不思議なんだが、子どもたちを見ていると、「地理」より「歴史」が好きなようである。どうも、世の中が固定したものではなく、どんどん変わっていくのが面白いらしい。歴史は子どもたちにとって、思いもつかない展開をしていく物語の連続らしい。
いっぽう、私自身は歴史が嫌いだった。高校の日本史のテストでは、わざと白紙の答案をだして反抗をしていた。不幸なことに、歴史は暗記ものだったからだ。
朝日新聞によると、この4月から、「歴史総合」という新科目が、高校の必修となる。高校生が抱きがちな「重要な出来事の暗記」というイメージを覆す狙いが込められているという。これは良いことだと思う。
歴史学者の成田龍一によると、「これまで世界史と日本史に分かれていた歴史科目を、18世紀以降の近現代史として『総合』した形で学ぶ新科目」だそうだ。
一国だけの歴史ではなく、「近代化」「国際秩序の変化や大衆化」「グローバル化」の3つのテーマで、「世界的な相互作用のダイナミズム」から歴史をとらえるという。すごい新科目だ。
「歴史は事実を暗記する科目ではない。生徒が『なぜなのか』と問いを立てるよう導くことが重視されています」と成田龍一はいう。
「暗記ではない」に賛成するが、『なぜなのか』という意味がわからない。歴史は必然ではないはずだ。このあとの「フランス革命は・・・7月に始まった」か「8月の人権宣言」かの議論を見ると、単なる時代区分の議論のように思える。
以前、放送大学で本郷和人が、武家の時代はいつ始まるのか、鎌倉幕府はいつ始まるか、もう「イイクニツクロウ」は通用しないというという話しをしていた。
しかし、もし、時代区分でなく、歴史をどう見るか、の問題であるとすると、人、それぞれの物語ができる。価値観の問題となる。思想の問題となる。
すると、教科書で1つの物語を押しつけるのは間違っている。政府が教科書検定をするのでは、洗脳教育となる。各自の価値観、思想に点数をつけるのでは、洗脳教育そのものになる。
「歴史」は、あくまで、ある1つの「物語」であって、子どもが自由に選べるものでなければならない。いくつもの異なった物語があってよい。そうでなければ、私がまた高校生になったら、「思想の自由」という理由で、白紙の答案を出し、「洗脳教育反対」のこぶしを挙げるだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます