市場として目をつけられたのである。治療薬はADHDを治すのではなく、症状を抑えるもので、継続使用を前提としている。継続使用が製薬会社にとって一番オイシイのである。
過剰診断になる理由は、DSM-5で載っているADHDの症状は誰にでもみられる症状であるからである。診断基準の歯止めは、症状が「12歳になるまえに存在していた」こと、「2つ以上の状況(家庭・学校・職場・付き合い)において存在する」こと、「これらの症状が社会的、学業的、または職業的機能」に問題をおこしていること、他のメンタル不調ではうまく説明できないこと、この4点である。
例えで言うと、ADHD は「熱がある」というみたいなものである。熱があるというのは症状であって、色々な病気が熱を引き起こす。ADHDは、他の病気が原因と考えられず、生まれつきのもの(特性)とするしかないとき、しかも患者にとって困るような重い症状のとき、診断されるものである。
DSM-5 は、ADHDと症状が似ているが、区別されるべき診断名として次をあげている。
秩序破壊的・衝動制御・素行症群の反抗挑発症、間欠爆発症、
神経発達症の限局性学習症、知的能力症障害、自閉スペクトラム症、
心的外傷およびストレス因関連障害群の反応性アタッチメント障害、
不安症群、抑うつ障害群、特に重篤気分症。
物質使用障害や医薬品誘発性の注意欠如・多動症症状
パーソナリテイ障害群、精神病性障害、神経認知障害群
だから、岩波明が、成人の女性に「軽症のADHD」と診断し、本人の意志だからとして、メチルフェニデートの投与を継続していることに、わたしは大きな違和感を感じたのである。
岩波明が、ADHDの根幹的特性として「衝動性」を取り上げているが、わたしは別にこれを悪い特性だと思わない。始めに書いた「多動」と診断された少女は、生きる意欲に満ち溢れている。「多動」で何が悪いのか。
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