ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の第2部を読む。敗北によって生じた日本の混乱期が克明に描かれている。吉田茂が望んだように、日本の支配層は一部の軍人を人身御供として占領軍総司令部(GHQ)に差し出し、自分たちの安泰をはかった。支配されていた私たちの父母は、占領軍を「解放者(メシア)」のように思い、食糧難のなかを必死に生きた。
無条件降伏をしたのだから、日本の支配層を皆殺しにすればよかったと、私なんかは思う。しかし、占領軍は日本支配層によって牢に閉じこめられた政治犯を解放し、代わりに、アメリカとの戦争を導いた人たちを戦争犯罪人として逮捕したので、「解放者」と誤解したのであろう。
私自身は強烈な食糧難を体験していないが、私の5歳上の兄は、どの野生植物が食べられるのか、知っていて食べる。それだけでなく、あしながバチの巣をとって、幼虫と蜂蜜を食べるのである。それでも、私は、シイの実やくるみや銀杏の実をひろって食べ、学校給食では、アメリカの援助の小麦粉のコッペパンを食べ、スキムミルクを飲んだ世代である。
アメリカの余剰農産物が日本に食料援助としてきたのだ。ジョン・ダワーによると、これは無償の援助ではなく、あとで、日本はその代金を支払った。
食料難が生じた理由は、戦前の日本がもともと自給自足ができていなかったのもあるが、日本政府の権威の崩壊とともに、農家が、日本紙幣や配給制度を信用しなくなったからでもある。農家が政府の要請に応じなくなったのである。そのことを、子どもの私は親から幾度となく聞いているので、流通の混乱に本能的恐怖心をもっている。
戦後の混乱期、日本の食料の流通はヤクザなどが取り仕切ることになる。闇屋、闇市である。警察はヤクザとつるんでいるから、逮捕されるのは、末端の人間だけである。しかも、多くは闇屋から食料を買ったほうの人々である。敗戦によって、日本の支配層に裏の人間が新たに加わることで、日本の支配体制は維持されたのだ。
ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』に、「闇市で仕入れた食物を分けてくれなかったことに腹を立てた24歳の男が、自分の父を殺害する事件」が1946年4月に起きたと、書かれている。
これを読んで、私の父が戦地から戻らない間、母(嫁)が、祖父(義理の父)から食べ物が与えられず、自分で食べるものを確保しなければならなかったが、それは特別のことではなく、どの家にも起きうることだったのだと、了解した。
また、私の母から何度も聞かされた話は、判事が闇の食料を食べないと言い張り、餓死したという事件である。ジョン・ダワーの本書で、餓死した判事の名前といつかをはじめて知った。1947年10月に、34歳の判事、山口良忠が餓死した。
闇屋から食べ物を買った者が、法廷に連れてこられると有罪の判決を下すのが山口の仕事だった。しかし、自分の妻も闇屋から食べ物を買っていた。良心の苦しみから自分だけは闇屋から買ったものは食べないと妻に告げた。その結果、餓死したのである。
私の母はその話をしたとき、いつも、餓死した判事を罵倒した。政府が間違っているとき、法律が間違っているとき、それに従ってはいけないと私に言い渡した。
確かにそうであると私はいまも思っている。死ぬべきは天皇を含む日本の支配層である。ソクラテスの選択は間違っている。
この事件の2カ月後に私が生まれた。母が闇でサツマイモを売っていたのは、父が戦地から戻ってこない1年間だけでなく、1947年になっても闇屋をしていたのではないか、と、ジョン・ダワーの本書を読んでふと思った。戦地から戻ってすぐ父の商売が軌道に乗るはずがない。日本の経済混乱はもっと続いたはずである。
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