コスモポリタンという言葉が好きである。
コスモポリタンという言葉から、
2500年以上も前の、地中海沿岸の都市から都市へ旅した人たちを、私は思い浮かべる。
知と自由を求めて、あるいは、伝えるために、言語や文化や宗教の違う世界を旅した人がいたと思うと、ぞくぞくする。
コスモポリタンはギリシア語で世界市民のことだ。
約2600年前のミレトスの賢人タレスも、約2500年前のサモスの賢人ピタゴラスも、知を求めて、エジプトを旅した。
約2400年前の原子論者デモクリトス(紀元前460年頃-370年頃)は、エジプト、ペルシアを旅した。
2000年近く前には、パウロが、地中海沿岸の都市から都市を旅し、キリスト教を伝道した。
日本だって、古代に朝鮮半島から渡って来て、色々な文化を伝えた人がいる。
埼玉県にある高麗川(こまがわ)も、高句麗からの渡来人がいた名残だといわれる。
また、空海、最澄だって、危険を犯して海を渡り、古代中国に知を求めた。
モンゴル帝国、オーストリア帝国、オスマントルコでも、言語や文化や宗教の違いを越えて国が形成され、人々が行き来し、新しい文化が生まれた。
デューラー、ゲーテー、アンデルセンは、北の自分の国に閉じこもらず、アルプスを越え、イタリアを旅し、自分の創作の力を得た。
ノーベル賞創設で知られるスウェーデン生まれのアルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)は、若いときはロシア、ドイツ、フランス、米国などを旅し、ダイナマイトを発明してから、20以上の国々に工場を作った。
19世紀のことである。
死ぬとき、科学技術、医療、文学、平和に貢献した世界中の人に、賞を出すよう遺言した。
19世紀は民族主義の勃興期だから、親族だけでなく、スウェーデン国内にも、国を越えて賞を出すことに反対があった。
国民国家という馬鹿げた考えが、起きた時代である。
しかし、遺言は実行された。
ノーベル賞は、コスモポリタンの精神を受け継いでいる。
知は、国境や言語を越えるのだ。
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