すっかり忘れていた言葉、”Another Day, Another Dollar” を数日前ふと思い出した。40年以上も前、私が家族を連れてカナダの大学にポストドクターの職についていたとき、大学のだだっぴろい駐車場でカナダの友人から聞いた言葉である。風景は映画のシーンのようにリアルに思い出されるが、どのような文脈で出たか思い出せない。当時、その言葉を「あしたはあしたの風が吹く」「なんとかなるさ」と私はなんとなく理解した。
ポストドクターは任期付きの研究職である。不安定な身分である。そのとき、きっと私が不安な顔をしていたので、元気を出させようとして、友人が言ったのではないか、と思う。
いまや、インタネットで何でも検索できる時代である。改めて、この言葉を調べてみると、パナマ運河を掘る労働者の賃金が1日1ドルであったことに起因する。1962年にWynn Stewartが作ったカントリーソングがこの言葉を北米に広げた。
Wiktionaryでは、”Another Day, Another Dollar”を諦めのつぶやきかのように、解釈している。
1.Everything is routine and mundane, and nothing eventful or extraordinary has happened.
2.Life goes on, and it is necessary to work in order to earn money.
私はちょっと違うじゃないのと思ってしまう。この40年間に世界が変わったのではないか、とも思ってしまう。
40年前は、ヒッピーは若者の理想の生き方であった。私も「フーテン」を理想の生き方と思っていた。松竹映画『男はつらいよ』はフーテンの寅さんをどうしようもない社会のはみだし者の憎めない男と描いているが、当時の若者にとっては、お金に囚われた立身出世の生き方を捨てることこそ、理想だったのであり、「フーテン」と見なされることは誇りだったのである。
”Another Day, Another Dollar”という言葉をふと思い出した理由が今わかった。この金曜日に私の勤めた外資系会社の退職した技術系社員の集まりが4年ぶりにあった。私の向かいの席の男が株で儲た話ばかりすると、私の横にいた友人が腹を立てたことが引き金だったのだ。横の友人は、70歳をすぎているのに、いまだに、デジタルで記録された音源から自然な音を再現する回路づくりに熱中している。技術の人は、自分の技を究めることに誇りをもつべきであって、お金を儲けたことの自慢に終始すべきでないと、友人は考えているのだ。
”Another Day, Another Dollar”は、1日1ドルの稼ぎであったとしても、人生には喜びと誇りがあるという意味なのだ。1日1ドルしか稼げないという嘆きの言葉でない。
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